曳山まつりフォトコンテスト
テーマ:曳山・歌舞伎
2010/04/05 09:38
長浜観光協会さんが、毎年「曳山まつりフォトコンテスト」というのを行なっておられまして、2年前にブログに掲載した写真を2点、調子に乗って応募いたしましたところ、何とコメント賞というのを頂戴してしまいました。
塔と宮殿
やまなしのほうとう
2匹目のどじょうを狙いまして、昨年は3点応募いたしましたが、世の中そう甘くはありません。3点ともスカに終わりました。
飛んだハプニング
ポンポコポンのポンポン
フュージョン(融合)
私のは携帯電話で撮った写真ですので、芸術性や美しさは全くありません。意外性とコメントだけにかけております。今年もとりあえず、交替式に一発撮りまして早速応募いたしました。
背いかいじゃん
青海山さんが、うちの近くの四つ辻を通り過ぎる瞬間です。ちょうど祝町のアーケードのてっぺんに設けられた曳山風の構築物が重なって、亭を増設したように見えませんか?それより、青海山の飛龍がいないのが気になる?ごもっとも。でも、見ちゃいや~ん、よ。
皆さんも、曳山まつりフォトコンテスト、ぜひ応募して下さいね~。
塔と宮殿
やまなしのほうとう
2匹目のどじょうを狙いまして、昨年は3点応募いたしましたが、世の中そう甘くはありません。3点ともスカに終わりました。
飛んだハプニング
ポンポコポンのポンポン
フュージョン(融合)
私のは携帯電話で撮った写真ですので、芸術性や美しさは全くありません。意外性とコメントだけにかけております。今年もとりあえず、交替式に一発撮りまして早速応募いたしました。
背いかいじゃん
青海山さんが、うちの近くの四つ辻を通り過ぎる瞬間です。ちょうど祝町のアーケードのてっぺんに設けられた曳山風の構築物が重なって、亭を増設したように見えませんか?それより、青海山の飛龍がいないのが気になる?ごもっとも。でも、見ちゃいや~ん、よ。
皆さんも、曳山まつりフォトコンテスト、ぜひ応募して下さいね~。
「去る」と「来い」
テーマ:曳山・歌舞伎
2010/04/04 09:10
昨日は曳山博物館の展示曳山を入替える交替式。今年出番の四基が博物館を去り、代わりに来年度出番の山が入って来るわけです。私、この大切な時期に風邪を召しまして、筆頭さんから「油甚さんは山曳きはせんといて下さい」と温情と叱咤の相交じったお言葉を頂戴いたしまして、稽古場で控えておりました。
さて、長浜の曳山。それぞれの山組の共通点は「自分の町の山が一番最高」と一様に思っていることであり、実際それは真実なんだと思います。どこの山にも他の町には見られない優れた部分を必ず持っているからです。
私どもの「翁山」に関して言えば、懸装品つまり幕類については、品質・デザイン・量、どれを取っても他町の追随を許しません。
まず、見送り幕は国指定の重要文化財となっているベルギー製の毛綴れ織①と、その劣化防止のために作成されたレプリカ②、さらに①の端切れをつなぎ合わせて作ったとされる市指定文化財の二送
① ② ③
胴幕は紺ラシャに刺繍の「唐獅子牡丹図」で、これと同じ風合いで「鳳凰の図」柄の見送幕下幕というのもございます。上記の見送り幕の内側に掛ける幕で、他町でこの下幕を有するところはないと思われます。
そして、面幕(つらまく)すなわち正面に掲げる幕が「松樹上に猿の図」と「鯉の滝登りの図」。八幡宮の神前入りの時などに所謂「正装」をする場合は、この二つの幕を同時に掲げます。(向かって左が鯉、右が猿)
平成10年の祭で私は舞台後見とパンフレット委員を務めたのですが、その際にこの二つの幕をパンフレットの表と裏のデザインに採用いたしました。
表 裏
