おもったろ

テーマ:よもやま話
むかし、と言っても小学生低学年の頃、大通寺の近くとか小学校の近くには駄菓子屋さんがありました。いわゆる5円とか10円とかくらいの、低額のお菓子を売っているお店。

糸のついた三角形のイチゴ味の飴とか、黒い砂糖味の棒菓子とか、串にささったイカ。小さな箱に入った丸いガムもあったな。あとはベビーラーメンやかっぱえびせん等の袋菓子。思い出します。

でも考えてみると、私その頃、親からお小遣いもらっていた覚えがないんです。でも、そういう駄菓子を食べた覚えはある。そうそう、当時誰かに「おもって」もらってたんです。「おもってくれ~」と言ったつもりはないんですけど「おもったろか~」と友だちに言われた覚えはある。

きっと、「おもって」くれた奴は、親から「これでお菓子でも買うて遊んでき」と言われて小銭を幾ばくか渡されていたんでしょうね。でも何故か「こいつはリッチやな」とか「悪いな~」とか思わず、その状態をそのまま受入れていたような気がします。

で、それが「おもる」ではなく「おごる」だったんだなと気づくのは随分後になってからだったのですが、これはこの辺りの方言かと思っていたら、そうではなかったようです。「コトバの戦略的思考」という本に著者が私と同じような経験をしたことが書かれておりました。

著書曰く、「当時の私には『奢る』という行為の背景にある、深い戦略的意義などよくわかっていなかったから、むしろ相手のことを『思ってあげる』ということが、お金を出して一緒に食べるという意味だと考えていた』

小さな子どもには「おごる」というのは発音しにくく、「おもる」としか言えなかったのでしょうけど、「おごる」という言葉には確かに何となく、その行為によって他者に対して優越的な地位を確保する、みたいな戦略的なニュアンスがあって、それが過度になると「奢れる者も久しからず」となるわけですね。

子ども心には、ちょっと気前のよいお友だちに「思って」もらってる、そういう満足感だけで十分だったし、「おもる」方も、その行為で子分にしようということもなかったように思います。でも、そんな風に「おもって」くれたやつには今になると感謝の念が生じ、何となく借りを感じるんですが、「おもった」方はそのことを覚えているのかな~?

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