嗟嗟嗟!
テーマ:言葉・漢字
2013/09/19 09:06
先日、淡路島に旅行に行ったことを書きましたが、心残りが一つございまして、それは早朝に出発したために「あまちゃん」を見逃してしまったことでした。しもた~、録画も忘れたぁ~。
てことで、初回からずっと皆視聴(こんな言葉あるんかい?)していた私たち夫婦は失意の水底に沈んでいたのですが、そこに現れた一塊の輝くウニ、いやいや、息子がネットから映像を見つけ出してくれまして、その日の放映を昨日無事見ることができました。
ちょうど、鈴鹿ひろみと太巻が結婚宣言をする話だったのですが、何とこのネット動画、中国語の字幕が出てくるではありませんか。何か、そっちの方も気になってチラチラ横目、いや下目で覗きながら日本語と比較して、ふむふむと。
基本的には漢字ですからね、意味がわかって「なるほどぉ~」と思うところもあります。鈴鹿ひろみ役の薬師丸ひろ子が「うふふ」と笑ったところに「嘿嘿」という字幕が出ましたが、中国語ではこんな風に言うのですね。
「口偏に黒」のような字ですから、漢和大字典で調べると「黙っている」という意味なのですが、二つ並ぶと、だまっていられなくて、思わず声が出てしまうということなんでしょうか。
あまちゃんと言えば、今年の流行語大賞有力候補の「じぇじぇじぇ!」。さて、これはどういう風に言うと思います?こんな言葉は中国語にも無いはずですから、おそらく訳者が創作したのだと思いますが、今日のタイトルである「嗟嗟嗟!」となっておりました。
この「嗟」という字は、「ああ」という感嘆詞で「感動したときにする舌打ちのちぇっという音をあらわす擬声語」とあります。「嗟嗟」と二つ並べたものは漢和大字典にも載ってまして、やはり「感嘆する声をあらわすことば」とあります。ひょっとすると、中国語で「じぇじぇ」と発音するのでしょうか。
ちなみに、「嗟嗟嗟」でGoogle検索したら、しょっぱなに「この動画」が出てきたべ~、嗟嗟嗟嗟嗟嗟!
てことで、初回からずっと皆視聴(こんな言葉あるんかい?)していた私たち夫婦は失意の水底に沈んでいたのですが、そこに現れた一塊の輝くウニ、いやいや、息子がネットから映像を見つけ出してくれまして、その日の放映を昨日無事見ることができました。
ちょうど、鈴鹿ひろみと太巻が結婚宣言をする話だったのですが、何とこのネット動画、中国語の字幕が出てくるではありませんか。何か、そっちの方も気になってチラチラ横目、いや下目で覗きながら日本語と比較して、ふむふむと。
基本的には漢字ですからね、意味がわかって「なるほどぉ~」と思うところもあります。鈴鹿ひろみ役の薬師丸ひろ子が「うふふ」と笑ったところに「嘿嘿」という字幕が出ましたが、中国語ではこんな風に言うのですね。
「口偏に黒」のような字ですから、漢和大字典で調べると「黙っている」という意味なのですが、二つ並ぶと、だまっていられなくて、思わず声が出てしまうということなんでしょうか。
あまちゃんと言えば、今年の流行語大賞有力候補の「じぇじぇじぇ!」。さて、これはどういう風に言うと思います?こんな言葉は中国語にも無いはずですから、おそらく訳者が創作したのだと思いますが、今日のタイトルである「嗟嗟嗟!」となっておりました。
この「嗟」という字は、「ああ」という感嘆詞で「感動したときにする舌打ちのちぇっという音をあらわす擬声語」とあります。「嗟嗟」と二つ並べたものは漢和大字典にも載ってまして、やはり「感嘆する声をあらわすことば」とあります。ひょっとすると、中国語で「じぇじぇ」と発音するのでしょうか。
ちなみに、「嗟嗟嗟」でGoogle検索したら、しょっぱなに「この動画」が出てきたべ~、嗟嗟嗟嗟嗟嗟!
