めあてへの違和感
テーマ:よもやま話
2013/09/26 09:49
先日の小学校の運動会。入場行進のとき、「今年の運動会の目当ては....」という先生のアナウンスの声。あぁまた出たか。いやいや運動会に限らず、学校訪問で授業を見せていただく時にも盛んに出てくる、この「めあて」という言葉、どうも違和感がぬぐえません。
まあ、小学校でしか使われませんから、おそらく「目標」とか「課題」とかいう意味で使われてるんでしょうね。まだ難しい語句は習っていないので、小学生らしいやさしい言葉で、という計らいなのでしょうか。
でもね、無意識的にであるにせよ、先生方は同じような意味で「目標」とか「課題」とか結構話し言葉の中で使っていて、子供たちもそうした言葉の意味を理解しているはずだと思うんですけど、いざ「教育」という畏まった裃をつけてとなると、不思議と「この単元のめあて」とか「運動会のめあて」とかになるんですよね。
「めあて」という言葉、確かにそれらしい意味で国語辞典に載っているのですが、一般社会でこの意味で「めあて」を使うことはほとんどないと思います。いや、悪い意味では結構ひんぱんに使われていると言った方が正確かもしれません。
試しに、「語感の辞典」でこの言葉を引いてみましょう。こう書いてあります。「狙いや目印の意で、主に会話に使われる日常の和語」。で、用例が「お目当ての品」「金目当ての行動」。あるいは「体目当て」などという下種な言い方もあり、とにかく欲得と結びついていて高尚なイメージはありません。
どうもこの言葉、社会的には教育界が意図している意味からほど遠いところに追いやられてしまっているのではないか。いやいや、「めあて」の本来のニュアンスを子供のうちから正しく身につけさせるためにわざと使っているのだ、というそれこそ崇高な「めあて」があるのでしょうか?
まあ、小学校でしか使われませんから、おそらく「目標」とか「課題」とかいう意味で使われてるんでしょうね。まだ難しい語句は習っていないので、小学生らしいやさしい言葉で、という計らいなのでしょうか。
でもね、無意識的にであるにせよ、先生方は同じような意味で「目標」とか「課題」とか結構話し言葉の中で使っていて、子供たちもそうした言葉の意味を理解しているはずだと思うんですけど、いざ「教育」という畏まった裃をつけてとなると、不思議と「この単元のめあて」とか「運動会のめあて」とかになるんですよね。
「めあて」という言葉、確かにそれらしい意味で国語辞典に載っているのですが、一般社会でこの意味で「めあて」を使うことはほとんどないと思います。いや、悪い意味では結構ひんぱんに使われていると言った方が正確かもしれません。
試しに、「語感の辞典」でこの言葉を引いてみましょう。こう書いてあります。「狙いや目印の意で、主に会話に使われる日常の和語」。で、用例が「お目当ての品」「金目当ての行動」。あるいは「体目当て」などという下種な言い方もあり、とにかく欲得と結びついていて高尚なイメージはありません。
どうもこの言葉、社会的には教育界が意図している意味からほど遠いところに追いやられてしまっているのではないか。いやいや、「めあて」の本来のニュアンスを子供のうちから正しく身につけさせるためにわざと使っているのだ、というそれこそ崇高な「めあて」があるのでしょうか?