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復カツ

テーマ:よもやま話
東京農大の名誉教授で発酵学者の小泉武夫さんが、日経新聞に「食あれば楽あり」というコラムを書いておられます。氏は自ら「味覚人飛行物体」「発酵仮面」「ムサボッリチ・カニスキー」などと名乗るほどの食通で、1994年には余呉町にできた「日本発酵機構余呉研究所」の所長も務めておられました。

で、昨日のコラムのテーマが「メンチカツかハムカツか」だったんです。正しいメンチカツは、ひき肉に玉ねぎのみじん切りをを加えて小判形にまとめパン粉の粉をつけて油で揚げたもの、なんだけど、昔のメンチカツはそんな正統なものは少なく、鯨の赤肉か魚肉ソーセージ、あるいは超薄切りのハムを揚げたものだった、と書いてある。

そうそう、ハムカツって妙にうまいですよね。あれは、本当にハムカツが美味いのか、やはり小さい時に、まがい物として食べてきた味覚が大人になった今でも引き継がれているのかよくわからんのだけれども、いずれにしても美味い。小泉氏は「威風堂々、青春の味」なんて表現してるけど、そんな大げさなもんでもないな。

さて、2月は通常の月よりも短くて、今年はうるう年で1日多いとはいえ、はや月末。昨日は車で集金に回っておりました。榎木や加納方面にも参りまして11時も過ぎましたので、久しぶりに「CHIT CHAT CIRCUS」のパンでも買っていこうかと立ち寄ることに。

ここにはねぇ、「ハムカツサンド」がある、いや正確に言うとあったんですよぉ。結構肉厚のハムが揚げてあって、それを食パンに挟んだものが二切れ入っていて300円だったかな?これを楽しみに毎月一度はここへ通っていたこともありました。

ところが、いつぞやからこのお気に入りパンが店頭から姿を消し、「牛カツサンド」とか「味噌カツサンド」などにその座を奪われてしまいました。行く度に復活していないかと期待しながら空しく日は過ぎていきました。「ハムカツないんですか?」「すみませ~ん。もうやってないんですぅ」なんていうレジでのやり取りもしばしば。

ところが、昨日何と商品棚にハムカツ発見。おぉ、何という巡り合せ。日経新聞の小泉コラムの恩寵か。他のお客に先を越されまいと、さっと棚に近づき、おもむろに2個掴みとって、さっとトレイに乗せて一安心。

帰って、一口パクリ。二口パクリ。うまい、うまい。小泉氏の表現を借りるなら、さしずめ次の通り。「少しプリプリとした感覚の中からハムのうま味が出てくる。そこに揚げ油からの重厚なコクがペナペナと付き、ドロリとしたとんかつソースからの香辛料の香りと甘辛酸のエキゾチックな味が包み込む」

CIRCUSさん、折角復活させたんだから、もうハムカツ落としはせんといてな。

おべっかとおべんちゃら

テーマ:言葉・漢字
「おべっかを使う」とよく言いますが、この「おべっか」の語源がようわからんのです。広辞苑にも大辞泉にも載ってないし、ネットの語源由来辞典にもない。どこかのサイトに英語の「obeisance(敬礼)」から、と書いてあったけど、もう一つピンと来ないんです。

似た言葉の「おべんちゃら」はどうやら京都の祇園言葉のようで、漢字では「弁茶羅」と書くそうですが(?)、「弁」が「チャラチャラ」してるという意味でしょうか。で、銀行や大手企業に媚ばかり売ってる中小企業を最近は「べんちゃら企業」なんていうそうです。

同じく「胡麻をする」は簡単ですね。片方の手のひらの上でもう一方のこぶしを回転させて相手に媚びる様が、擂鉢で胡麻を擂る姿を連想させるから。英語では「butter up」とか「polish apple」とか言うそうです。パンにバターをなすり付ける姿やりんごを磨く姿も同様に相手にへつらう姿に結びつくんですね。

さらに、「胡麻をする人」のことを表現するのに「brown-noser」というのがあるそうです。真っ赤なお鼻のトナカイさんなら知ってますが、「鼻が茶色い人」って一体どういうことでしょうね?

「人にへつらう、媚を売る」ということを表すのに「kiss one's ass」、つまり「〇〇のお尻にキスをする」というフレーズがあるそうです。人の尻にキスするくらいですからよっぽどですわね。で、尻にキスをするとどうなるか?→鼻が〇の穴に入る→ウ〇チが鼻につく→鼻が茶色になる、というわけ。

なんだか、これがホンマの「お便茶ら」みたいになってきましたね。ま、ここまで媚びができるような人は別格。ん?別格かぁ。「お宅は別格ですわ~」→「ほんま御別格ですわ~」と妙におだてるから「おべっかく」略して「おべっか」。これまた個じんとにっく解釈。

それが大字

テーマ:よもやま話
日経プラス1の「実践マナー塾」というコラムを読んでおりましたら、結婚式の祝儀について次のように書かれてありました。

「金額を祝儀袋に書く時に『金1万円也』と書く人がいますが、『也』はもともと定価につけたもので『である』という意味ですので、つけなくてもよいと思います。『金壱萬圓』と書く人もいますが、『金一万円』でよいのです」

