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中津川恵那神社例大祭

テーマ:曳山・歌舞伎
一昨日のブログに書きましたように中津川恵那神社例大祭の奉納文楽出場の栄に浴して参りました。前日の土曜日に三味線の賀桜さんに運転していただきまして、名古屋で桂川師匠をピックアップし一路中津川へ。

宿泊先は師匠の知己である恵那文楽保存会会長宅。そちらで郷土料理満載の夕食をいただいた後、体育館兼文楽の稽古場である
楽生館でリハーサル

リハーサルが終わった後は、桂川師匠と賀桜さんが
地元の女性3人に三味線指導
当地区でも文楽の人形遣いだけではなく、床(大夫、三味線)の育成が求められてきているようです。

恵那神社例大祭の本日である昨日は、この上ない絶好の日和。会長宅は周囲を山に囲まれた環境にあるのですが、空気が澄み渡り、暑からず寒からず。

こんな清々しい天候がまだ我が国に残されていたのかと、そしてしばらくそこで何も考えずに、そよ風を頬に受けながら立ち尽くすだけでも快適な時間が過ごせるのではないかと感じるほどでした。


会長宅からさらに数分車を走らせ坂道を上って行ったところに位置する恵那神社。恵那市にあるのではなく中津川市にあるところがややこしいのですが、こじんまりとしていながらかつての官幣大社という由緒ある神社です。

階段を上り詰めたところに本殿があるのですが、その前には高さ46mの巨大な夫婦杉が立ちすくんでいます。奉納文楽に先立ち、その本殿にて大勢の神官や来賓により厳かなる神事が執り行われます。

奉納文楽は階段と階段の間のまさに踊り場の左手に位置し、参道とは平行に建っています。つまり、神殿に向かって奉納するのではないのですね。
向かって右側が大夫座
主役の人形たち

例大祭は9月29日と日が固定されているのですが、今年は日曜日と重なり天気にも恵まれたせいか、想像以上に多くの方々に文楽を鑑賞していただくことができました。まあ、その後に行なわれた
餅まきの方が賑やかでしたけど

帰りには今回のもう一つの大きな目的地に立ち寄り名物の栗きんとんを購入。
「やす」とちゃいまっせ

今回お世話になりました会長をはじめとする恵那文楽保存会の皆さん、会長のご家族の皆さん、そして同行いただきました桂川師匠、賀桜さん、そして恵那神社の神様、誠にありがとうございました。

浄瑠璃作者の意図

テーマ:曳山・歌舞伎
明日、岐阜県中津川の恵那神社の祭礼で奉納文楽が行なわれるのですが、何と三役修業塾に大夫と三味線の出演依頼が参りまして、米原の曳山祭出場との兼ね合いもあり、スケジュールの空いている私が大夫として出場させていただくことになりました。

素浄瑠璃は発表会等で行なっておりますが、実際に人形が伴う文楽の大夫を務めるのは初めての経験。演目は「鎌倉三代記 高綱物語の段」。フルコースでやると1時間くらいかかるようですが、上演時間の制約で前後を省いて20分程度で行ないます。

時は鎌倉時代。源頼朝亡き後の北条時政は、頼朝の遺児源頼家をないがしろにして幕府の実権を握ろうとし、佐々木高綱や和田義盛、三浦義村ら有力御家人との抗争を繰り広げ、ついには戦となっていた。

というのが、芝居の時代背景なのですが、実はこれ大坂の陣を、鎌倉時代の北条氏と御家人の抗争に置き換えたもので、徳川家康を北条時政、千姫を時姫、真田幸村を佐々木高綱、木村重成を三浦之助、豊臣秀頼を源頼家にそれぞれ当てはめているんですね。

江戸時代に徳川政権を直接批判するような芝居はご法度ですから、このように時代背景を変えていわゆる風刺劇をつくるわけですが、観衆は当然わかっているわけで、お上も民衆のガス抜きのために見て見ぬ振りをしていたのではないでしょうか。

さて私たちが演じる部分は、別人に成りすましていた佐々木高綱が正体を現し、時政を討つ計略を打ち明ける場面なのですが、最後「♪名にし負う坂本の総大将とたぐいなき」という句で段切りとなります。

でね、プロのテープとか聞いてますと、「名にし負う」「坂本」と切れるのではなくて、「名にし」でいったん切れて「負う坂本の」と言っているように聞こえます。何べん聞いても、あるいは違う大夫さんのを聞いてもそうなっています。

まあ、そんなものなのかと思っていたのですが、どうやらこれわざとそう仕組んでいるみたいなんです。つまり「負う坂」=「大坂」ということで、これが実は大坂の陣のパロディであることを暗示しているようなんです。ですので、私もこの部分は作者の意図に忠実に、気をつけて語ろうと思っているところです。



へたの考え

テーマ:よもやま話
毎日新聞の4コマ漫画アサッテ君。東海林さだおさんの作品なんですが、先日のそれは一コマ目に柿の絵があって「へた」の部分が強調されております。

続いてアサッテ君が「何でへたっていうんだろう?」。家族みんな考えてるけどわからない。で、最後のコマでお父さんと思しき人が「へたの考え休むに似たり」と言ってオチがつく、というもの。

