油買うもよし、売るもよし。楽しく老いるためのオイル日記
雀右衛門さん逝く
テーマ:曳山・歌舞伎
2012/02/25 09:08
昨年、富十郎さん、芝翫さんという名歌舞伎俳優が旅立っていかれましたが、一昨日今度は名女形の中村雀右衛門さんの訃報を聞くことになりました。91歳といいますから、寿命と言ってしまえばそれまでですが、ぽっかり穴の開いた喪失感というか寂しさを禁じえません。
随分以前ですが、雀右衛門の著書「私事」を読みました。「死んだつもりで生きている」という副題がついてありました。一口に歌舞伎俳優といいますが、時代背景もあって色々と紆余曲折があったようです。
戦争中は南方に従軍されトラック運転手もされていたと著書には書かれていました。元々は男役だったそうですが27歳で女形に転向。一時東宝映画に移り佐々木小次郎役で人気を博したそうです。
これは新聞にも書かれていましたが、岳父の七代目松本幸四郎さんから「女形は60歳にならないとものにならないよ」と言われて辛抱を重ねられたそうです。しかし、女性であれば閉経を過ぎた年齢になってから、女形としてものになる、ってんですから不思議なものですね。
瀬川菊之丞という人が書いた「女方秘伝」という本には「男の贔屓多く、あのやうな女あらばと思はるるやう望むことなり」と書かれていたそうですが、雀右衛門さんは確かにお歳を召されてからもなお、みずみずしいお姫様役を全く違和感なく演じたりと色気のある女方であったように思います。
著書「私事」の中に、雀右衛門さんは次のような言葉を残されております。
「大きな流れに翻弄されながら、運がいいとか悪いとか言えるのも生きているからこそ。生きている、そのことだけでもう幸せなのだとつくづく思います。」
確かにそのとおりですね。この言葉を噛み締めながら、雀右衛門さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
随分以前ですが、雀右衛門の著書「私事」を読みました。「死んだつもりで生きている」という副題がついてありました。一口に歌舞伎俳優といいますが、時代背景もあって色々と紆余曲折があったようです。
戦争中は南方に従軍されトラック運転手もされていたと著書には書かれていました。元々は男役だったそうですが27歳で女形に転向。一時東宝映画に移り佐々木小次郎役で人気を博したそうです。
これは新聞にも書かれていましたが、岳父の七代目松本幸四郎さんから「女形は60歳にならないとものにならないよ」と言われて辛抱を重ねられたそうです。しかし、女性であれば閉経を過ぎた年齢になってから、女形としてものになる、ってんですから不思議なものですね。
瀬川菊之丞という人が書いた「女方秘伝」という本には「男の贔屓多く、あのやうな女あらばと思はるるやう望むことなり」と書かれていたそうですが、雀右衛門さんは確かにお歳を召されてからもなお、みずみずしいお姫様役を全く違和感なく演じたりと色気のある女方であったように思います。
著書「私事」の中に、雀右衛門さんは次のような言葉を残されております。
「大きな流れに翻弄されながら、運がいいとか悪いとか言えるのも生きているからこそ。生きている、そのことだけでもう幸せなのだとつくづく思います。」
確かにそのとおりですね。この言葉を噛み締めながら、雀右衛門さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
コメント
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2012/02/25 09:30歌舞伎のよさは私にはわからないんですけど
別人に変身する様は、見事です
素顔からは、この方も想像できないくらい美しい
もともと男性のほうが美しんでしょうね
私は松井誠よく見に行きました
普段も綺麗な方ですけど、美しくて、身体が固まったことを思いだしました。
何と初舞台は0歳・・・捨て後の役だったそうですから
凄いですねぇ
生まれた星の下とはいえ素晴らしい人です -
2012/02/25 11:44中村錦之助、東千代之介と同じころ、映画に出ておられた大谷友衛門さんですね?
歌舞伎には馴染みがございませんが、小学校のころ見た時代劇は記憶にありそうです。
下駄やのおじさん -
2012/02/25 16:59>minoriさんへ
この方、80歳過ぎてもジーパン履いてバイクに乗っておられたそうです。しょうゆ顔の方が化粧した時は綺麗ですね。目鼻立ちがくっきりしていると化粧した時いやらしくなりますもん。
>ゲッティさんへ
さすが!時代劇でご覧になりましたか。そうです、大谷友右衛門さんです。この方、故中村歌右衛門さんや尾上梅幸さんといった大スターとあまり歳が変わらず、若い時はパットしなかったようですが、晩年はいつの間にか女形のトップの座に自然に着いておられましたわ。 -
ニルモン2012/02/25 21:19本日、ゆうこりんから、「ニルモンの事、甚さん書いてるよ」とのご連絡を頂きました。
湖国寮でのボヤ騒動、その時は大変ご迷惑をお掛けしました。ってか、翌朝まで全然理解なされてませんでしたもんね。
後日譚が有り、焼け焦げた布団の一部を処理するのに困ってしまい、布団を刻んで、燃えるゴミの日に出していたのですが、ある日寮母さんに見つかってしまいました。
「ニルモンさん、このゴミ何?」
間髪置かず「生ワカメです」
その後の事は記憶がございません。
完璧にボヤ騒動を隠蔽したつもりですが、唯一の失態は当時の彼女が現在のカカァであることでございます。
当時の事務長ご夫婦・曽○さん夫妻、寮母の橋○さん、藤○さん、そして寮長のゲルマンさん大変お世話になりました。
因みに当時の寮費は1ヶ月15,000円、食費が15,000円、合計月額30,000円で半期毎に親元が湖国協会に振り込んでくれていました。 -
2012/02/26 09:20>ニルモンさんへ
ご無沙汰いたしております。お元気そうで何よりです。そう言えばその後日譚聞いたことあるわ(笑)。当時の寮費は3万円/月ですか。てことは今度は3倍か。まあ、大学の授業料もかなり高くなったかんね。