浅井長政寄進の刀と太刀、小谷城脇門の扉、血痕付きの雑兵の帷子等本物を展示、3D 的な映像シアターで姉川合戦を再現、江誕生・落城・脱出場面をジオラマで表現するなど、日本宝くじ協会の資金提供を受け、全面的改装のなった「浅井歴史民俗資料館」へお越しください。
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最終の御礼を申し上げます。

テーマ:ブログ・HP
昨年末、当ブログを閉じましてから、1ヶ月余りが過ぎました。

当初は、2週間に1回とか、月に2回とか、時々は、アップしようかなと思っていましたが、歳のせいでしょうか、この楽さ加減に(すみません)慣れてしまったら、もう手出し出来なくなってしまいました。

親しくしていただいた仲間の方のブログにも、コメントだけは入れたいと考えていましたが、それも一度入れたら、どなたかに入れたら、もう止められないんでないかと、つい億劫になって遠慮してきました。本当は、「あーー、書きたいなあ!なつかしいなあ!この内容になら、センスのあることが書けるのになあ!文句が言いたいなあ!」と、思うことが多々あったんですが、思いとどまってきました。この我慢?口枷をはめられているようで結構苦しいことだったんです。

ところで、閉じた私のブログをその後ものぞいていただいている方がおられることをうすうす感じておりました。「もしかして、更新していないかな。」と思って訪問していただいていること心苦しいかぎりです。

すぐに諦めていただくだろうなと思っていましたが、最近、私のブログでコメにかつてのブログ親友の方が対談?をしていてくださいました。

コメントは残されずとも、アクセス数は増え続けている事に感動しています。
今回は110036でした。 投稿: サラダ記念日 | 2013年1月20日 (日) 11時30分
現在「110150」です。すごいですね。 投稿: yawaragi | 2013年1月21日 (月) 10時11分
110530 ですわ 投稿: ◇☆★☆★◇ | 2013年1月24日 (木) 15時56分


そして、今日見ますと、この間にココログに4.754、コブログに5.023件、アクセスいただいて来ています。

あのような曖昧なかたちで、ブログを閉じましたので、ご迷惑をおかけして来たように思います。今、ここに至って、はっきりと再開するつもりのないことをお伝え致したく存じます。以後、内容の新規更新等はありませんので、お立ち寄りいただかないようお願い申し上げ、最終のお礼の言葉といたします。

本当に楽しいブログ時代でした。有難うございました。







ありがとうございました。

テーマ:ブログ・HP
NHK大河ドラマ「江」博覧会に際し、陰ながら「浅井歴史民俗資料館」を応援したいとの思いで続けて来た私のHP、ブログも、役目を終える時が来ました。

HP「江たち三姉妹とお市物語」は2011年2月、広い範囲向けココログ「江たち三姉妹とお市」は2011年5月、湖北向けコブログ「江たち三姉妹とお市ものがたり」は2011年6月にスタートしました。以来、本日で401回目を迎えました。

当資料館の施設、展示内容、事業の紹介をメインに、浅井氏、お市三姉妹、戦国時代一般、さらには田根荘での出来事など、種々雑多な内容でお茶を濁して来ました。


この間、つたない内容ながら、多くの方々にご訪問いただき、アクセス数はココログ136,825コブログ106,156という、当初考えてもみなかった数字になりました。幅広い方から、コメントも頂戴し、ブログ友達との交流という貴重な体験もさせていただきました。また、かつての教え子さんたち、初恋の人?との交流などという、思いがけない副産物にも巡りあいました。

昨年末、「大河江博覧会」終了時点で、当時当ブログの今後についてでも触れていますが、スパッと幕を引く予定でした。しかし、引き続いて「大河ふるさと博覧会」が開催されることとなり、止めるタイミングを失って来ました。


「大河ふるさと博」が閉幕した今、ふたたび、様々な方から、引き続いて・・・とのお声もいただきましたが、もう脳味噌も枯竭し、田根も無くなってしまいました。「平川地一丁目」にあやかり、わたしも引退させてください。

NHK朝の連続小説「純と愛」、そのテーマソング「いちばん近くに」に気になるフレーズがあります。
「♪ねぇ はじめて出逢った日のこと あなたは覚えてるぅ?♪」
葉すら交わしてないのに なぜかあなたを近くに感じた♪」
こんな言葉にハッとしながら、過ごして行きたいと願っています。

写真 上 浅井歴史民俗資料館内の「糸姫の館」    下 NHK朝の連続テレビ小説「純と愛」のタイトル写真



追伸? このように中止したHP,ブログは、どうなるんでしょうか。放っておけば、自然に消える?本部が削除する?何日か、記事を更新しないと消えるとも聞いたことがありますが・・・。どなたか、最後に教えていただけるとありがたいのですが。
 

見事な幕引き!「平川地一丁目」

テーマ:あれこれ
2008年の夏、惜しまれつつ解散を決めたフォークデュオがあります。

その名は、「平川地一丁目」です。2003年、ソニーミュージックオーディションで4万人の中からグランプリに輝き、メジャーデビューした当時中学二年生と小学六年生だった佐渡島在住の兄弟です。

その頃、5人兄弟の一番下を連れて母親が家出をしてしまったそうです。その寂しい思いを曲にし、歌っていたところを認められ、有名になれば、母と再会できるかも・・・と、オーディションを受けたといいます。