さて、狂言執行時、あるいは巡行時など平装の場合は、向かって左側に臆病口幕として一枚だけ掲げます。「鯉」もしくは「猿」のどちらかを掲げるわけですが、「鯉」のケースがほとんどです。
「猿」の方は、本物の猿の毛が植えられていると伝えられており、これの消耗を防ぐ為に「猿」の使用はなるだけ控えられている、のだと私は理解しておりましたし、それも大きな要因であることは恐らく間違いないと思われます。
先日、町内でこの話をしておりましたら、ある先輩が、「『猿』を吊るとお客さんが『去る』から掛けやーれんのや」とおっしゃいまして、目からウロコ、なるほど『鯉』の方は「客よ『来い』」というわけですね。質・量だけでなく、我が町の幕は洒落心まで超一流でございます。
さて、長浜の曳山。それぞれの山組の共通点は「自分の町の山が一番最高」と一様に思っていることであり、実際それは真実なんだと思います。どこの山にも他の町には見られない優れた部分を必ず持っているからです。
私どもの「翁山」に関して言えば、懸装品つまり幕類については、品質・デザイン・量、どれを取っても他町の追随を許しません。
まず、見送り幕は国指定の重要文化財となっているベルギー製の毛綴れ織①と、その劣化防止のために作成されたレプリカ②、さらに①の端切れをつなぎ合わせて作ったとされる市指定文化財の二送
① ② ③
胴幕は紺ラシャに刺繍の「唐獅子牡丹図」で、これと同じ風合いで「鳳凰の図」柄の見送幕下幕というのもございます。上記の見送り幕の内側に掛ける幕で、他町でこの下幕を有するところはないと思われます。
そして、面幕(つらまく)すなわち正面に掲げる幕が「松樹上に猿の図」と「鯉の滝登りの図」。八幡宮の神前入りの時などに所謂「正装」をする場合は、この二つの幕を同時に掲げます。(向かって左が鯉、右が猿)
平成10年の祭で私は舞台後見とパンフレット委員を務めたのですが、その際にこの二つの幕をパンフレットの表と裏のデザインに採用いたしました。
表 裏
さて、狂言執行時、あるいは巡行時など平装の場合は、向かって左側に臆病口幕として一枚だけ掲げます。「鯉」もしくは「猿」のどちらかを掲げるわけですが、「鯉」のケースがほとんどです。
「猿」の方は、本物の猿の毛が植えられていると伝えられており、これの消耗を防ぐ為に「猿」の使用はなるだけ控えられている、のだと私は理解しておりましたし、それも大きな要因であることは恐らく間違いないと思われます。
先日、町内でこの話をしておりましたら、ある先輩が、「『猿』を吊るとお客さんが『去る』から掛けやーれんのや」とおっしゃいまして、目からウロコ、なるほど『鯉』の方は「客よ『来い』」というわけですね。質・量だけでなく、我が町の幕は洒落心まで超一流でございます。
朔
テーマ:曳山・歌舞伎
2010/04/03 08:51
たびたび曳山祭の話題で申し訳ございません。何せ、期間中はほぼそれで頭が一杯で他のことに気が回りません。私ども翁山が演じる「引窓」というお芝居は仲秋の名月、即ち満月の日が舞台となります。
ある方と、「今年はお旅所に12基揃うし、四番山だと全山の前で芝居が出来て最高ですね」みたいな話をしておりましたら、「そうや、翁山が四番取って芝居も引窓やさかい、その日が満月やったら最高やで」てなことで、俄然盛り上がってしまいました。まさに自然現象の借景であります。
そうしているうちに、先月末、ゆうこりんさんのブログに寒空に浮かぶ満月の写真が登場いたしました。そこでふと考えます。「今、満月ということは、4月15日の祭の本日は何だ?」「月は文字通り一月で満ち欠けするわけなんで...」「いやとりあえず調べてみよう」と思いまして、「月齢」で検索いたしますと...、