父と乳と母と毋
テーマ:言葉・漢字
2013/09/18 09:30
先日、私が高校生のときに考えた秩父事件の年号(1884年)の覚え方「いい母よいちち持っている」に関し、その中の「ちち」について、喧しき議論が渦巻いておりました。これは「父」なのか、あるいは「乳」なのかと。いやむしろ「秩」だろうと。
事の真偽は措いときまして、皆さん「母」という字の成り立ちはよくご存知ですよね。そうです、乳首をつけた女性を描いた象形文字ですよね。むしろ、おっぱいそのものを横にして字にしたような感じですが、よく見ると母という字の中には、ちゃんと「女」がありますよね。
さて、「母」に対して「父」という字は一体どういう意味なのか?何か泣きそうになっている情けないおっさんの顔に見えないこともありませんが。これは「おの+手」の会意文字で、手に石斧を持って打つ姿を示すそうな。(ちなみの、斧の原字とか)
もともと成人した男性を示すのに、「夫(おとこ)」という字を用いたが、のち「父」の字も「おとこ」の意に当て、細分して父は「ちち」を、夫は「おとこ、おっと」を表すようになったそうです。
さて、注目の「乳」ですが、見たところちっとも乳らしくないわけですが、この字の左の部分は「子どもを手でおおってかばうさま」であり、一方右の部分は乙鳥の乙(つばめ)の変形。中国ではつばめは子授けの使いだと信じられていたそうです。
「孚+乙(つばめ)」の会意文字で、子を育てるの意を示し、やわらかくねっとりとした意を含む、と字典にはありますが、字だけ見てるとそんな意味が含まれてるとは思えませんで、むしろ「母」と「乳」は逆にしたいくらいです。
あ、そうそう、母という字を「毋」と書く人いませんか?これね、全然違う意味みたいですよ。これは「なかれ」という禁止をあらわすことば。毋は「女+━印」からなり、女性を犯してはならないと差し止めることを━印で示した指示文字だそうです。
くれぐれも、誤用されること毋れ。
事の真偽は措いときまして、皆さん「母」という字の成り立ちはよくご存知ですよね。そうです、乳首をつけた女性を描いた象形文字ですよね。むしろ、おっぱいそのものを横にして字にしたような感じですが、よく見ると母という字の中には、ちゃんと「女」がありますよね。
さて、「母」に対して「父」という字は一体どういう意味なのか?何か泣きそうになっている情けないおっさんの顔に見えないこともありませんが。これは「おの+手」の会意文字で、手に石斧を持って打つ姿を示すそうな。(ちなみの、斧の原字とか)
もともと成人した男性を示すのに、「夫(おとこ)」という字を用いたが、のち「父」の字も「おとこ」の意に当て、細分して父は「ちち」を、夫は「おとこ、おっと」を表すようになったそうです。
さて、注目の「乳」ですが、見たところちっとも乳らしくないわけですが、この字の左の部分は「子どもを手でおおってかばうさま」であり、一方右の部分は乙鳥の乙(つばめ)の変形。中国ではつばめは子授けの使いだと信じられていたそうです。
「孚+乙(つばめ)」の会意文字で、子を育てるの意を示し、やわらかくねっとりとした意を含む、と字典にはありますが、字だけ見てるとそんな意味が含まれてるとは思えませんで、むしろ「母」と「乳」は逆にしたいくらいです。
あ、そうそう、母という字を「毋」と書く人いませんか?これね、全然違う意味みたいですよ。これは「なかれ」という禁止をあらわすことば。毋は「女+━印」からなり、女性を犯してはならないと差し止めることを━印で示した指示文字だそうです。
くれぐれも、誤用されること毋れ。
市民が声カラス
テーマ:まちづくり
2013/09/17 09:00
先日、某町の自治会長をしている又従兄弟から、私の知り合いの市会議員さんに相談したいことがあるので仲介してくれないかという依頼を受けました。
市会議員さんに物事を頼むという場合、どうも通常の手続では時間がかかったり却下されるところを、何とか圧力をかけてゴリ押しして無理を通してもらうというイメージがありまして、そんな話ならお断りしようと思っていたのですが...。
彼の持ち込んだ話題はカラス。この辺りですと八幡宮にねぐらがあり、私も以前に書いたことがありますが、早朝や夕方などに市役所近辺の電線にずらりと並んでいる光景は皆様ご覧になったことがあろうかと思います。
