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行ってらっしゃい

テーマ:曳山・歌舞伎
昨晩は、曳山祭線香番。つまり、総当番から3名の委員さんが、狂言が40分以内に収まっているか測定に来られるという非常に緊張する儀式でございます。この他、市長、商工会議所会頭、教育長、観光協会会長等々のお歴々も各山組を順番に慰問されます。

昔は、この時間の計測を渦巻き線香を燃やして行なったことから「線香番」と称されるわけですが、現在は時計での計測となります。いずれにせよ、何とか40分の制限をクリアいたしまして一安心。

と行きたいところですが、これが終わると即、「裸参り」の準備に取り掛からねばならないわけです。私も参加したい気持ちは山々なのですが、今年は太夫を務める身。残念ながら隊列に加わることは許されません。

若衆と助っ人、それぞれ準備の整ったものから、続々と稽古場に集合いたします。
ガヤガヤガヤ
全員が揃ったところで、籤取人の紹介と筆頭による乾杯です
かんぱーい
ちなみに、翁山の場合、原則若衆筆頭は2名となります。おそらく曳山祭史上最年長筆頭だと思われるI君(左)とH君(右)の同級生コンビ。H君の日焼けして鍛えられた筋骨隆々の肉体はとても46歳とは思えません。

樽酒が十分に行き渡って、気合が入って来た所を見計らって、次期筆頭が三ツ矢南会館で待機している中老さんのところへ赴き、「裸参りの準備ができましたので警護をよろしくお願いいたします」と依頼いたします。

そして、いよいよ出発の準備です。
よいさ~、よいさ~
隊列が整いまして
行ってらっしゃ~い

私は、稽古場の留守番を兼ねて、残った樽酒を頂戴することといたしましょう。



散デー

テーマ:よもやま話
昨日は、午前中が小学校の、午後が中学校の入学式ということで、小学生と中学生の役者が3人ずついる我が町は朝と昼のお稽古がお休み。従って、この機会を狙いまして散髪に行って参りました。いつもは2ヶ月おきに行っているのですが、今回は2ヶ月半ほど経っており、かなり鬱陶しい状態。

ところで、我々気軽に「散髪」と言っておりますが、何で散髪というんでしょうね?「理髪店」とは言っても「散髪店」とは言わないし、だいいち「頭髪をきれいに整える」のだから、理髪はともかく、散髪は整ったものをバラバラにしてしまいそうじゃないですか。

正確なことはわかりませんが、これって明治維新による「断髪令」と関係あるんじゃないんでしょうか。「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」などという歌を社会で習った覚えがありますが、あのちょんまげを切って西洋風に短くしたざんぎり頭は「散切り頭」と書き、その髪型を「散髪」と称したわけです。

先の断髪令の正式名称も「散髪脱刀令」というそうで、要するに西洋風に「散髪」にすることが、時代を経て、単に髪を切ること、あるいは「理髪」の意味に転じたということではないでしょうか。

さて、私の行きつけの店は港の近くの髪工房さんなのですが、天気が良いので徒歩で参りまして、12時ごろ終了したところで、妻に連絡して車で来てもらいまして、昼のひと時を豊公園の満開の桜の下で過ごしました。
散る桜 残る桜も 散る桜
この桜も祭の頃には散ってしまうのでしょうね。

そして、先週から引いている風邪。どうも洟と痰のキレが悪くてすっきりいたしません。再度医者に行くほどひどくもないので、薬局で薬を買って帰ることにいたしました。数え切れないくらいの種類の風邪薬が並んでおりましたが、結局最も古典的なのどとせきの薬に落ち着きました。
ゴホンと言えば

花より団四、いや花

テーマ:曳山・歌舞伎
いよいよ線香番を明日に控えまして、各町とも芸の最後の仕上げに余念のないことだろうと思います。いや中には、いかに40分で芝居を収めるか頭を痛めているところもあるかもしれません。

稽古は初期の段階においては、浄瑠璃はテープか振付さんの口三味線で行なわれているわけですが、いよいよこの時期に入りますと、生の義太夫・三味線が入って参ります。うちの町はとりあえず夜だけですが、先の日曜日から入っております。

さて昨日は、このブログに連日コメントを頂戴いたしております「ねむり姫」改め「すや姫」さんが、花見船での観光がてら、名古屋からお友達と長浜にお越しでありまして、「ちょっと稽古を見学させてもらえないか」と依頼を受けました。

すや姫さんは私の小・中学校の同級生でありまして、翁山の三味線奏者の賀祝さんとも北小で同級の間柄ということで、線香番の前ですが、筆頭さんと振付さんにお願いいたしまして、見学の了解を取り付けました。

賀祝さんに電話して「すや姫さんが稽古見に来るって言うてるんやけど彼女覚えてるか?」と尋ねますと、「おお!あのべっぴんやろ」と即返事が返って参りまして、来客があったのをキャンセルして稽古場にかけつけて来ました。同じクラスになったこともないのに、お互いによく覚えておられました。

すや姫さんとご友人が来られて30分ほどした後、今度は新たな訪問客が稽古場に...。お~、萬歳楼の振付師である市川団四郎先生が、太夫さん、三味線さんを引き連れて、御三方で稽古見学に。実は団四郎先生は、わが町の振付師である岩井小紫先生のご実弟でありまして、「やあ、姉さん、どんな具合?」てな感じです。