Oh,my god!いやいや my eight million of gods! 何と4月15日のところは、月がすっぽり欠けております。ひとかけら、これっぽっちもないじゃないですかぁ。
こういう状態を「新月」と呼ぶのかと思っておりましたら、正しくは「朔(さく)」と呼び、新月は厳密に言うと「朔の後に初めて見える月」のことなんだそうです。「朔(さく)」は「暗月」などという実に暗~い異名もあるとか。
「朔」の字の右側は文字通り「月」でありますが、左側の「屰」という字は「人間の立った姿である『大』の字をさかさにしたもの」だということです。「大」の手の部分に直角に下げた線を入れて、ひっくり返すと、なるほどなるほど、「屰」のような字になりますね。
いずれにしても、月が一周して元の位置に戻ったことを示す字で、「朔」は一月が終わって暦の最初に戻った日ということで「ついたち」の意味になるわけです。このブログを4月1日の記事にすればばっちり決まったんですが、祭の影響で頭は2,3日遅れております。
「結局、満月だろうが、朔だろうがこの雨じゃ関係なかったな」 4月15日の晩によもこんな会話を聞くことにならないようにひたすら願うばかりであります。
ある方と、「今年はお旅所に12基揃うし、四番山だと全山の前で芝居が出来て最高ですね」みたいな話をしておりましたら、「そうや、翁山が四番取って芝居も引窓やさかい、その日が満月やったら最高やで」てなことで、俄然盛り上がってしまいました。まさに自然現象の借景であります。
そうしているうちに、先月末、ゆうこりんさんのブログに寒空に浮かぶ満月の写真が登場いたしました。そこでふと考えます。「今、満月ということは、4月15日の祭の本日は何だ?」「月は文字通り一月で満ち欠けするわけなんで...」「いやとりあえず調べてみよう」と思いまして、「月齢」で検索いたしますと...、
Oh,my god!いやいや my eight million of gods! 何と4月15日のところは、月がすっぽり欠けております。ひとかけら、これっぽっちもないじゃないですかぁ。
こういう状態を「新月」と呼ぶのかと思っておりましたら、正しくは「朔(さく)」と呼び、新月は厳密に言うと「朔の後に初めて見える月」のことなんだそうです。「朔(さく)」は「暗月」などという実に暗~い異名もあるとか。
「朔」の字の右側は文字通り「月」でありますが、左側の「屰」という字は「人間の立った姿である『大』の字をさかさにしたもの」だということです。「大」の手の部分に直角に下げた線を入れて、ひっくり返すと、なるほどなるほど、「屰」のような字になりますね。
いずれにしても、月が一周して元の位置に戻ったことを示す字で、「朔」は一月が終わって暦の最初に戻った日ということで「ついたち」の意味になるわけです。このブログを4月1日の記事にすればばっちり決まったんですが、祭の影響で頭は2,3日遅れております。
「結局、満月だろうが、朔だろうがこの雨じゃ関係なかったな」 4月15日の晩によもこんな会話を聞くことにならないようにひたすら願うばかりであります。
八幡講
テーマ:曳山・歌舞伎
2010/04/02 09:19
昨日は4月1日。普段の年ならエイプリールフール気分なのでありますが、今年は曳山祭の出番年。古来この日は、祭の成功と役者の健康祈願のために、若衆が着流し姿で打ち揃いまして、長浜八幡宮へ御祈祷を受けに参拝する事になっております。
その名も「八幡講(はちまんこう)」と申します。昔はいずれの山組も行なっていたのかもしれませんが、現在「八幡講」の儀式を続けているのは、わが翁山と高砂山さんくらいと聞いております。高砂山さんの場合は若衆筆頭さんだけが参拝されるようで、若衆こぞってというのはわが町だけのようです。
