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馬に乗った字

テーマ:言葉・漢字
昨日、マルセンちゃんが、自分の姓には「馬」という字がつくんだけれども、お父さんが馬の字の四点を面倒なのか一本線で戸籍に書いたので、免許証は手書きで「一」の字にしてある、と書いていました。しかし、そんな字はホントにあるんですかね?

世の中には「馬」のつく字は結構あります。駅、駿、駄、駒など馬偏の字、あるいは驚、駕など馬が下についている漢字。minoriさんが疑問に思っておられた「罵る(ののしる)」という字も馬がつきますね。

ところが、この字は「うまへん」ではなく、部首は「あみがしら」。2010/6/25のブログ「目を皿にして」でも書きましたように、馬の上に乗っている「目」を横にしたような字は、「网」こんな字を書いて、「あみ」を表しています。

そうそう、「あみ」といえば、一昨日三ツ矢のスタンドに居りましたら、いきなり一台の白いワンボックスカーが通り過ぎていくと思ったら、運転していた女性が大きく手を振って挨拶をして下さるではありませんか。だれや~と思ったら、そう「あみ」ちゃん。オレンジあみちゃん。相変わらず元気です。ブログはさぼってますけど。

ちなみに「罵」は、馬に乗っているあみちゃんに「へたくそ~」と悪口を言うという意味ではありませんよ。この場合の「馬」は「相手かまわず突き進むうま」を意味し、「网(あみ)」は「相手におしかぶせる」意で、「罵」は「馬が突進するように相手かまわずおしかぶせる悪口」のこととなるそうです。

あ、そうそう、わが恩師SirMurai先生のお名前にも馬に乗った字がついておりました。「篤」という字ですが、この字も馬偏ではなく、部首は「たけかんむり」。意味は文字通り「たけうま」。ではありませんよ。

この場合の「竹」は「周囲を欠け目なく取り巻いた竹」で、そこから「篤」は「全身に欠け目のない馬」のことをいい、転じて「ゆきとどいた」→「人情にあつい」という意味になるようです。

私は先生が中学校の時に、この世の中で一番大切なことは「惻隠の情」を持つことだと、黒板に大書されたことを今でも覚えております。名前を体現されている素晴らしい先生ですね。いや、あんまり調子に乗って胡麻をすり過ぎると、落馬しちゃいますね。

オロ父と冷静な息子

テーマ:よもやま話
春休みで帰省中の息子が「プリンターに紙が詰まってもた」と言うので、見たら外からも中からもほとんど紙片が見えない。「どっちかから引きちぎったやろ?」と聞くと、「いや、下から出て来ないし、どんどん吸い込まれて紙が消えた」と。

ピンセットで引っ張ろうとしても無理。マニュアルを引っ張り出して、電源を切ったり、つけたりしてもさっぱり事態は改善せず。おいおい、何ちゅうことをしてくれたんだよ~、息子ちゃんよぉ~。メカにからっきし弱い私は、こういう状態になると自分でも情けないほど、いらついてくる。

くっそ、この重たい機械を積んで、あの店まで持って行って、「すんません、紙が中に詰まっちゃって出てこないんですよ」「あ~、保証期間過ぎてますねえ」「いくらくらいかかりますかね?」なんていう、煩わしい会話が頭に浮かんでくる。

「もうええ、修理に出そ!」とヤケ気味に言うと、息子は「いやいやいや」と妙に冷静。プリンターの後背部のネジを見つけて、これをはずしたら分解できるかも、とか言い出す。「おお、そうかもな」などと気を取り直して、ネジを緩め始めるオロ父。

しか~し、ネジをはずしてもばらせそうにな~い。「もうええ!あきらめよ」と言うと、またまた「いやいやいや」と言って、今度はパソコンに向かい出す息子。そして、しばらくすると、プリンターをこともあろうに上下ひっくり返しよった。おい!何するんや!天地無用!

カシャカシャとはずしたと思ったら、「やった~、こんなところに巻き込んでた~」。確かにそこには巻き込まれたコピー紙が。それをするすると取り外すと、プリンターのエラーメッセージは消え、トラブル解消。

オロ父、息子の見事な対応ぶりに思わず拍手。「すごいやん!」「いや、ネットで調べたら解決法が出てた」。転ばぬ先の杖、いや「イラつく先のネット」ですな。ま、老いては子に従えか。

卒業式で告辞

テーマ:まちづくり
先月の教育委員会定例会の終了後、「中学校の卒業式で『こくじ』をお願いすることになります」と言われまして、「は?こくじ?挨拶するんですか?」「大丈夫、大丈夫、紙に書いてあるものを読み上げるんやさかい」「はぁ...」「あ、服装はダブルでお願いしますね」「ダブル?」「そうそう、結婚式のスタイルで」

てことで、昨日は小雪がちらつく中、我が母校長浜西中の卒業式に出席して参りました。教育委員会事務局の方に車で送っていただき、校長室で待機しておりますと、続々と来賓が。ある方が校長先生に「教育委員会は教育長が来ゃありますんか?」「いや、(目の前の)油甚さんです。」「あ~ぁん、ん...」。ま、無理もなかろ。