皆さんはいかがでしょうか?私の場合、「金壱萬円也」と書くなあ。「也」はつけないと何か締まりませんやろ、バランス的にも。あと円は簡単な字を書いちゃいますけど、数字は難しい方の字を書きますね。こっちの方が箔がついて有難味が増す。同じ額でも「金一万円」候より沢山入ってるような気がするし。

さて、この難しい漢数字を「大字(だいじ)」と呼ぶそうであります。どういう時に用いられるのか?文字通り大事な書類、法的な文書などに使われます。

例えば、「一万円」と書かれた領収書に「一」や「|」を加えると、簡単に「二万円」や「十万円」になってしまいますわな。ですから、画数が少なく改竄が容易な漢数字に画数の多い字を充てて不正を出来なくするようになっているわけです。

現在、一般的に使用されているのは、壱、弐、参、拾等で、法的に使用が定められているのもこの四文字だけのようですが、「四」以下の漢数字にもちゃんと大字があるんですね。

四=肆  五=伍  六=陸   七=柒   八=捌   九=玖

昨今は、チェックライターなる機械が普及しておりますが、小切手や手形などもこういう文字を使って一度切ってみたいものですね。銀行で「支店長~ぉ、これ何て読むんですかぁ~?」という声が聞こえて来るようです。

konjac物語

テーマ:よもやま話
先日、「カタカナ語の常識・非常識」(阿部一/東京書籍)という本を読んでおりまして、コンニャクは英語で「devil's tongue」つまり「悪魔の舌」ということを初めて知りました。

そこには、観光案内や旅行ガイドブックの「料理編」にはよく和英対照で英訳が出ているが、「コンニャク」の英訳を「devil's tongue」と文字通り書いてしまっては、(食材として)まったく理解できないだろうし、食べる気にはならないだろう、といった趣旨のことが書かれてありました。

そもそも、コンニャクなんか食べるの日本人くらいでしょ、と思うのですが、低カロリーがもてはやされる昨今、海外でも普及しているらしく、筆者の助言を取り入れたか、現在では「konjac」としてかなり浸透しているそうです。これって、「コンジャク」ではなく、お酒のコニャック(cognac)のように発音するんでしょうね。

それはともかく、なぜ「悪魔の舌」などと呼ばれたのか?コンニャクのあの色、見映え、感触、臭いなどは確かに「悪魔の舌」だと言われると、うん確かにそうだな、と変に納得してしまいがちではありますね。

ところが、この本を離れてもう少し調べてみると、どうやら「悪魔の舌」と名付けられたのは、製品としてのコンニャクではなく、原料のこんにゃく芋の花の形からの連想らしい。(ブログ:蝉コロンより)
確かにペロペロペローリや

さらに、コンニャク属の学名は「Amorphophallus」。これは古代ギリシャ語の「amorphos」と「phallos」からきていて、意味は「奇妙な形の」「チ◯ポ」なんだとか。古代ギリシャ語だからどうせわからんだろうと、とんでもない名前をつけるから学者というやつは全く油断がなりませんな。

「蒟蒻畑」なんていうヒット商品もありましたけど、本当の蒟蒻畑みたら気持ち悪くて食べられなくなるのでは、と余計な心配をしてしまいます。もっとも日本では群馬県の生産量が9割と言いますから、他府県の人たちは蒟蒻畑の何たるかも知らんわけですね。知らぬがコンニャク、いや仏とはこのことだ。

雀右衛門さん逝く

テーマ:曳山・歌舞伎
昨年、富十郎さん、芝翫さんという名歌舞伎俳優が旅立っていかれましたが、一昨日今度は名女形の中村雀右衛門さんの訃報を聞くことになりました。91歳といいますから、寿命と言ってしまえばそれまでですが、ぽっかり穴の開いた喪失感というか寂しさを禁じえません。

随分以前ですが、雀右衛門の著書「私事」を読みました。「死んだつもりで生きている」という副題がついてありました。一口に歌舞伎俳優といいますが、時代背景もあって色々と紆余曲折があったようです。

戦争中は南方に従軍されトラック運転手もされていたと著書には書かれていました。元々は男役だったそうですが27歳で女形に転向。一時東宝映画に移り佐々木小次郎役で人気を博したそうです。

これは新聞にも書かれていましたが、岳父の七代目松本幸四郎さんから「女形は60歳にならないとものにならないよ」と言われて辛抱を重ねられたそうです。しかし、女性であれば閉経を過ぎた年齢になってから、女形としてものになる、ってんですから不思議なものですね。

瀬川菊之丞という人が書いた「女方秘伝」という本には「男の贔屓多く、あのやうな女あらばと思はるるやう望むことなり」と書かれていたそうですが、雀右衛門さんは確かにお歳を召されてからもなお、みずみずしいお姫様役を全く違和感なく演じたりと色気のある女方であったように思います。

著書「私事」の中に、雀右衛門さんは次のような言葉を残されております。

「大きな流れに翻弄されながら、運がいいとか悪いとか言えるのも生きているからこそ。生きている、そのことだけでもう幸せなのだとつくづく思います。」

確かにそのとおりですね。この言葉を噛み締めながら、雀右衛門さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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