断層の例示ん
テーマ:旅日記
2013/09/15 09:25
去る9月11日で東日本大震災から2年半が経過し、各紙が被災地の現状を取り上げていましたが、ややもすると当事者でない者にとっては災害の記憶はどんどん風化していきます。
ましてや阪神淡路大震災は平成7年1月17日ですから、もう18年以上も経ってしまっているんですね。今回淡路島に行ってどうしても訪れたかったのが野島断層保存館。
東日本大震災では津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられましたが、この施設を見れば活断層型の地震の凄まじさも改めて再認識させられます。
まずエントランスゾーンには、無残に屈曲した陸橋とそれが割れてトラックが落ちたところを再現するモニュメントが。
さらには、震災で地上に露出した野島断層を140mの区間にわたり屋根で覆い保存・展示しており、これはいわば野外そのまんま博物館。「国指定天然記念物」という長閑な称号がこれほど似合わないものも無いのではないでしょうか。
他にも、震度7でも倒壊せず残った鉄筋造の住宅がそのままメモリアルハウスとして公開されており、震災直後のダイニングキッチンの惨状などが再現されていました。柱が傾き床も水平ではなくなった後もしばらく住居として使用されていたとのこと。
最後に我々を待っていたのは、当時の揺れを再現体感できる地震体験館。係員さんに促され椅子に座り、揺れが来る瞬間を唾を飲み込む思いで待つ緊張感。最初に震度7の揺れ、そしてしばらくして震度4の余震。
十分に覚悟し、しかも床に固定された支えにつかまってでもあの恐怖ですから、これが突然訪れしかも倒壊物が周りにあるとしたら、この世の終末を覚悟して念仏でも唱えるしか無いのではないかと想像します。
「日本はいつどこで大地震が来ても不思議ではない。過度に恐れること無く、しかし被害を最小限に抑えるために備えるしかないのだ」。映像の最後に出てきたそんなような趣旨の言葉はまさに諦観の境地としか言いようのないもので、日本人として日本に生きる覚悟を突きつけられるような思いでした。
ましてや阪神淡路大震災は平成7年1月17日ですから、もう18年以上も経ってしまっているんですね。今回淡路島に行ってどうしても訪れたかったのが野島断層保存館。
東日本大震災では津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられましたが、この施設を見れば活断層型の地震の凄まじさも改めて再認識させられます。
まずエントランスゾーンには、無残に屈曲した陸橋とそれが割れてトラックが落ちたところを再現するモニュメントが。
さらには、震災で地上に露出した野島断層を140mの区間にわたり屋根で覆い保存・展示しており、これはいわば野外そのまんま博物館。「国指定天然記念物」という長閑な称号がこれほど似合わないものも無いのではないでしょうか。
他にも、震度7でも倒壊せず残った鉄筋造の住宅がそのままメモリアルハウスとして公開されており、震災直後のダイニングキッチンの惨状などが再現されていました。柱が傾き床も水平ではなくなった後もしばらく住居として使用されていたとのこと。
最後に我々を待っていたのは、当時の揺れを再現体感できる地震体験館。係員さんに促され椅子に座り、揺れが来る瞬間を唾を飲み込む思いで待つ緊張感。最初に震度7の揺れ、そしてしばらくして震度4の余震。
十分に覚悟し、しかも床に固定された支えにつかまってでもあの恐怖ですから、これが突然訪れしかも倒壊物が周りにあるとしたら、この世の終末を覚悟して念仏でも唱えるしか無いのではないかと想像します。
「日本はいつどこで大地震が来ても不思議ではない。過度に恐れること無く、しかし被害を最小限に抑えるために備えるしかないのだ」。映像の最後に出てきたそんなような趣旨の言葉はまさに諦観の境地としか言いようのないもので、日本人として日本に生きる覚悟を突きつけられるような思いでした。