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臆病口

テーマ:曳山・歌舞伎
4月に入りまして、当然の事ながらブログのテーマは曳山祭のことばかり。昨日でピリオドを打つつもりでしたが、未公開の記事が一つ残っていることに気がつきまして、もう一日だけお付き合いくださいませ。で、今日のタイトルは「臆病口」。

「臆病な口」ってどんな口?。え~、言いたいことがあるんだけれど、言うと叱られたり、文句を言われそうで、おどおどしているような口。とでも答えたくなりますが、違うんです。長浜の曳山で、三枚の障子の向かって左側、面幕の吊ってある出入り口を「臆病口」と申します。

大歌舞伎の花道に相当するものは、舞台から前方と側方に張り出され、通常は向かって左側の花道から役者が登場いたします。また、位の高い役どころや、屋敷の奥の間から登場、といった場面では舞台障子を開けて役者が出て参ります。

で、この「臆病口」はと申しますと、既に登場している役者が完全に場面から立ち去るというより、ちょっと奥の間に一時退去したりする時に使われます。または、舞台方が道具の出し入れに使ったり。

大辞泉で調べますと、次のように書かれております。
①能舞台の、向かって右手側面の奥にある小さな引き戸の出入り口。切り戸口。
②歌舞伎舞台で、能舞台を模した舞台装置のとき、上手奥に作られる出入り口。古くは上下(かみしも)両方の大臣柱の後ろの出入り口

元々は能から来ている用語のようですが、曳山の場合、上手ではなく下手にありますね。私はこの出入り口を「おくびょう口」と呼ぶことは知っていたのですが、「臆病」という言葉が結びつかないので、「奥屏風口」つまり「屏風の奥」なのかと漠然と思っておりました。しかし、あれは屏風ではなく障子ですからね。

それにしても、なぜ臆病なのか?能でそこから出入りする時に役者が臆病な気持ちになるから、と説明される方もいらっしゃいましたし、ものの本には「切られて殺された役者がここから退出するから」とも書かれておりました。確かに、そういうケースでは舞台方が黒い幕などで隠して役者をここから退出させます。

どうも、すっきりしませんねえ。元々能の場合、ちいさな目立たない出入り口だったわけなんで、小さい→(気が)小さい→臆病 という連想ではなかったのかと個人的には考えるのですが、だれか真相を教えて~。

後の祭り

テーマ:曳山・歌舞伎
皮肉なことに祭が終わった途端、それまでの寒気と雨が嘘だったかのような穏やかな晴天となりました。そんな上天気の下、昨日は朝から稽古場の撤収が行なわれました。これが終わると、祭の気配は完全に町から一掃されまして、ついこの間までの喧騒が夢ではなかったのかと錯覚すら覚えます。

さて、この後午後3時からは、役者後宴、すなわち役者の慰労会が京岩さんで催されました。役者だけではなく、役者親も招待されますが、この儀式における席順も古来決まっておりまして、それまで常に上座に位置していた奇合(若衆)筆頭が最も下座に坐り、若衆卒業者と舞台後見が最も上座に坐ります。つまり、卒業生を送る会、舞台後見の慰労会も兼ねていると考えてよいでしょう。

さてこの役者後宴は奇合(若衆)による儀式でありますが、中老も同日同場所で後宴を催します。場所は同じではありますが、奇合、中老、それぞれ別室で宴は催されます。翁山は若衆祭を行なっておりますので、やや奇異に思われるかもしれませんが、奇合と中老が入り乱れて酒席を共にする事はありません。

さて、役者後宴。筆頭の挨拶、直前筆頭による乾杯の後、役者への記念品贈呈等が行なわれ、宴が進んで参りますと、負担人さんが慰労と感謝のご挨拶のために中老席から奇合席においでになります。そして今度は、現筆頭が次期筆頭を連れて、中老席にその紹介を行ない承認を受けます。

翁山の場合、「筆頭が交代する」のはこの時点と考えられています。そして、いよいよこの後「中老送りの儀」が行なわれます。今回は私と、事実上若衆入りした時から年齢的には中老だったIさん(57歳)の二人が若衆を卒業し、中老入りいたします。

奇合、役者親さん、役者の前で卒業のあいさつを述べた後、「ヨイサ、ヨイサ」の声に送られまして、新筆頭が我々二人を伴い中老席に赴き、負担人始め中老諸氏に対して、我々の紹介と中老入りへのお伺いを立てます。

