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たいぎ

テーマ:政治
小沢さんを応援するのが「大義」だと

「大義」とは「人として守る道義」という意味ですが、「クリーンな民主党を取り戻す」そう言って小沢幹事長とともに、総理の座を降りた鳩山さんなのに納得が行かない、皆さんそう思っていらっしゃいませんか?

小沢さんを応援するのは「大儀」だよ~

では、「大義」ではなく「大儀」だと考えたらどうなのか?皆さん、「ごたいぎさんですなぁ」とかいいません?例えば、誰かに何かの世話役をお願いしたりする時、あるいは会費を集めたり、祝儀や不祝儀をいただいた時など。この場合の「ごたいぎ」は「大儀」と書くそうであります。

もともと、「大儀」とは①「即位式、朝賀など、朝廷で行なわれる最も重要な儀式」のことで、そこから②「重大な事柄。大事なこと」も意味するようになりましたが、現在は以下の意味で使われることが多いですね。

③やっかいなこと。おっくう。めんどう
④疲れなどのために何もする気になれないこと
⑤費用のかかること

なるほど、こう考えれば、鳩山さんのおっしゃることも腑に落ちるというものです。日本語、そして政治は本当に奥の深いものですね。




小沢さんを応援するとは「大疑」なり!

これこそ、国民の声かもしれませんね。「大疑」とは「大きな疑問。大いに疑うこと」。さて、民主党はどこへ行く?


昔の子どもで出ています(2)

テーマ:よもやま話
先週の日曜日、日経プラス1の記事で「昔の子どもはかわいそう」と思うことはどんなことか、というアンケートを取った結果ランキングについてブログで書きました。

皆さんから色々なコメントを頂戴いたしましたが、一昨日の日経プラス1に今度は「昔の子どもはうらやましいなあ」と思うことはどんなことか、というアンケートの結果(小5から中3までの男女200人対象)が掲載されておりました。

では、例によって10位から。「いじめがなかった(少なかった)(25人)」とありますが、いじめはありました。私が証明します、いじめてましたから。でも、集団で無視したりとか学校裏サイトとかいった陰湿なものは確かにありませんでしたね。今のいじめは全人格否定のような気がします。

9位: 「兄弟(姉妹)がたくさんいて遊び相手がいっぱいいた(36人)」。今の子は大勢で遊ばないというか、数人が集まっても一人ひとり別々のゲームをしていたりと理解に苦しむんですけど、これは兄弟が少ないのも一因なんでしょうか?野球なんかも、スポ小に入っていなければ遊びとしてやらないんじゃないでしょうかね。

8位: 「受験の競争が今ほど激しくなかった(37人)」。これはどうなんでしょう。大学は今の方が圧倒的に入りやすくなっていますよね、学校さえ選ばなければ。少子化もあって子どもの受験に対する親の関心が高くなっている事は事実。

7位: 「エアコンなしでも生活できた(39人)」。これは、前回アンケートの「エアコンがなくてかわいそうだった」の裏返し。まさに私が指摘した通りの結果が出て参りました。

6位: 「どこにでも自由に遊びに行けた(41人)」かなるほど。携帯電話によって利便性を獲得したつもりが、逆に行動を束縛される結果になっているのかもしれません。さらに不審者がいるから...と、自由に行動できない。子どもがたくさんいたら、いちいち構ってられないので、こうはならなかったかもね。

5位: 「学習塾に行かなくてよかった(43人)」。これは本当にそう思います。学校教育だけでは不足というのが一般常識化してしまった時代に生きる君たちは確かに不幸やわ。塾のない世界の方が絶対に健全だと思います。

4位: 「地球環境が良かった(48人)」。これは何ともいえません。私たちの子どもの頃は公害とかあったし、米川なんか恐ろしい色の水が流れておりましたから。人口甘味料(チクロ)たっぷりのお菓子食べて。

3位: 「川で泳ぐことができた(52人)」。いや、あの米川では泳げませんよ。あ、余談ですが私小さい頃米川で流されて命失うところでした。今は環境というより、「危険だから」という理由も大きいんじゃないでしょうか。

2位: 「遊べる野山があった(66人)」。都会には昔からなかったでしょうけど、今は野山はあっても遊べないんですかね?熊が出てくるぅ、とかね。

1位: 「自然がまわりにたくさんあった(90人)」。2位とも関連しますけど、やはり自然に対する欠乏感が圧倒的なんですね。対象者が都会住人が多いんでしょうか?