折りしも今年は曳山博物館で、曳山祭の諸行事を映像に残すという事業を行なっておられまして、わが町特有の行事であるこの「八幡講」を撮るために数名の取材陣が稽古場に集まっておられました。
10時までに若衆が稽古場に集合いたしましたところで、筆頭からの挨拶。何せ取材慣れしておりませんので、いずれの面々も緊張の面持ち。映像に残るという事で、あいさつの予行演習も行いまして、本番に臨みます。
挨拶が終了しますと、出立ちの酒で清めまして、いざ出発。
3年前の出番のように4月15日の本日が日曜日の場合、4月1日も日曜日となり多くの若衆の参加が見込めるのですが、今年は平日ということで、わずか7名の参加となりました。生憎の小雨で傘を差しながら参道を登り、八幡宮へ。
御手洗で身を清めて本殿参拝。
この後、祈祷の受付を済ませ、待合でしばし控えて、順番が参りましたところで回廊を本殿内部の祈祷所へと進み着座。
祝詞奏上、鈴による修祓、玉串奉奠、二礼拍手一礼と、一連の祈祷行事がつつがなく終了いたしますと、最後に筆頭が代表で役者への御守り、祈祷を受けました御神酒、その他のお下がりを頂戴いたしまして、帰路につきます。
そして、稽古場に戻りまして、筆頭から八幡講が無事終了したことの報告と謝辞がございまして、全員が先程の御神酒をありがたく頂戴いたします。
かつて、わが伊部町には「萬珍軒」という中華料理店がございまして、八幡講の後は必ずそこで直会を行なうことになっており、若衆はそれが楽しみで八幡講は「萬珍講」という異名を持っていたほどでした。萬珍軒は10年以上前に廃業されまして、以降は稽古場でお弁当を取っての直会が恒例となっておりましたが、今年は....。
こちらでの直会席
美人女将のご給仕で実にお値打ちなランチセット(1890円)を頂戴いたしました。これはお奨めです。
その名も「八幡講(はちまんこう)」と申します。昔はいずれの山組も行なっていたのかもしれませんが、現在「八幡講」の儀式を続けているのは、わが翁山と高砂山さんくらいと聞いております。高砂山さんの場合は若衆筆頭さんだけが参拝されるようで、若衆こぞってというのはわが町だけのようです。
折りしも今年は曳山博物館で、曳山祭の諸行事を映像に残すという事業を行なっておられまして、わが町特有の行事であるこの「八幡講」を撮るために数名の取材陣が稽古場に集まっておられました。
10時までに若衆が稽古場に集合いたしましたところで、筆頭からの挨拶。何せ取材慣れしておりませんので、いずれの面々も緊張の面持ち。映像に残るという事で、あいさつの予行演習も行いまして、本番に臨みます。
挨拶が終了しますと、出立ちの酒で清めまして、いざ出発。
3年前の出番のように4月15日の本日が日曜日の場合、4月1日も日曜日となり多くの若衆の参加が見込めるのですが、今年は平日ということで、わずか7名の参加となりました。生憎の小雨で傘を差しながら参道を登り、八幡宮へ。
御手洗で身を清めて本殿参拝。
この後、祈祷の受付を済ませ、待合でしばし控えて、順番が参りましたところで回廊を本殿内部の祈祷所へと進み着座。
祝詞奏上、鈴による修祓、玉串奉奠、二礼拍手一礼と、一連の祈祷行事がつつがなく終了いたしますと、最後に筆頭が代表で役者への御守り、祈祷を受けました御神酒、その他のお下がりを頂戴いたしまして、帰路につきます。
そして、稽古場に戻りまして、筆頭から八幡講が無事終了したことの報告と謝辞がございまして、全員が先程の御神酒をありがたく頂戴いたします。
かつて、わが伊部町には「萬珍軒」という中華料理店がございまして、八幡講の後は必ずそこで直会を行なうことになっており、若衆はそれが楽しみで八幡講は「萬珍講」という異名を持っていたほどでした。萬珍軒は10年以上前に廃業されまして、以降は稽古場でお弁当を取っての直会が恒例となっておりましたが、今年は....。
