たまのひきぬき

テーマ:よもやま話
小・中学校の運動会の季節がやってまいりました。今年は9月第一、第二、第三土曜日に実施され、教育委員の視察訪問も予定されています。運動会といえば玉入れですが、今日は玉入れではなく、たまの引き抜きのお話です。

実は先日日経新聞の中に「吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった」と記されたコラムを発見いたしました。へぇ~、私は国立(くにたち)の大学に通い武蔵野市の県人寮に住んでいたのですが、まさにその地域も該当するではありませんか。

その記事には「東京23区の西側にある多摩地区。八王子や町田市、武蔵野市などはかつて神奈川県に所属していたが、1893年(明治26年)に当時の東京府に移管された」とあります。背景には深刻な水源問題と政治的思惑が...。

明治前半の東京は多摩川に水源を頼っていましたが、コレラが流行するなど衛生面に不安を抱えていたため、多摩川上流の管理を強めようと、北・西多摩郡の東京への移管を要求したそうです。

一方の神奈川県、「そんなこと言われてもぉ~」と反発するんかと思いきや、多摩で勢いを増す自由党に手を焼いていたらしく、同党を切り離せる移管を渡りに船と歓迎したそうです。おまけに北・西多摩のみならず、自由党の牙城だった南多摩もついでに引き抜いてくれと要求したとか。

肝心の多摩人はどう思ってらっしゃったんでしょうね?当初は激しく抗議したらしいですが、鉄道の開通などを機に徐々に東京への帰属意識を高めていったそうな。大正時代には多摩県の設立や神奈川への編入も浮上したが、逆に今度は多くの住民が反対したそうです。

ナニナニ、たまを引き抜かれて神奈川県は女になったんちゃうかてか?ほうよいな、ほんでおカマクラもあるんやがな。

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