で、私と賀祝さんを見るなり、「あれ、君たちやらないの?それを聞きに来たのに」、「いや、うちはまだ夜だけなんで」。てことで、テープの浄瑠璃で稽古が始まったわけですが、機械のくせに緊張したのか、途中でカセットデッキの調子が悪くなって、テープの声が「むにょ~ん、へにょ~ん」と伸び出しまして、振付さん「こら、あかんわ」と自ら義太夫を唄い出されました。

う~ん、太夫・三味線である私と賀祝さんが、他町の三役さんがお見えなのに、その場に居ながら実演もせず、振付さんの口三味線にお任せというのも何とも妙な感じでしたが、すや姫さんは喜んでお帰り下さったようだし、まあ良しとしとこか。

時平の七笑

テーマ:曳山・歌舞伎
自分の町はともかく、孔雀山さん、萬歳楼さんの芸題に関して書きましたので、もう一つの出番山、呉服町常磐山さんの演目にも触れてみたいと思います。

「天満宮菜種御供」、通称「時平の七笑い」というお芝居なのですが、近年では片岡我當さんが得意芸とされており、1月大阪松竹座の新春歌舞伎などによくかかりますが、曳山狂言としては史上初お目見えです。

天満宮とは言わずと知れた天神さん、菅原道真公を祀る神社でありますが、ここでは菜種をお供えするのが通例となっているのかと思いましたら、左遷の詔を受けて大宰府へ向かう途次、道真公が道明寺に立ち寄られた時に、辺り一面には菜の花が咲いていたのだそうです。

その後、菅公のおば君である覚寿尼公は毎日陰膳を据えていましたが、その飯を粉にし梅の実の形にした黄色の団子をこしらえたところ、病気平癒の効があるとして参拝者がこぞって求めた。という逸話があるようで、今でも道明寺天満宮では毎年3月25日には「菜種御供(なたねごくう)大祭」が行なわれ「河内の春ごと」として親しまれているようです。

さて、天下をねらう藤原時平が、政敵菅原道真の娘・紅梅姫が斎世親王と恋仲となったのを謀反の証しとして道真の追放に成功する。道真は身の不運を嘆き、すべてを時平に託して大宰府に左遷されていく。後に残った時平は最後には高笑いを見せて、その正体を暴露する。

というのが、ざっとしたあらすじなのですが、表向きは道真の味方を装いながら陰で策謀を巡らし、最後に「道真はいかい阿呆じゃな~」と高笑いするわけです。

それにしても、「七笑い」とはどんな笑いなのか?フッフッフ、ヘヘッ、ハハッ~、オホホホ、ヒヒッでとりあえず5つ、あとワ~ハッハッハと大笑いもあるでしょうし、ヌフフフ、ムホホ、とか考えればいくらでもありそうですが、一体どうやって笑い分けるのか注目です。

「最後に笑うやつが最もよく笑う」ということわざもあるようですが、
こんなもんが出てきたら
思わずニンマリとしたくなるでしょうね。

ちなみに、「時平」の七笑、この場合は「ときひら」ではなく「しへい」と読みます。

あみさん、画像無断借用してごめん


男の花道

テーマ:曳山・歌舞伎
「男の花道」と言ってもパチンコではございませんよ、悪しからず。長谷川一夫さん主演の映画にもなりましたが、その後新作歌舞伎の題材にもなりまして、本年の長浜曳山祭で瀬田町萬歳楼さんが上演されることになりました。

実は、この演目、私自身にとっても忘れることのできないものなのです。昭和43年にわが翁山で上演され、その時が私にとっての最初で最後の役者としての曳山祭出場となったのです。当時小学校2年生に成り立ての7歳でした。

役どころは、旗本柏原御前。主役の中村歌右衛門の恩人に難題を申し付ける意地悪な殿様役。偉そうに坐っているだけで、振りは盃を投げ捨てる以外、あまりありませんでしたが、2年生としては結構セリフがたくさんありました。ちなみに今でもセリフ覚えていますよ。

ちょうどNHKが稽古の時から取材に入っており、祭が終わり編集が完成した時点で東京のNHKに招聘され、「あすは君たちのもの」というドキュメンタリー番組に出場いたしました。また、サトーハチローさん作の「曳山の舞台に出た子どもたち」の詩はこの祭の時の我々が題材になっています。

主役の中村歌右衛門を演じた中村三喜男さんは、私達の町の方ではなく借役者だったのですが、それまでにいくつかの町で出場されており、おそらく歴代でも指折りの女形の名役者だったと思います。同じく土生玄碩は歌右衛門の眼病を治した恩人ですが、この役は現在長浜で能楽師としてご活躍の古橋正邦さんが演じられました。

その外の役は伊部町内の子どもが演じたのですが、いずれにせよ大評判をとった芝居だったようで、その時のことを覚えていらっしゃった瀬田町の役員さんが、ぜひこれをやってほしいと振付さんに上演を熱望されたと聞いています。

いわゆる古典歌舞伎ではなく、また上演時間も長く、現在は40分という時間制限が厳しくなっているので、もう曳山祭で演じられることはないだろう、と思っていましたので、今回の上演は他町ではありますが、とても楽しみにしています。萬歳楼の皆さん、頑張ってぜひいい芝居を見せて下さいね。
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