彼の隣の町も電線がカラスの集合場所となり、鳴き声や糞害に悩まされていたそうですが、関電に依頼して電線にカラスが忌避する装置をつけてもらったそうです。で、300羽のカラスたち、どうしたかというと、隣の電線に移って来て、今度は彼の住む町が同様の被害に遭うようになった。
で、町内の方たちからの苦情を受けて、隣町同様に関電に対策を要請したわけです。普通はここで終わりです。自分の町の問題が解決すれば、とりあえずOK。でも、彼の偉いのは、これでは根本的なカラス問題は解決されず、問題が隣の町へ順送りされるだけだと気がつき行動に移したこと。
まず、市の環境保全課、続いて市長さんにも直接メールを送り、市のカラス対策を問うとともに、自らも東京などの都市部の施策についても学習し、長浜市が防鳥ネットなどの餌場対策に終始し、捕獲による絶対数減少には全く取り組んでいないことを察知します。
このままでは、カラスは生息数を維持、いや拡大しながら集合所が中心市街地にどんどん近づいていく。そこで、そこに暮らす私や市議さんに話を持ちかけ、そうなる前に市に根本対策の策定を迫るべきではないかと提案してきたわけです。
実は昨日3人で協議したのですが、やはり長浜市はカラスに対して防御ネット以外の対策らしい対策は講じておらず、関電任せというのが実情のようです。自町の問題を全市的な問題として捉えた彼の慧眼に敬意を表するとともに、市議にはその声を「議会を通して」是非市政に届けて改善をお願いしたいと思います。
ちなみに私は、カラスのエサとなる生ゴミ減量対策として、「ディスポーザー」の設置について研究、検討をお願いしますと要望しておきました。欧米では普及しており、日本でも群馬県伊勢崎市や富山県黒部市などでは自治体主導で設置が促進されているようです。
市会議員さんに物事を頼むという場合、どうも通常の手続では時間がかかったり却下されるところを、何とか圧力をかけてゴリ押しして無理を通してもらうというイメージがありまして、そんな話ならお断りしようと思っていたのですが...。
彼の持ち込んだ話題はカラス。この辺りですと八幡宮にねぐらがあり、私も以前に書いたことがありますが、早朝や夕方などに市役所近辺の電線にずらりと並んでいる光景は皆様ご覧になったことがあろうかと思います。
彼の隣の町も電線がカラスの集合場所となり、鳴き声や糞害に悩まされていたそうですが、関電に依頼して電線にカラスが忌避する装置をつけてもらったそうです。で、300羽のカラスたち、どうしたかというと、隣の電線に移って来て、今度は彼の住む町が同様の被害に遭うようになった。
で、町内の方たちからの苦情を受けて、隣町同様に関電に対策を要請したわけです。普通はここで終わりです。自分の町の問題が解決すれば、とりあえずOK。でも、彼の偉いのは、これでは根本的なカラス問題は解決されず、問題が隣の町へ順送りされるだけだと気がつき行動に移したこと。
まず、市の環境保全課、続いて市長さんにも直接メールを送り、市のカラス対策を問うとともに、自らも東京などの都市部の施策についても学習し、長浜市が防鳥ネットなどの餌場対策に終始し、捕獲による絶対数減少には全く取り組んでいないことを察知します。
このままでは、カラスは生息数を維持、いや拡大しながら集合所が中心市街地にどんどん近づいていく。そこで、そこに暮らす私や市議さんに話を持ちかけ、そうなる前に市に根本対策の策定を迫るべきではないかと提案してきたわけです。
実は昨日3人で協議したのですが、やはり長浜市はカラスに対して防御ネット以外の対策らしい対策は講じておらず、関電任せというのが実情のようです。自町の問題を全市的な問題として捉えた彼の慧眼に敬意を表するとともに、市議にはその声を「議会を通して」是非市政に届けて改善をお願いしたいと思います。
ちなみに私は、カラスのエサとなる生ゴミ減量対策として、「ディスポーザー」の設置について研究、検討をお願いしますと要望しておきました。欧米では普及しており、日本でも群馬県伊勢崎市や富山県黒部市などでは自治体主導で設置が促進されているようです。
淡路と淡海
テーマ:旅日記
2013/09/16 09:34