さて、ここで「どうぞ、どうぞ」とは参りませんで、「いや、まだ早い!」とか「そもそも中老へ来る気があるんかい!」といういちゃもんがつきまして、負担人が「中老内でいろいろ意見があるようなので、調整が必要。15分後にもう一度来てくれ」とおっしゃいまして、一度退席し、奇合席に戻ります。

15分後に今度は奇合席の自らの膳を持って、中老席に赴きます。そして、負担人から「中老内で色々協議した結果、両名を中老に迎え入れることとする」という御言葉を頂戴し、晴れて中老入りを果たします。この後、負担人さんから順に各中老にお酒を注ぎに回り、あいさつをいたします。(まあ、私の場合、太夫に対する慰労の話がほとんどではありましたが)

ほどなくいたしますと、新筆頭が再び中老席に参りまして、「今回の祭の成功を祝って、中老、奇合共に交わりお酒を酌み交わしたい」といった趣旨のことを申し上げて、中老を奇合席に招待いたします。

この後、中老一同、奇合席になだれ込みまして、初めて両者が酒席を共にすることになります。祭典中には決してない事であり、これぞまさしく「後の祭り」でございます。皆様お疲れ様でした。


満腹レポート2010

テーマ:曳山・歌舞伎
平成17年から秘かに書き続けております曳山祭満腹レポート。今年は自分が料理する側に立ったもんですから、公平な評価はできないのと、他店の料理を食ってる暇がないため、やめようかなと思っていたんですけど...。

一部のファンから熱いリクエストがありましたことと、幸か不幸か当店が一番料理となったおかげで、他店の料理もちょっと味見させていただくことができましたので、書くことにいたしました。まあ、例によって適当に読み流して下さいませ。

1.超超ひいき窓のお香々、さんばそうめん付

今回は心おきなく小紫女将のお手製のお漬物。タイミング良くふたを開閉するのが味の決め手。お早漬けもかなりいけるが、何と言ってもしわしわのお香々が最高の出来。ありゃもう九つ、いや六つ、と食った数をごまかすのも古例。欠け椀に一膳盛りで味わいたい。油いためもなかなかいけるじゃん、の評は二つ超超ひいき窓。

2.紙幣の使える缶コーヒー

東風どころか度重なる嵐にも耐える菅公ヒーの自販機。どの豆も粒よりでよく絞られたいい味を出している。しかし、何と言っても紙幣が使えるのが素晴らしい。しかし、実は悪徳自販機、「お前もいかい阿呆じゃな~」と七笑いされるが子銭は帰って来ない。いい意味で期待を裏切る納得のおいしさ。

3.男の花見幕の内弁当
団四郎料理人が42年ぶりに男の花見幕の内弁当を復活。加賀屋の人形ブリが売りで、あっちこっちに咲いたサクラから注文の声がよくかかる。石のようにかたいハブとかしわの辛味(からみ)も悪くないが、デザートの菓輪せロールの関西風味が出色の出来栄え。ただし、幕の内とはいえ幕が多すぎるのはいただけなかった。

4.神戸茶屋の管(くだ)付水雑炊
松尾料理人亡き後、国立料理学校卒業生のお気楽氏にバトンタッチ。神戸茶屋得意の水雑炊を管(くだ=ストロー)を使ってじっくり味合わせる新技を披露。若々しい素材がそれぞれ活きて、新鮮な雰囲気を醸し出している。赤ハチ巻で飛び込んで汲み上げた米川の水を使用する意気込みで本年栄光の四番料理をゲット。

ごちそうさまでした。今年もおいしい料理ばかりで満腹です。






堪えかねたる

テーマ:曳山・歌舞伎
先ほど御幣返しから帰って参りました。まだ稽古場撤収、役者後宴等が残っておりますが、公式行事としての曳山祭は御幣返しを以ってすべて終了いたしました。

私自身、若衆の立場を維持しながら、初の太夫出場ということでどうなるかと思いましたが、皆様方のお支えで何とか務めを果たし終えることができました。この場をお借りいたしまして感謝申し上げます。ありがとうございました。

さて、祭を執行していく中では、数々の事柄に「堪える」いや堪えなければならない状況に遭遇いたします。ところで皆さん、「堪える」と書いて何とお読みになります?「どじんえる」ではないですよ。「こたえる」?「こらえる」?そうです、どちらも正解です。

