後の祭り

テーマ:曳山・歌舞伎
皮肉なことに祭が終わった途端、それまでの寒気と雨が嘘だったかのような穏やかな晴天となりました。そんな上天気の下、昨日は朝から稽古場の撤収が行なわれました。これが終わると、祭の気配は完全に町から一掃されまして、ついこの間までの喧騒が夢ではなかったのかと錯覚すら覚えます。

さて、この後午後3時からは、役者後宴、すなわち役者の慰労会が京岩さんで催されました。役者だけではなく、役者親も招待されますが、この儀式における席順も古来決まっておりまして、それまで常に上座に位置していた奇合(若衆)筆頭が最も下座に坐り、若衆卒業者と舞台後見が最も上座に坐ります。つまり、卒業生を送る会、舞台後見の慰労会も兼ねていると考えてよいでしょう。

さてこの役者後宴は奇合(若衆)による儀式でありますが、中老も同日同場所で後宴を催します。場所は同じではありますが、奇合、中老、それぞれ別室で宴は催されます。翁山は若衆祭を行なっておりますので、やや奇異に思われるかもしれませんが、奇合と中老が入り乱れて酒席を共にする事はありません。

さて、役者後宴。筆頭の挨拶、直前筆頭による乾杯の後、役者への記念品贈呈等が行なわれ、宴が進んで参りますと、負担人さんが慰労と感謝のご挨拶のために中老席から奇合席においでになります。そして今度は、現筆頭が次期筆頭を連れて、中老席にその紹介を行ない承認を受けます。

翁山の場合、「筆頭が交代する」のはこの時点と考えられています。そして、いよいよこの後「中老送りの儀」が行なわれます。今回は私と、事実上若衆入りした時から年齢的には中老だったIさん(57歳)の二人が若衆を卒業し、中老入りいたします。

奇合、役者親さん、役者の前で卒業のあいさつを述べた後、「ヨイサ、ヨイサ」の声に送られまして、新筆頭が我々二人を伴い中老席に赴き、負担人始め中老諸氏に対して、我々の紹介と中老入りへのお伺いを立てます。

さて、ここで「どうぞ、どうぞ」とは参りませんで、「いや、まだ早い!」とか「そもそも中老へ来る気があるんかい!」といういちゃもんがつきまして、負担人が「中老内でいろいろ意見があるようなので、調整が必要。15分後にもう一度来てくれ」とおっしゃいまして、一度退席し、奇合席に戻ります。

15分後に今度は奇合席の自らの膳を持って、中老席に赴きます。そして、負担人から「中老内で色々協議した結果、両名を中老に迎え入れることとする」という御言葉を頂戴し、晴れて中老入りを果たします。この後、負担人さんから順に各中老にお酒を注ぎに回り、あいさつをいたします。(まあ、私の場合、太夫に対する慰労の話がほとんどではありましたが)

ほどなくいたしますと、新筆頭が再び中老席に参りまして、「今回の祭の成功を祝って、中老、奇合共に交わりお酒を酌み交わしたい」といった趣旨のことを申し上げて、中老を奇合席に招待いたします。

この後、中老一同、奇合席になだれ込みまして、初めて両者が酒席を共にすることになります。祭典中には決してない事であり、これぞまさしく「後の祭り」でございます。皆様お疲れ様でした。


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