まあ、根本的には少子化によって、子どもに対する親の関心、監視欲望、が高まった結果、子どもが全体的に縮こまっている、という感じなんでしょうか?草食化していくのも当然かもしれませんね。



贈収賄報道

テーマ:よもやま話
長浜市の職員2人が水道公共工事を巡り、収賄容疑で逮捕されたという極めて残念なニュースが流れました。今回の件で、思いましたことが2つ。

一つは、なぜ2年前の事が今になって明らかにされたのか?しかも、比較的少額の収賄が?もっと大きな収賄事件の捜査に結びつく端緒なのか、と勘ぐってしまいます。

もう一つは、新聞各紙の報道の仕方の違いです。なぜ、そんなことを感じたのか?私は朝日新聞を購読しているのですが、通常朝日は地元ネタの報道が極めて乏しいわけです。まあ、それはそんなもんだと思っているから別段支障はないわけなんですが...。

その朝日に「長浜市職員2人逮捕」という記事が8/27の朝刊にでかでかと載ったことにまず驚き、さらに翌28日の朝刊には、さらに詳細がこと細かに記されていたわけです。つまり、19万円がどこでどのように使われたかといった...。

確かに、収賄の罪は看過できるものではなく、厳しく糾弾し二度と不祥事が起こらないように取り締まる必要があることは言うまでもありません。しかし、収賄自体が罪であって、それがどのように使われたかを、例えば「8万円の高級〇ー〇ランドへ行った」とか書く必要があるのでしょうか?

私は一瞬、朝日新聞ではなく、スポーツ新聞か週刊誌を読んでいる錯覚に囚われてしまいました。しかも、この容疑者たちには家族、特に子どもさんがいらっしゃるのではないんでしょうか?その人たちに罪はなく、むしろ大きなショックを受けておられることは想像がつくでしょう。

罪を犯した人たちに同情の余地はないと思われますが、その家族たちに対する配慮が欠けているように思えてなりません。他紙の中では、読売がもっとも穏当で、事実関係だけを述べただけ。場所についても「横浜市内の飲食店などで」と書かれているだけです。

その他、産経は、朝日と読売の中間のようなタッチ。中日は地元に強いだけあって、独自の聞き込みも行なうなど、追加報道も多い。

毎日については贈賄容疑で逮捕された容疑者の勤務する会社社長の談話が掲載されていたのが印象的でした。お人柄をよく存じ上げておりますので、心中をお察し申し上げます。

とにかく、無味乾燥な記事を書いてくれとは言いません。「武士の情け」がほしいと私は思います。

おもったろ

テーマ:よもやま話
むかし、と言っても小学生低学年の頃、大通寺の近くとか小学校の近くには駄菓子屋さんがありました。いわゆる5円とか10円とかくらいの、低額のお菓子を売っているお店。

糸のついた三角形のイチゴ味の飴とか、黒い砂糖味の棒菓子とか、串にささったイカ。小さな箱に入った丸いガムもあったな。あとはベビーラーメンやかっぱえびせん等の袋菓子。思い出します。

でも考えてみると、私その頃、親からお小遣いもらっていた覚えがないんです。でも、そういう駄菓子を食べた覚えはある。そうそう、当時誰かに「おもって」もらってたんです。「おもってくれ~」と言ったつもりはないんですけど「おもったろか~」と友だちに言われた覚えはある。

きっと、「おもって」くれた奴は、親から「これでお菓子でも買うて遊んでき」と言われて小銭を幾ばくか渡されていたんでしょうね。でも何故か「こいつはリッチやな」とか「悪いな~」とか思わず、その状態をそのまま受入れていたような気がします。