たびたび歌舞伎の話で恐縮ですが、今年演じた「引窓」という芝居の中で、「♪堪えかねたる長五郎、表を指して駆け出だすを」という浄瑠璃が出てまいりました。要するに、隠れていた長五郎さんが我慢できなくなって外へ出てきちゃう、という場面なわけです。

この場合「堪えかねたる」を「こたえ」と言うべきか、「こらえ」と言うべきかを悩みました。大歌舞伎のテープなどを聞きますと、どれも「こたえかねたる」と聞こえるのですが、「歌舞伎台本選集」を見ますと、はっきりと「こらえ」という読み仮名が打ってあります。

「こらえる」というのは、辛抱する意味でよく使いますが、「こたえる」というとどうでしょうか?辞書で「こたえる」と調べますと、「耐える、こらえる、我慢する」とありますから、「こらえる」と同義と考えてもよいですね。

しかし現在では、むしろ「堪えられない(こたえられない)」と否定形で使うことが多いですよね。この場合は、「この上なくすばらしく、この状態をずっと続けたい気持ちである」という意味になりますから、話は複雑になります。

こういった諸事情を勘案いたしまして、見物のお客様により状況を理解しやすいようにと思いまして、私は「こらえかねたる」と言うことにいたしました。もっともそんなことは誰もお気になさらないかもしれませんけどね。

それにしても今年の祭は、裸参りから今朝の御幣返しまで、すっきりとした天気がなく季節はずれの寒さと雨で、まさに「堪えかねたる」気候でしたね。誰のせい?それはちょっと「こたえかねます」。

子ども歌舞伎と危機管理

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日は曳山祭本日(ほんび)。雨こそ降りませんでしたが、私の記憶の範囲では史上最も寒い祭の本日でした。パッチにケツカイロは当然のこと、懐にもカイロ、足にはレッグウォーマー、羽織も着用して太夫席に臨みました。

こんな不順の天候です。大人でも体調管理が難しいところ、日々の厳しい稽古に耐えてきた子ども役者が悪くなっても何の不思議もありません。当町でも主役級の役者が13日から体調を崩し、14日は大事を取って登り山と夕渡りを欠場し、本日(ほんび)に臨んでくれました。

八幡宮での神前奉納は無事こなしてくれましたが、一八屋席(博物館広場)では、終盤で体調を維持できず山を降りました。舞台後見が機転を利かして私のところへ事情を告げに来て、セリフ台本を見せて本来その役者が言うべきセリフを指摘してくれましたので、私がその後の彼のセリフ部分を代わりに言って何とか幕に至りました。

彼は病院へ直行し点滴を受けましたが、最後のお旅所での神前奉納に備えて、次の札の辻席(黒壁前)は欠場させるという決断を筆頭が下しました。さて、代役をどうするか?短時間の間に決めなければなりません。

子どもの事ですから、このように病気で欠場を余儀なくせられることは、長い曳山祭の歴史の中では幾度となくあり、通常は舞台方が代役をこなすことになっております。舞台方は道具の出し入れを行なうだけの軽い役と思われがちですが、実はすべての役者のセリフ、動きを覚え、万が一の事態に備えるという重要な役割を果たします。

しかし、昨今では子どもの数が減ったりという理由もあって、舞台方を置かない町も出てきております。また今年の当町のように、配役バランスの関係上、小1になったばかりの最年少者を舞台方にせざるを得ないケースも考えられます。

主役級の代役をこの最年少の舞台方にさせるのは無理で、まして大人がやるわけにも参りません。そこで急遽、脇役の二人侍のうちの上級生(4年生)を主役の代役とし、その代役を舞台方に務めさせることになりました。ただし、セリフは山の下で振付さんが言うという形で。
新しい役割を急遽指導
芝居の前に見物のお客様に説明をしましたが、この時点で立ち去られるお客さんは全く居られませんでした。むしろ、事情を理解し温かい声援を送って下さいました。代役を務めた役者もよく動きを覚えていてくれて、ほぼ不足なく演じてくれました。

ちょかちょかしていた最年少の舞台方も自分の新たな役割を一生懸命務め、何より子どもたちが病欠の役者のために一致団結してがんばろう、と誓い合っていた姿に舞台裏に居た私は感動してしまいました。点滴を受けた後、最後のお旅所での神前奉納に、また復活上演してくれた彼の精神力にも拍手を送りたいと思います。

子ども歌舞伎には病気はつきものです。だれかが病気になって出られなくなった場合にはどうするか、という危機管理を事前にしておく必要性、そして舞台方という役割の重要性を再認識した一日でありました。
危機管理といえばこれもね
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