デュオ名「平川地一丁目」も、家族みんなで一緒に住んでいた静岡県の地名で、ビッグになれば母親も気づいてくれるだろうという悲しい思いが込められています。

作曲担当は兄で、弟がメインボーカルをつとめていました。
  ♪もう少しだけ愛してください 僕たちを
  ♪あと 少しだけで いいから
  ♪ほんの少しだけで いいから
どの曲にも、どことなく母を想う気持ちを、思わせるようなフレーズがあり、泣かせます。

オリコン初登場で7位、以後40曲、母親も戻り声変わり期も乗り越え、CD、アルバム、DVD、ラジオ番組、映画出演、舞台出演と、精力的にこなして来ました。

1回だけでいいから、一緒に出て唄ってという、兄の願いからスタートした5年間でしたが、兄は、弟の高校卒業を前にして、解散という一大決心をします。事務所の意見や全国のファンの熱烈な惜しむ声も耳にしてはいたと思いますが、愛する弟の人生を思って出した兄の決断だったと思います。

以後、二人のHPは閉じられたままです

写真 上 デビュー間もない頃の「平川地一丁目」  下 解散を控えた頃の「平川地一丁目」 

「平川地一丁目」[かわれないので]/http://youtu.be/o4X0nKDdJq0





身体の不自由な皆さん、安心して湖北路へ!

テーマ:あれこれ
HP、ブログ界へ飛び込んで、最初にお友達になった人にyawaragiさんがおられます。

この方、すごい人です。定年退職後、自らの技能や趣味・関心を熟考され、自らの今後の人生をかける仕事として、「福祉タクシー事業」を立ち上げられました。

身体に障害を持っておられる方、一時的に歩行に困難をきたしておられる方、高齢の方で移動手段に不便をきたしておられる方は、かなりの数にのぼるはずです。

あなたの足としてお気軽にご利用ください。”おもてなしの心”で応対させていただきます。」と、書かれていますが、 まさに、おもてなしの心では、この人の右に出る人はいないと思われるお人柄です。

たまたま、最近、滋賀県の「がんばるシニア起業家応援事業」の第1回として、yawaragiさんが取り上げられ、インタビューを受けておられる様子が、県のHpに紹介されています。

その中に、「人が寛げる雰囲気を醸し出す素敵な笑顔の持ち主の坂東さんが、事業にかける熱い思いや今後の夢について語ってくださいました。」とありました。さすが、プロはプロらしい目で人物を見抜いています。

この人のすごさは、もう一つあります
好奇心、探求心、行動力に満ち溢れた人で、近隣の名所、旧跡、観光地、行事をくまなく自ら探訪し、その素晴らしい写真を主体にHP、ブログ上に次々と公開しておられます。湖北観光に関する体系的な百科事典が出来つつあるようにも思っています。

タクシー利用者への観光案内にとどまらず、湖北路観光のスペシャリストとしての存在は大です。湖北探訪で迷われたら、ご相談されるのも一考かと思います。



料金をいただいているのに「ありがとう」と感謝してもらえる仕事と、感激しておられますが、yawaragiさんの本物の「おもてなしの心」に接したら、誰もが感謝の気持ちを表したくなるのは必定だと思います。

地域の方には、病院や施設への送迎、施設からのふるさと探訪、墓参などなどに、ご利用の道すがらお近くの観光案内もしていただけるかもしれません。

また、全国の皆さんには、近江湖北は、戦国期のみならず無数の観光地が狭い範囲に散らばっています。yawaragi号での旅に格好の地域です。決して、期待を裏切ることはありません。四季おりおりに様々な顔を見せる近江の魅力を、ご堪能いただければ幸いです。

写真  上 チラシです。    下 yawaragi号 ご利用の場合は、この電話番号をご利用ください。(ともに、yawaragiさんのブログから拝借しました。

お断り  この記事、yawaragiさんの了解を得ずに書いています。あしからず。リンク  うまく貼れませんでしたので・・・。
yawaragiさんブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/yawaragitaxi0306/10152027.html
県HP http://www.pref.shiga.jp/kakuka/f/chushoukigyo/ganbarushinia24_1.html

ポツンと神社が・・・

テーマ:淺井三代
虎御前山東麓の大洞村を探していたときのことです。

ふつう、村の氏神さんや郷社は、どこかの集落の中か、近くに鎮座していることが多いのですが、その神社は広い田んぼの中にポツンとありました。

「一体どこの・・・?」疑問に思い近づいてゆきました。「王内儀神社」とありました。不思議な社号ですが、主神が「神功皇后」と聞いて納得しました。銘板には、「この地域はいつも田川の洪水に悩まされ、しかも大きな沼地となっており人々が沼へ引き込まれ、困窮していた。それを見た、神功皇后が哀れに思い救ってくださったので一社を建立した。」と、ありました。

田川」の土手下で、「錦織荘」(難波・錦織・酢・田・大寺・月ヶ瀬・唐l国)の最上流部に、この神社が鎮座していることに興味をもちました。

「田川カルバート」建設の機運がわきおこる地域、錦織荘にとって洪水が鎮まることは最大の願いごとで、その祈りを捧げる地として、村から離れた荘へ川が流れ込む地点に、この神社を建立した悲しいまでも必死な当時の村人の気持ちが伝わってきます。

なお、この神社については、浅井亮政も「誠尽くすなら霊験は忽ち現れ、神威を犯すなら忽ち罰があたり、崇拝すべきである。」と、書き残したという記録があるそうです。

写真 上 田んぼの中に見える「王内儀神社」、背後の土手は「田川」、山は「虎御前山」  下 境内風景








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プロフィール

SirMurai

SirMurai

浅井歴史民俗資料館を応援しています。歴史好き、建築好き、世界遺産好きです。
HP「江たち浅井三姉妹とお市物語」へもどうぞ。

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