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英語はリズム

テーマ:まちづくり
先日、フェンシングの太田選手が五輪招致のプレゼンテーションに登場し万雷の拍手を受けたという報道を見ました。英語で夢や情熱を激しく訴えたそうですが、日本人に欠けているオーバー気味の表現法などの特訓も受けたそうな。

さらに、最近NTTの研究所が日本人の英語をネーティブ風のリズムに修正する技術を開発したそうですね。現状では、事前に同じ英文を読んだサンプルがないとリズムを変えられないそうですが、とにかくたどたどしく話した英語が流暢なものに変換されるというわけ。

でね、結局のところ「英語はリズム」ってことなのではないでしょうか。やれ、日本人はLとRの区別ができないとか、文法にこだわり過ぎてるとかいろいろ言われますけど、所詮英語を日本語のリズムでしか話せないから通じないし、聞き取れないのではないか。

英会話は全然出来ないけど、英語の歌はそれらしく歌えるって人結構いるんじゃないでしょうか?歌手なんかでも、こいつ英語喋れるんちゃうかと錯覚するような人いますもんね。あれは、英語のリズムで歌っているからで、曲がついていることでそれが身につきやすいからではないでしょうか?

だから、英語をシャワーのように聞くと英語が理解できるようになるというシャワー学習法はあながち間違いではないのかもしれません。

英語教育は小学校でもいよいよ正規の教科として教えられることになるような動きですが、長浜では既に1年生から英語教育が始まっています。それが手段ではなく目的化していて、ALTさえ配置しておけばOK的な雰囲気を危惧して提言した結果、とりあえず英検等で効果の検証をしていただけることになりました。

児童によっては、おそらく飛躍的に英語力が伸びている子もいるでしょうが、全体的にはおそらくさほど伸びはないのではないかと個人的には予想しています。平板な日本語のリズムとは大きく異なる他言語を自在に操ることはそう簡単なことではないはずです。

先日ワイドショーを見ておりましたら、尾木ママが「小学校の英語教育は大賛成で日本は遅れすぎ」と指摘しながらも「1,2年のうちは情操教育との兼ね合いもあるので、やはり3年くらいから始めるのがいいのではないか」とおっしゃっていました。まあ、しばらく長浜は実験台ですな。

胡と湖

テーマ:言葉・漢字
随分前に読んだ「ゴマの来た道」(小林貞作/岩波新書)という本に、確か「胡麻」の「胡」という字には「西方から来た」という意味がある、というようなことが書いてあって、その時は、なるほどそうか、胡麻はアフリカが発祥の地だもんね、とだけ思っておりました。

しかし、漢字に興味を持ち始めると「胡」という字そのものには、どう見ても「西から」なんていう意味が込められていそうにないことに気がつきます。じゃあ、ホントのところはどうなのよ、と大漢和字典を引きますと、「肉+古」の形声文字で「大きく表面を覆い隠す」意を含む、とあります。

この字はね、元々「垂れ下がったあごの肉」っていう意味らしいですよ。居ますよね、太ったおっちゃん、おばちゃんでそういう人。あと、牛とかヤギとかのアゴの皮も垂れ下がってますね。で、そこから転じて「垂れてあごをおおったひげ」も指すようになった。

「胡」と書いて「えびす」と読んだりもするのですが、この場合は「中国の北方や西方に住む遊牧人」の蔑称。あごひげの長い人種が多かったからこの字が充てられたようです。さらに中国の北方・西方を産地とするもの、例えば「胡麻」「胡瓜」「胡椒」などにつけるようになったんですね。

さらによく見ると、我々滋賀県人にとってあまりにも身近である「湖」という字にもこの「胡」という字が含まれているいるではないですか。そうです、もうおわかりですね、「牛のあごを覆って垂れる皮のように大地に覆いかぶさる水」→これが「みずうみ」の実態です。

うぅぅぅ、湖水に牛のよだれが入ってそうで、ちょっとロマンがなくなりましたね。「胡」の字を真剣に追求すると、胡麻油の売れ行きにも悪影響を与えそうなのでこのへんで失礼いたします。

反古

テーマ:言葉・漢字
書き損なっていらなくなった紙を「反古(ほご)」といいますが何でこんな風に言うのか、または読むのか不思議に思っていました。また、ここから転じて「約束を反古にする」などと、無効にするという意味でも使いますよね。