言われてみれば、何の気なしに「へた」って呼んでますけど、何でそう言うか考えたことなかったなあ。「トマト・柿などの実についている萼(がく)」と辞書では定義されていますが、漢字で書くと「」と書くんですね。草冠に帯のような字です。

ちなみに、サザエなどの巻き貝、殻の口のところに板状のふたがありますけど、あれも「へた」って言うんですね。こちらは「」とさらに難しい字になります。

「へた」といえばもう一つ「下手」という言葉が想起されるわけですが、これは「はた(端)」あるいは「へた(端)」の変化で、奥深くない意から来ているようです。そうか、端っこという意味の「へた」がまずあって、ここから「下手(へた)」という意味が派生したというわけか。

ちなみに私ずっと「下手な考え休むに似たり」だと思っていたのですが、これは誤りで「下手の考え」が正しいようですね。囲碁や将棋の下手な者がいくら長時間考えても名案など浮かぶはずなく時間の無駄だ、というところから来ているようです。

あ、そうそう、しゃっくりが止まらないときに、どうしたら止まるだろうかと長時間考えたことありませんか?そういう時こそ「へたの考え」。柿のへた(柿蔕・シテイ)を煎じたものが効くそうでございます。




めあてへの違和感

テーマ:よもやま話
先日の小学校の運動会。入場行進のとき、「今年の運動会の目当ては....」という先生のアナウンスの声。あぁまた出たか。いやいや運動会に限らず、学校訪問で授業を見せていただく時にも盛んに出てくる、この「めあて」という言葉、どうも違和感がぬぐえません。

まあ、小学校でしか使われませんから、おそらく「目標」とか「課題」とかいう意味で使われてるんでしょうね。まだ難しい語句は習っていないので、小学生らしいやさしい言葉で、という計らいなのでしょうか。

でもね、無意識的にであるにせよ、先生方は同じような意味で「目標」とか「課題」とか結構話し言葉の中で使っていて、子供たちもそうした言葉の意味を理解しているはずだと思うんですけど、いざ「教育」という畏まった裃をつけてとなると、不思議と「この単元のめあて」とか「運動会のめあて」とかになるんですよね。

「めあて」という言葉、確かにそれらしい意味で国語辞典に載っているのですが、一般社会でこの意味で「めあて」を使うことはほとんどないと思います。いや、悪い意味では結構ひんぱんに使われていると言った方が正確かもしれません。

試しに、「語感の辞典」でこの言葉を引いてみましょう。こう書いてあります。「狙いや目印の意で、主に会話に使われる日常の和語」。で、用例が「お目当ての品」「金目当ての行動」。あるいは「体目当て」などという下種な言い方もあり、とにかく欲得と結びついていて高尚なイメージはありません。

どうもこの言葉、社会的には教育界が意図している意味からほど遠いところに追いやられてしまっているのではないか。いやいや、「めあて」の本来のニュアンスを子供のうちから正しく身につけさせるためにわざと使っているのだ、というそれこそ崇高な「めあて」があるのでしょうか?

子どもから子供へ

テーマ:言葉・漢字
先週、日経新聞で「文科省が『こども』表記を漢字表記に統一」という記事を目にいたしました。これって、気がつかない人もおられるかと思いますが、近年はあえて「子ども」という漢字とひらがなの混ぜ書きが意図的に使用されていたのは事実。

長浜の子供歌舞伎も「子ども歌舞伎」と表記されているはずです。何でこんなことなっていたのか?「子供」と書くと「お供をするこども、召し使われるこども」あるいは「子を供える」を意味するという説を立てていちゃもんをつけた人が居て、人権団体からの批判を恐れてか行政機関などは「子ども」表記に逃げていたようです。

私は町の人権推進委員(当時は同和教育推進委員?)を平成10年頃から3,4年間務めていたのですが、一度市の推進員研修会で、講師の方がこの話をされて、同様の趣旨で「子供」と表記してはいけないんだと力説されたことを明確に覚えています。

その時から、強烈な違和感を覚えておりましたが、その後「日本子ども史」(森山茂樹、中江和恵/平凡社)に、「この説に全く根拠は無く、『子供』の『供』は接尾語で格別の意味はない、『供物』『供花』という用例はあるが『供子』という言葉は無い」と書かれているのを読み我が意を得たりの思いでした。

よくよく考えてみると、確かに「女ども」とか「野郎ども」みたいに、蔑んだ言い方する時に漢字+平仮名混合表記をするわけで、そういう意味では「子ども」の方こそがおかしいですよね。子供はダメは完全な言葉狩りですね。

毎日新聞の報道によれば、文科省内ではこれまでも表記に関する内規は存在しなかったようで、慣例で「子ども」表記が一般的になっていたらしいですが、これを確認した下村文科相が今回「子供」表記の統一に踏み切った模様。

しかし、かく言う私も「子供」派でありながら、やっぱり無難な「子ども」表記をしてきたわけで偉そうなことは言えず、この間にすっかり「子ども」に慣らされてしまった自分に気がつきます。習慣は恐ろしい。
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