賽銭を投げる

テーマ:よもやま話
以前から何回か申し上げておりますが、毎月1日は多賀大社に参拝しております。しかし来月1日は昨年と全く同じよんどころのない事情で参拝がかないませんので、一足早く昨日お参りいたしました。

先月の1日参り同様、天気は雨。私も他人(ひと)のことを「○○○○あめさん」などと偉そうに言えません。

1日に比べますと参拝客も少なく、境内は比較的ひっそりとしておりました。財布から小銭を取り出しまして、賽銭箱に投げ入れ、参拝。

それにしても、なぜ日本人は賽銭を投げるんでしょうね?「神様に対して失礼じゃないか」とか「願いをかなえてもらうのに小銭はないやろ」などと、一般ピープルとしては考えてしまうのではないでしょうか?

こんな疑問をそのものずばりタイトルにした本を昔読みました。新谷尚紀氏著の「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」(文春新書)です。

「貨幣はケガレの吸引装置」「神社はケガレの吸引浄化装置」などと書いてありましたから、多分自分のケガレを貨幣に吸い込ませ、それを神社にお渡しして、ケガレを取り除いていただく行為である、という解釈なのでしょう。

また、通常贈与(物を贈ること)によって、物を贈った方が送られた方より立場が上に立って上下関係が発生するが、賽銭の場合は、ケガレのついた金を投げ捨てる儀式なので、カミとの間に上下関係が生まれるわけではなく、これは経済行為ではなく、厄払いである。といったちょっと小難しいことが書いてありました。

ぉ多賀さんの月参り、私の場合は100円玉を賽銭として投げ入れます。子供と一緒に参る時などは、「お前は子供だから」と10円玉を渡したりいたします。子どもの方がケガレが少ないと思われますので、そういう意味では上記の理屈に合っております。

それでも、財布の中身を見まして、500円玉と10円玉しか入ってない時などは、妙にドギマギいたしまして、一瞬投げ入れる硬貨の選択を逡巡してしまう私は、実に小市民だなあと思うわけです。

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