大辞林には、古くは「ほうぐ」「ほうご」「ほぐ」「ほんぐ」「ほんご」ともなんて書いてありまして、昔の人も読み方に困ったであろうことが推測されます。「反古」は「反故」とも書き、漢字の方も定まっておりません。ま、どうでもよいと捨てられたものなのだから、読みも字もいい加減だったのか。

漢和大辞典によれば、「ほご」としての意味は日本特有のものであって、元々は「昔にかえる」とか「祖先をまつる」という意味であったそうな。

「反」という字は「厂(がんだれ)」+「又(て)」の会意文字で、「布または薄い板を手で押して、そらせた姿」を表しており「そったものはもとにかえり、また薄い板や布はひらひらと翻るところから、かえる・ひるがえるの意となる」そうです。

一方、「古」という字。これは象形文字なんですが、何を表していると思いますか?「口」の部分は頭、その上の「十」みたいな部分は「冠か髪飾り」で、「古」は「まつってある祖先の頭蓋骨」なんだそうですよ。おいおい、先祖の頭蓋骨供えてたんかい。

で、長いこと経つとひからびてきますわな。なので、「古」という字は「ひからびてかたい昔のもの」を意味するようになったそうです。

結局、なぜ「反古」が現在の意味になったのかよくわかないんですけど、「古きにかえる」ことは最近悪いことでもないと思われてきましたし、いらなくなった紙は再生し昔の状態に戻すリサイクルも定着してきました。

「反古」はむしろ現代的に良い意味で使い、これまでの意味を反古にしたいくらいです。

かたじけない

テーマ:言葉・漢字
「ありがたい。もったいない。恐れ多い」という意味で使われる「かたじけない」。ま、歌舞伎とか時代劇とかにはよく出てくる言葉でございます。

「これはかたじけない」のようにくだけた会話で言うこともあるが、かなり古い感じがする。と語感の辞典にも、突き放されたような書き方がされております。

漢字で書くと「忝い」あるいは「辱い」。こりゃ、クイズに出てきそうな難読漢字ですな。「つつがない」とか「はずかしい」とか読んでしまいそうです。

語源由来辞典によれば、「かたしけ(難気)なし」あるいは「形がしこ(醜)」が転じて「かたじけ」になったという説もあるようです。

ま、語源はともかく大辞林を引いてみますと、何と「かたじけあり」という言葉もあって、「かたじけない」をふざけて言った語だそうで、元禄の頃の遊里で流行った、とあります。今も昔もあんまりやってることは変わりませんな。

さらに「忝涙(かたじけなみだ)」というのもあって、これは「かたじけなし」の「なし」を「なみだ」に掛けた語、と書かれており、ありがた涙のことだそうな。

あ、そうそう、「忝うする(かたじけのうする)」って聞いたことありません?「ご交誼を忝うする」という用例が辞書に書いてあるのですが、これってどういう意味だろうと思っていたら、「もったいないことに・・・していただく」ということだそうだそうです。

あ、私が登場を忝うすることになりましたテレビ番組の放映、本日予定通りあるようでございます。こんで使い方おおたるんかな?

ハンズフリー・ボカート

テーマ:よもやま話
先日、銀行のキャッシュコーナーで通帳記帳をしておりましたら、隣に立っている男性がATMに向かって大きな声で話しかけているではないですか。え、独り言?...でもなさそうな。

ATMの故障かなんかでテレフォンで内部の人としゃべってやあるんかな、と思ったんですけど、話の内容が今どこどこにいて、何時にどうのこうのとか聞こえてきますから違うみたいです。

よく見ると、その人耳にイヤホンつけてやあります。「あ~、この人電話で喋ってやあるんや」と気がついたんですが、おいおい運転中でもあるまいし、こんなところでハンズフリー使うなよ。

しかし、何か異様ですね、この光景。そもそも、携帯電話がまだ普及しきってなかった頃、電車の中とかで突然一人で喋りだす人がいて、たいそう不気味な感じがしたものでしたが、最近は慣れてきたのか、それほど違和感を感じなくなってしまいました。

まあ、携帯電話を持ちながら話しておられる場合、あまり会話が聞こえないように片手で抑えたり遠慮がちに話されると、まいっか、と寛容な気持ちで見過ごす余裕も出てきました。

しかし、手ぶらでですよ、しかもATMに向かって大声でしゃべる男。あんたちょっと異様やわ、やっぱり。やめとき、ハンズフリー・ボカート気取り。
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