さて、卒業式の挨拶は、学校長式辞、PTA会長祝辞、在校生送辞、卒業生答辞、てっきりこの4Gかと思っておりましたら、学校長とPTA会長の間に「教育委員会告辞」というものが入るんですね。5Gとは全く知りませんでした。いや、昔からそうだったようですので、てっきり忘れていましたという方が正確か。

座る席がまた大層でして、来賓の一番上座で、一人だけ机が独立しておりまして、白布ではなくよくオルガンなんかにかぶせてある綴織風の織布が敷いてあります。それに、「本日はお忙しいところ、長浜市教育委員の油甚さんをはじめ、多数の来賓に....」なんて実名で紹介いただく等、居心地の悪さ極まりなし。

で、この「告辞」。辞書で調べますと「あらたまって告げ知らせる言葉」とあります。しかも今回は「教育委員会の代表」としての言葉。従って私のブログ調のシニカルな挨拶ではあかんわけですね。事務局で念入りに作成していただいた原稿を推敲し、それを「あらたまって」「格調高く」告げるのが私の仕事。

例によって、視力低下により、式場にいらっしゃる生徒さん、保護者さんの顔はぼんやり。こうなると、浄瑠璃の発表と同じ、他人になりきって演じたろ、という心境になってまいります。終了後、前述の年配の来賓の方に「久しぶりにええ話を聞かせてもろた」とおっしゃっていただけたんで、まあ一安心。

しかし、卒業式の送辞、あれは反則ですな。母親への感謝の言葉をいう件になると目の前に座った女生徒たちがいっせいにすすり泣き始め、こちらまで感極まって参ります。お父さんへの感謝になると突然すすり声が妙に静まるのも不思議なんですが。

冬に逆戻りになった天候で底冷えのする体育館でしたが、厳かでありながら感動的な本当にいい卒業式でした。卒業生、保護者の皆様、おめでとうございました。そして先生方、支えてくださった地域の皆さん、本当にありがとうございました。

エアロパーツネーム

テーマ:よもやま話
3/10の日経プラス1「コトバの鏡」のタイトルは「エアロパーツネーム」。う~ん、まずエアロパーツの意味がわからん。読み進むと書いてあった。

「エアロパーツとは、空気抵抗を減らすなどの効果がある自動車部品のこと。たとえば、走り屋仕様の車によくついている、羽みたいなアレとか。....」

あ~ん、こういうのか。そう言えば、洗車機に「エアロパーツ避け」のオプションとか書いてあったな。で、「エアロパーツネーム」とは、それらの名前のことかいな?いや、さにあらず。

「名前によく使われる漢字に、あえて『さんずい』や『くさかんむり』などをつけて、人との差別化をはかった名前を言う」とあります。その例として

浩太くんじゃなくて「浩汰」くん    
利恵ちゃんじゃなくて「莉恵」ちゃん

要するに、大した効果はないんだけれども、かっこいいから飾りとしてつけておくところが「エアロパーツ」と共通しているというわけ。こういうのも今風なんでしょうか。でも字画とか気にしてわざわざつける場合もあるよね。

実際、私の場合、名前に「」の字が含まれるんですが、戸籍上は旧字体の「」という字なんです。普段は面倒なので略した方を使ってるのですが、最近正しく書かないといろいろとうるさくなって参りました。まあ、この旧字体を書いて、総字画数が大吉の31画になるのも確か。

しかし、「恵」の字にちょろっとついた「ム」みたいな部分、こりゃどうみてもエアロパーツだな。

人は見た目が9割?

テーマ:よもやま話
先日、40~60歳の大人が言われて一番嬉しい言葉は「若々しい」だったという博報堂の調査について書きましたが、ではこの「若々しい」という言葉を「苦々しい」顔をしながら「憎たらしそうな」声で言ったら、どういう印象を受けるか?

逆に言われて嬉しくない「頑固な」という言葉を、はちきれんばかりの笑顔で「ま~ぁ、頑固なんだから~、もう」と甘えた声で言われたらどう感じるか?

こういう矛盾した情報を与えられた時に、一番影響を与えるのは視覚情報なのか聴覚情報なのか、それとも言語情報なのか、メラビアンさんという人が調べたそうです。結果は「顔の表情(視覚)」の影響力が最も大きく55%、「声の質・大きさ・口調(聴覚)」が38%、「言葉の意味(言語)」が7%だと。(メラビアンの法則

数年前に「人は見た目が9割」という本が出版されミリオンセラーとなりましたが、この本では上記の「視覚55%」と「聴覚38%」を足したものを「見た目」として、話す内容(7%)より「見た目」の方が肝心なんだと主張したようです。

中身が大したことなく、まさに「本はタイトルが9割」だなどと巷では酷評されたようですけど、実は私もこの本、タイトルにつられて読んだ一人であります。

うちの母なんか、TVを見ながらしょっちゅう「やっぱりな、なんちゅうても美人は得やわ~」としみじみ自分の不遇さを嘆いておりますので、あながちこの本の主張も間違いではないのではなかろうか、と思うわけです。

あ、そうそう、この本に書かれていました。「女が嘘をついた時は、相手をじっと見つめて取り繕おうとする」と。いかがですか?身に覚えはありませんか?
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