で、それが「おもる」ではなく「おごる」だったんだなと気づくのは随分後になってからだったのですが、これはこの辺りの方言かと思っていたら、そうではなかったようです。「コトバの戦略的思考」という本に著者が私と同じような経験をしたことが書かれておりました。

著書曰く、「当時の私には『奢る』という行為の背景にある、深い戦略的意義などよくわかっていなかったから、むしろ相手のことを『思ってあげる』ということが、お金を出して一緒に食べるという意味だと考えていた』

小さな子どもには「おごる」というのは発音しにくく、「おもる」としか言えなかったのでしょうけど、「おごる」という言葉には確かに何となく、その行為によって他者に対して優越的な地位を確保する、みたいな戦略的なニュアンスがあって、それが過度になると「奢れる者も久しからず」となるわけですね。

子ども心には、ちょっと気前のよいお友だちに「思って」もらってる、そういう満足感だけで十分だったし、「おもる」方も、その行為で子分にしようということもなかったように思います。でも、そんな風に「おもって」くれたやつには今になると感謝の念が生じ、何となく借りを感じるんですが、「おもった」方はそのことを覚えているのかな~?

中熱症ちゃうん?

テーマ:言葉・漢字
毎日、毎日、熱中症で病院に運ばれる人が日本全国に沢山いらっしゃるそうです。ことほど左様に、いつの間にか流行語大将の座につかんとする勢いで大手をふるっている「熱中症」なる言葉、これいつ頃から発生したんでありましょうか。

昔はね~、日射病ですよ、日射病。小学校の時に、運動場で全校集会とかあると必ず居るんですね、ばた~っと倒れる子が。すると、「あ、あの子、日射病で倒れやんたんやで」となったわけです。ひたすら、お日様が悪者だったんですね。(いや、あれは貧血か?まあええわ)

そのうち、熱射病という言葉が現われました。多分、日なたじゃなくて家の中でも高温多湿な状況下に長時間居ると、体温が上がりすぎて体調が悪くなることが増えてきたから、「日射病」ではまずいっぺ。「熱」にやられんだから「熱射病」にすっぺ、ってことで、今度は「熱射病」が幅を利かせてきたように思います。

そして、地球温暖化がどうのこうのと言われ始めて出てきたのが件の「熱中症」でやんす。ちなみに、うちの家には1988年(昭和63年)発刊の「大辞林」と1995年(平成7年)発刊の「大辞泉」があるのですが、前者には「熱中症」が載っておりませんが、後者には載っております。

従って、「熱中症」は平成生まれと推察されるわけです。で、最初は赤ん坊扱いだったのが、2005年に環境省が「熱中症環境保健マニュアル」とやらを毎年出し始めるようになって、急激に伸してきたような感じですな。

何でも、専門的には「熱中症」の症状となる病気に、「熱疲労」「熱痙攣」「熱射病」があるんだそうで、最近は労作性熱中症(スポーツなど自分で筋肉を動かして発熱したが、体温調整に失敗)と非労作性熱中症(暑熱環境に長時間曝露されて高体温になった)くらいにしか分類せず、これまでの症状で分類するのを止め、重症度I度、II度、III度の3つに分類するようになったそうです。

難しい話はともかく、「熱中症」と聞くと、何かに「熱中」して起こる病気のように思いますよね。まあ、家の中でゲームやパソコンに熱中してもなるんだよ、という警告からかもしれませんが、普通「熱中」ゆうたら、あんた、「一つの物事に深く心を傾けること。夢中になること」以外に考えられまへんわな。

ところが、これ、例のあれですわ、あれ。中毒といっしょ。つまり「熱に中る(あたる)」から来てるんだそうですわ。ほんなら、正しくは「中熱症」やろ!と言いたくなるんですが、多分その語順だと、熱が中くらいで大したことないと誤解されると思ったんでしょうな、命名者は。この病気の命名者、今もって不明ですんや。誰か知ってる?


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