大新聞と小新聞
テーマ:よもやま話
2013/06/16 09:18
皆さん、新聞は読まれますか?最近は電子版なるものが登場してまいりまして、うちの息子も日経の電子版を購読し始めたようですが、あれは新聞紙が溜まらないという利点がありますね。読みにくいけど。
さて、「大新聞と小新聞」と聞くと何を想像されます。現在ですと、購読部数の多い読売や朝日などが大新聞で、地方紙やスポーツ新聞などが小新聞というイメージが湧きますが、時は明治時代の話。
先日「上方芸能の魅惑」という本を読んでいたら、「明治初期の新聞には、当時言うところの『大新聞』と『小新聞』があった」という記述。元々は紙型の違いから生まれた呼称、つまり文字通り大きさが違ったんですね。ですからこれ読み方も「だい」「しょう」ではなく、「おおしんぶん」「こしんぶん」と読むらしい。
で、扱う記事の内容に差があり、「大新聞」は政治に対する言論を主に掲載し、読者は士族や政治活動家。一方の「小新聞」は娯楽記事中心で、庶民大衆が好んで読んだ、と。やっぱりスポーツ新聞や夕刊フジみたいな存在ですね、小新聞は。
「大新聞」は記事の内容から常に政府の干渉にさらされ、内容変更を迫られたり廃刊に追い込まれたりして、明治20年代になると衰退。やがて政治、経済、社会、文化すべての記事がバランスよく配された「中新聞」とでも呼ぶべきものに変わっていったそうです。
で、現在の読売、朝日、毎日などは当然元は「大新聞」からの流れだと思いますわな。ところが、発行部数最大の読売も日本のクオリティペーパーを自称する朝日もともに「小新聞」の流れを汲んでいるそうで、今日まで続いている新聞のうち大新聞の流れを汲むのは「毎日新聞」のようであります。
スタンドに毎日新聞の配達をされている方がバイクで給油に来られてお話をしていた時に、「毎日新聞は各紙の中でも紙の厚さが最も厚いんだ」とおっしゃっていたことを思い出しました。その人は「そんなことにこだわってるから、毎日は部数が伸びんのや」と文句をおっしゃっていたのですが。
しかし、そうかやっぱり毎日には「大新聞」としてのプライドが残っているんだな、と感じる次第です。うちはスタンドで毎日新聞を引いており、こちらにも回してもらって時々読んでいますが、バランスが取れていて読みやすいと思います。それと確かに紙質が良いので油詰め作業の下敷きにも使わせていただいております。頑張れ毎日。
さて、「大新聞と小新聞」と聞くと何を想像されます。現在ですと、購読部数の多い読売や朝日などが大新聞で、地方紙やスポーツ新聞などが小新聞というイメージが湧きますが、時は明治時代の話。
先日「上方芸能の魅惑」という本を読んでいたら、「明治初期の新聞には、当時言うところの『大新聞』と『小新聞』があった」という記述。元々は紙型の違いから生まれた呼称、つまり文字通り大きさが違ったんですね。ですからこれ読み方も「だい」「しょう」ではなく、「おおしんぶん」「こしんぶん」と読むらしい。
で、扱う記事の内容に差があり、「大新聞」は政治に対する言論を主に掲載し、読者は士族や政治活動家。一方の「小新聞」は娯楽記事中心で、庶民大衆が好んで読んだ、と。やっぱりスポーツ新聞や夕刊フジみたいな存在ですね、小新聞は。
「大新聞」は記事の内容から常に政府の干渉にさらされ、内容変更を迫られたり廃刊に追い込まれたりして、明治20年代になると衰退。やがて政治、経済、社会、文化すべての記事がバランスよく配された「中新聞」とでも呼ぶべきものに変わっていったそうです。
で、現在の読売、朝日、毎日などは当然元は「大新聞」からの流れだと思いますわな。ところが、発行部数最大の読売も日本のクオリティペーパーを自称する朝日もともに「小新聞」の流れを汲んでいるそうで、今日まで続いている新聞のうち大新聞の流れを汲むのは「毎日新聞」のようであります。
スタンドに毎日新聞の配達をされている方がバイクで給油に来られてお話をしていた時に、「毎日新聞は各紙の中でも紙の厚さが最も厚いんだ」とおっしゃっていたことを思い出しました。その人は「そんなことにこだわってるから、毎日は部数が伸びんのや」と文句をおっしゃっていたのですが。
しかし、そうかやっぱり毎日には「大新聞」としてのプライドが残っているんだな、と感じる次第です。うちはスタンドで毎日新聞を引いており、こちらにも回してもらって時々読んでいますが、バランスが取れていて読みやすいと思います。それと確かに紙質が良いので油詰め作業の下敷きにも使わせていただいております。頑張れ毎日。