私の秩父事件

テーマ:よもやま話
昨日、多摩地区が神奈川県から東京都に移った話を書きましたが、その要因の一つとなった自由民権運動。そう言えば日本史で習ったなと当時の教科書を見返してみると、なるほど秩父事件、福島事件、加波山事件など聞いたことのある名称が出てまいりました。

そうそう、とりわけ秩父事件には強い印象があるんです。いやいや、当時生きていたわけでありませんよ。でも、思い出があるんです。

それはちょうど7年前、そう平成18年9月のこと。当時曳山博物館の伝承委員会に所属していたのですが、この年埼玉県秩父の小鹿野町で開催された「全国地芝居サミット」に参加。4人のメンバーで車で行ったのですが、行きは中央道の甲府昭和ICで降りて140号線というルート。

帰りもこのルートで帰れば問題なかったのですが、何と帰路としてカーナビが選んだのは、長浜までの最短距離ルートで諏訪ICまでの約120kmの国道299号線を走るというもの(上図参照)。山道とは言え国道であることを頼りに走り続けたのですが、これがまあとにかくひどい道。まさに酷道。次の動画の6分30秒以降を見ればわかる。

幸い運転技術に長けたメンバーが二人いたので救われましたが、道幅の狭いwinding roadの連続。運転超苦手の私もわずかの区間だけ運転いたしましたが、あれほど疲れたことはありませんでした。

帰って調べてみると、『国道299号線の十石峠は数年前まで砂利道で、車一台しか通れず、土砂崩れなど災害が頻繁に発生していた』とあり、さらに『120年前に自由と民権を熱望し秩父事件を起こした困民党の者たちが、信州佐久を目指し歩いて行った』道でもあることがわかったのです。


また途中、1985年に坂本九さんら520名の命もろとも日航機を吸引・破壊せしめた、あの『「御巣鷹の尾根」まで20km』という看板を発見し背筋が寒くなりましたがな。私にとっては、秩父事件とはまさにこの国道299号線の思い出そのもの。

ちなみに日本史の教科書には「1884(明治17)年には、埼玉県秩父地方で、自由党員支援のもとに困窮した農民が借金党、困民党を結成して、借金の年賦返済・村費の減免などをもとめて武装蜂起し、政府は軍隊を出動させてこれを鎮圧した(秩父事件)」と書かれております。

あ、そうそう、私語呂合わせで歴史の年号の覚え方を考えるの趣味だったんですが、秩父事件(1884年)のそれも教科書の余白にメモ書きが
いい母 よいちち もっている
持ってますか~っ!?



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