野島断層保存館に向かう途中の四つ角で「→伊弉諾(いざなぎ)神宮 1km」という表示が目に入りまして、そんな近くなら参拝しない手はないと立ち寄ることにいたしました。
日本列島の中で最初に淡路島が作られたという国生み神話がございますが、そこに登場するいざなぎ、いざなみが祀られております。そう、多賀大社と同じですね。しかも、この神社の所在地も多賀という地名ですから何らかの関連がありそうです。
やや小ぶりな太鼓橋
売店で女店員さんに滋賀県から来たことを伝え、「滋賀県の多賀大社とは何か関わりがあるのですか?」と尋ねますと、「祭神が同じですけど、あちらは大社で、こちらは神宮なので...」とやや決まり悪そうな返事。
しかし話しているうちに、おもむろに下の絵の描いたフリップを取り出し、「実は伊弉諾神宮は緯度が伊勢神宮と全く同じで」と話し出されます。何でもそこから28度30分東北のライン上には諏訪大社、北西には出雲大社、南西には高千穂神社、南東には那智大社があるんだそうです。
現在の格は多賀大社の方が上だけど、これを見たらこっちの方がホンマもんやということがわかるでしょ、という間接的な反撃です。古事記に「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)」という記述がありますが、淡海は淡道(淡路島)の誤写であるという説も確かにあるそうな。
また「琵琶湖と淡路島は大きさがほぼ同じで大阪の吹田あたりで180度回転させるとぴたりと重なるんですよ」と両者の不思議な因縁を語り出します。昔ダイダラボッチ伝説というのを聞いたことがありますが、それ以外にもポルトガル沖に落ちた隕石の影響で琵琶湖の部分が吹っ飛んで淡路島になったという説もあるみたいですね。
で、この女店員さん、何を思ったか「もっと面白い話があるんです」と今度は同神社を中心に五芒星の書かれたフリップを取り出し、ユダヤ=日本同一発生説について話し出すではありませんか。「ユダヤ 君が代」でネット検索してみて下さい。鳥肌立ちますよ、と。
ま、その説は飛躍し過ぎなんでしょうけど、淡路と淡海(近江)の間柄、多摩が神奈川県から東京都に移った例もありますし、兵庫県に対して淡路を滋賀県に返してくれと言ってみてはどうでしょうか?
日本列島の中で最初に淡路島が作られたという国生み神話がございますが、そこに登場するいざなぎ、いざなみが祀られております。そう、多賀大社と同じですね。しかも、この神社の所在地も多賀という地名ですから何らかの関連がありそうです。
やや小ぶりな太鼓橋
売店で女店員さんに滋賀県から来たことを伝え、「滋賀県の多賀大社とは何か関わりがあるのですか?」と尋ねますと、「祭神が同じですけど、あちらは大社で、こちらは神宮なので...」とやや決まり悪そうな返事。
しかし話しているうちに、おもむろに下の絵の描いたフリップを取り出し、「実は伊弉諾神宮は緯度が伊勢神宮と全く同じで」と話し出されます。何でもそこから28度30分東北のライン上には諏訪大社、北西には出雲大社、南西には高千穂神社、南東には那智大社があるんだそうです。
現在の格は多賀大社の方が上だけど、これを見たらこっちの方がホンマもんやということがわかるでしょ、という間接的な反撃です。古事記に「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)」という記述がありますが、淡海は淡道(淡路島)の誤写であるという説も確かにあるそうな。
また「琵琶湖と淡路島は大きさがほぼ同じで大阪の吹田あたりで180度回転させるとぴたりと重なるんですよ」と両者の不思議な因縁を語り出します。昔ダイダラボッチ伝説というのを聞いたことがありますが、それ以外にもポルトガル沖に落ちた隕石の影響で琵琶湖の部分が吹っ飛んで淡路島になったという説もあるみたいですね。
で、この女店員さん、何を思ったか「もっと面白い話があるんです」と今度は同神社を中心に五芒星の書かれたフリップを取り出し、ユダヤ=日本同一発生説について話し出すではありませんか。「ユダヤ 君が代」でネット検索してみて下さい。鳥肌立ちますよ、と。
ま、その説は飛躍し過ぎなんでしょうけど、淡路と淡海(近江)の間柄、多摩が神奈川県から東京都に移った例もありますし、兵庫県に対して淡路を滋賀県に返してくれと言ってみてはどうでしょうか?
