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南宮大社

テーマ:よもやま話
垂井の曳山祭は八重垣神社のお祭りであると昨日申し上げました。しかし、垂井といえば思いつくのは、やはり「南宮大社」であります。実は、曳山祭も南宮大社のお祭りだと思っておりました。

さて折角垂井に来ているわけですから、稽古の合間に南宮大社にも参拝することにいたしました。知ったかぶりをしていますが、お参りするのは初めてです。

大駐車場に境内案内図が設置されております。ご覧の通り、かなり広い境内です。下の写真の門をくぐりますと広い境内が現れます。多賀大社のように太鼓橋もございますが、通行すること罷りならぬ状態です。


中央奥が拝殿ですが、この奥に本殿等が連なっておりますが、現在修復工事の真っ最中のようです。え~、例によって小市民的儀式を済ましたことは改めて言うまでもありませんが、言ってしまいました。

南宮大社というますと、皆様よくご存知なのは、何と言いましてもこの大鳥居ではないでしょうか。超巨大です。国道21号線を大垣方面へ向かって右側にそびえたっております。ちなみにこの写真を撮っている瞬間に真上を新幹線が走る音がいたしました。こんなところを新幹線の高架が走っております。大野伴睦さんが地元民の反対をねじ伏せたんでしょうね、きっと。

実は国道21号線を横断いたしまして、さらにずっと北へ行ったところにもう一つ南宮大社の鳥居がございます。ここは旧中山道、つまり旧垂井町になりまして、このあたりが垂井曳山祭の舞台となります。私がお世話になっている中町紫雲閣の千秋楽の芸(5月4日 20時20分より)も、この鳥居元で行なわれます。(これって宣伝?)

遅ればせなる公開が

テーマ:曳山・歌舞伎
さて、いよいよ昨日より垂井へやって参りました。「何しに?」「唄いに!」「カラオケ?」「浄瑠璃!」ということで、5月2,3,4日の垂井曳山祭本番に向けて、稽古入りであります。芸題は「義経千本桜吉野山」。忠信が登場する時に「遅ればせなる忠信が!」などという浄瑠璃がございますが、諸事情でブログ公開が遅れてしまいました。

何はともあれ、まずは狂言奉納をいたします八重垣神社に参詣です。その前に、垂井曳山祭の起源は長浜より古く、南北朝時代の1353年、北朝の後光厳天皇が京から垂井に逃げて来られた時に、里人が花車3台を造って曳き回しお慰めしたのが始まりとのことです。

ということで、神社は意外と小振りではありますが、由緒ある歴史を有しております。
中へずずいと入って行きましょう。祭の成功と健康を祈って拍手を打ちます。

お~っと、その前に忘れてはいけません、ケガレ祓いの儀式を。

うん?賽銭箱の右の方に何か書いてありまして、スリットが設けられているではありませんか。「お札入口」とあります。なるほど、これはなかなか引き込まれます。さすがお札には特別優待入場口が準備されているわけです。

逸る思いをぐっと堪えまして、小市民1号は100円玉を投げ入れ、チャリンの音を確かめて安堵いたしました。外には、このような献金札がずらっと並べられております。

例大祭の欄には、ただ一人「中村津多七」の名が。私がお世話になる中町紫雲閣の振付さんであります。目立っています。コストパフォーマンス高いです。ここで師匠に続けば、私の名も書いてもらえるのでしょうか?ちょっと迷いが見られた垂井初日です。

早すぎますぞえ

テーマ:政治
何だか民主党の敵失で支持率が上がってきて、最近上機嫌の麻生首相。最新の日経と産経の調査では、ともに30%近くに上昇だとか。とはいえ、まちの中から麻生さんの顔は消えたような気がする。そう、ちょうどお祖父さんの吉田茂邸が消失したのと期を一にして....。

代わりに目立ち始めたこのポスター

麻生さんと一緒に写っていては選挙に勝てない。白羽の矢が立ったのは、頭に白羽の矢の吸盤がくっつきそうなこのお方。

でも、よく見るとこのポスター、自民党滋賀県支部の集会の宣伝ポスター。何と開催時期が平成21年12月12日(土)と書いてある。12月ってあんた、今まだ4月でっせ。

「その時も代議士でいるんだ」というその意気やよし。あるいはそん時の首相がこの右側のQPさんということですかい?いずれにせよ、このポスター、ちょっと早すぎますぞえ。

当選したがや

テーマ:政治
長浜の皆さん、おはようございます。名古屋市長に選ばれた河村たかしだがや。おぼえとってくれたかの?

これ、どこか~て?ここはあんた、油甚さんの近所だがや。向かいの金物屋さんが写っとるでしょう。

わざわざ、何しに来たかて?そら、名古屋市長選に勝ったお礼言いに、八幡さんにおみゃ~りに来たんだがゃ。

まあともかく、名古屋は市民税10%減するもんでね。見とってちょ。



(追記)
この写真は2006/7/16に撮影されたものです。長浜観光協会の清水さん、勝手に借用してごめんなさい。ちなみにその時、当店にもお立ち寄りさいまして、お話もさせていただきました。ご当選おめでとうございました。

賽銭を投げる

テーマ:よもやま話
以前から何回か申し上げておりますが、毎月1日は多賀大社に参拝しております。しかし来月1日は昨年と全く同じよんどころのない事情で参拝がかないませんので、一足早く昨日お参りいたしました。

先月の1日参り同様、天気は雨。私も他人(ひと)のことを「○○○○あめさん」などと偉そうに言えません。

1日に比べますと参拝客も少なく、境内は比較的ひっそりとしておりました。財布から小銭を取り出しまして、賽銭箱に投げ入れ、参拝。

それにしても、なぜ日本人は賽銭を投げるんでしょうね?「神様に対して失礼じゃないか」とか「願いをかなえてもらうのに小銭はないやろ」などと、一般ピープルとしては考えてしまうのではないでしょうか?

こんな疑問をそのものずばりタイトルにした本を昔読みました。新谷尚紀氏著の「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」(文春新書)です。

「貨幣はケガレの吸引装置」「神社はケガレの吸引浄化装置」などと書いてありましたから、多分自分のケガレを貨幣に吸い込ませ、それを神社にお渡しして、ケガレを取り除いていただく行為である、という解釈なのでしょう。

また、通常贈与(物を贈ること)によって、物を贈った方が送られた方より立場が上に立って上下関係が発生するが、賽銭の場合は、ケガレのついた金を投げ捨てる儀式なので、カミとの間に上下関係が生まれるわけではなく、これは経済行為ではなく、厄払いである。といったちょっと小難しいことが書いてありました。

ぉ多賀さんの月参り、私の場合は100円玉を賽銭として投げ入れます。子供と一緒に参る時などは、「お前は子供だから」と10円玉を渡したりいたします。子どもの方がケガレが少ないと思われますので、そういう意味では上記の理屈に合っております。

それでも、財布の中身を見まして、500円玉と10円玉しか入ってない時などは、妙にドギマギいたしまして、一瞬投げ入れる硬貨の選択を逡巡してしまう私は、実に小市民だなあと思うわけです。
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