こちらでの直会席
美人女将のご給仕で実にお値打ちなランチセット(1890円)を頂戴いたしました。これはお奨めです。
豆腐と北陸
テーマ:よもやま話
2010/04/01 09:08
皆さんお豆腐は「絹ごし」と「木綿」とどちらがお好きでしょうか?詳しい作り方の違いは知りませんが、絹ごしはつるっと柔らかく、木綿はやや固く締まった感じですね。3/27の日経プラスによると、地域によってこの好みに違いがあるそうです。
日本豆腐協会が全国の男女1000人に対して行なった調査によると、木綿豆腐を食べる割合が最も高かったのが東北地域(60%)で、そのほか九州、四国も木綿優勢とあります。一方、絹ごしは北陸地域(69%)で最も多く、関東・近畿がこれに続くようです。
なぜ、地域差ができたかという疑問に対して、大阪学院大学の竹井教授は次のように推理されておりました。
「古くから日本で作られてきたのは木綿豆腐だったが、江戸時代に軟らかい絹ごし豆腐が登場し、都市部で消費され始めた。その当時、大都市があった関東や北陸では絹ごし、周辺部の東北や九州では木綿が好まれるようになったのでは」
私が子どもの頃は、スーパーでなくて自転車で売りに歩いておられた豆腐を買っておりましたが、木綿を食べていたように思います。その後東京に出て、結婚してからは、そう言えば絹ごしが多くなって、今では揚げだし豆腐など以外は、ほとんど絹ごしを食べております。
先の竹井説によれば、都会人は「絹ごし」好みということになりそうですが、北陸ってかつては大都市が多かったんですよね、実際。
「裏日本」(古厩忠夫/岩波新書)によれば、明治9年の時点で金沢は全国5位の人口を誇り、北陸、山陰の6県(新潟、富山、石川、福井、鳥取、島根)の県庁所在地はすべて人口で全国30位以内に入っていたんですね。
その後、裏日本からは風呂屋、豆腐屋、魚河岸などを中心に都市への人口流出が起こったと同書には書いてありましたから、やはり絹ごしは北陸で生まれ、北陸こそ都会的センスの源泉なのかもしれませんね。
日本豆腐協会が全国の男女1000人に対して行なった調査によると、木綿豆腐を食べる割合が最も高かったのが東北地域(60%)で、そのほか九州、四国も木綿優勢とあります。一方、絹ごしは北陸地域(69%)で最も多く、関東・近畿がこれに続くようです。
なぜ、地域差ができたかという疑問に対して、大阪学院大学の竹井教授は次のように推理されておりました。
「古くから日本で作られてきたのは木綿豆腐だったが、江戸時代に軟らかい絹ごし豆腐が登場し、都市部で消費され始めた。その当時、大都市があった関東や北陸では絹ごし、周辺部の東北や九州では木綿が好まれるようになったのでは」
私が子どもの頃は、スーパーでなくて自転車で売りに歩いておられた豆腐を買っておりましたが、木綿を食べていたように思います。その後東京に出て、結婚してからは、そう言えば絹ごしが多くなって、今では揚げだし豆腐など以外は、ほとんど絹ごしを食べております。
先の竹井説によれば、都会人は「絹ごし」好みということになりそうですが、北陸ってかつては大都市が多かったんですよね、実際。
「裏日本」(古厩忠夫/岩波新書)によれば、明治9年の時点で金沢は全国5位の人口を誇り、北陸、山陰の6県(新潟、富山、石川、福井、鳥取、島根)の県庁所在地はすべて人口で全国30位以内に入っていたんですね。
その後、裏日本からは風呂屋、豆腐屋、魚河岸などを中心に都市への人口流出が起こったと同書には書いてありましたから、やはり絹ごしは北陸で生まれ、北陸こそ都会的センスの源泉なのかもしれませんね。