断層の例示ん
テーマ:旅日記
2013/09/15 09:25
去る9月11日で東日本大震災から2年半が経過し、各紙が被災地の現状を取り上げていましたが、ややもすると当事者でない者にとっては災害の記憶はどんどん風化していきます。
ましてや阪神淡路大震災は平成7年1月17日ですから、もう18年以上も経ってしまっているんですね。今回淡路島に行ってどうしても訪れたかったのが野島断層保存館。
東日本大震災では津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられましたが、この施設を見れば活断層型の地震の凄まじさも改めて再認識させられます。
まずエントランスゾーンには、無残に屈曲した陸橋とそれが割れてトラックが落ちたところを再現するモニュメントが。
さらには、震災で地上に露出した野島断層を140mの区間にわたり屋根で覆い保存・展示しており、これはいわば野外そのまんま博物館。「国指定天然記念物」という長閑な称号がこれほど似合わないものも無いのではないでしょうか。
他にも、震度7でも倒壊せず残った鉄筋造の住宅がそのままメモリアルハウスとして公開されており、震災直後のダイニングキッチンの惨状などが再現されていました。柱が傾き床も水平ではなくなった後もしばらく住居として使用されていたとのこと。
最後に我々を待っていたのは、当時の揺れを再現体感できる地震体験館。係員さんに促され椅子に座り、揺れが来る瞬間を唾を飲み込む思いで待つ緊張感。最初に震度7の揺れ、そしてしばらくして震度4の余震。
十分に覚悟し、しかも床に固定された支えにつかまってでもあの恐怖ですから、これが突然訪れしかも倒壊物が周りにあるとしたら、この世の終末を覚悟して念仏でも唱えるしか無いのではないかと想像します。
「日本はいつどこで大地震が来ても不思議ではない。過度に恐れること無く、しかし被害を最小限に抑えるために備えるしかないのだ」。映像の最後に出てきたそんなような趣旨の言葉はまさに諦観の境地としか言いようのないもので、日本人として日本に生きる覚悟を突きつけられるような思いでした。
ましてや阪神淡路大震災は平成7年1月17日ですから、もう18年以上も経ってしまっているんですね。今回淡路島に行ってどうしても訪れたかったのが野島断層保存館。
東日本大震災では津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられましたが、この施設を見れば活断層型の地震の凄まじさも改めて再認識させられます。
まずエントランスゾーンには、無残に屈曲した陸橋とそれが割れてトラックが落ちたところを再現するモニュメントが。
さらには、震災で地上に露出した野島断層を140mの区間にわたり屋根で覆い保存・展示しており、これはいわば野外そのまんま博物館。「国指定天然記念物」という長閑な称号がこれほど似合わないものも無いのではないでしょうか。
他にも、震度7でも倒壊せず残った鉄筋造の住宅がそのままメモリアルハウスとして公開されており、震災直後のダイニングキッチンの惨状などが再現されていました。柱が傾き床も水平ではなくなった後もしばらく住居として使用されていたとのこと。
最後に我々を待っていたのは、当時の揺れを再現体感できる地震体験館。係員さんに促され椅子に座り、揺れが来る瞬間を唾を飲み込む思いで待つ緊張感。最初に震度7の揺れ、そしてしばらくして震度4の余震。
十分に覚悟し、しかも床に固定された支えにつかまってでもあの恐怖ですから、これが突然訪れしかも倒壊物が周りにあるとしたら、この世の終末を覚悟して念仏でも唱えるしか無いのではないかと想像します。
「日本はいつどこで大地震が来ても不思議ではない。過度に恐れること無く、しかし被害を最小限に抑えるために備えるしかないのだ」。映像の最後に出てきたそんなような趣旨の言葉はまさに諦観の境地としか言いようのないもので、日本人として日本に生きる覚悟を突きつけられるような思いでした。