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ドレミファ新聞のスクープ

テーマ:よもやま話
以前、小学校の時に毎日綴った日記帳が二十数冊残っていると書いたことがあります。なにか面白いこと書いてないかなと繰って眺めていると...。

昭和44年6月6日(金)  天気 雨のち曇

きょう学校で、ぼくらの組で、かべ新聞をつくりました。そうじのはんであつまってしました。はじめに、うぐいす色の画用紙一まいと白色の紙三まいをもらいました。そして紙を三まいとも半分に切って、一人紙の1/2にしました。

ぼくは、はんたいから読んでもふつうに読んでもおなじになることばと、早口ことばを書きました。そしてN君はなぞなぞを書いて、E君は◯◯○りんさんとこにいるエンゼルフィッシュのことを書いて、Y君は◯◯○りんさんのたんじょう日のことを書いて、◯◯○りんさんがつづき話を書いて、Eさんがどうぶつの絵を書きました。

そして、みんなできたので、次は新聞の名まえを、あまった紙をはってマジックで書きました。『ドレミファ新聞』です。そして、あいた所には虫めがねであそぶカラーりったい所をつくりました。そしてじっけんしたら、みごとせいこうしたので、前にあるつくえの上にのせておきました。



これ、小学校3年生の時の日記なんですが、壁新聞をグループで作ったんですね。今はこういうものも学校にあるパソコンで作るようですが、当時ははさみで紙を切ったり、のりで貼ったり。ちょうどこの2日前の日記には◯◯○りんさんの家に集まって下書き作りをしたことが書いてあります。

◯◯○りんさんの家にはエンゼルフィッシュが居たんですね。Y君が◯◯○りんさんの誕生日のことを書いたとありますが、ちょうど今日は(皆さんよくご存知の)その◯◯○りんさんのお誕生日のようです。◯◯歳、おめでとうございま~す。

牛角の勝負

テーマ:言葉・漢字
当初、焼肉の予定だったオフ会。食べられないとなると無性に食べたくなるのが人情。皆さんはどこの焼肉屋さんがお好きですか?

この写真を借用させていただいた方のブログに「2008は肉で勝負するって云われても。いままでも肉で勝負してたんぢゃないのかよ。」と書かれておりましたが、ごもっとも!ちなみに私は、この店は一度しか行ったことがありません。

いやいや、今日は焼肉の話をするつもりはなかったんです。でも「牛角の勝負」というタイトルからすれば、どうしても焼肉の話かと思いますわな。

これねぇ、「ごかくのしょうぶ」と読むんですよ。普通は「互角」と書きますけど、元々は「牛角(ごかく)」つまり牛の角のことなんだそうです。牛の角が左右とも長短・大小の違いのないさまから、互いに優劣のないことをいうようになったんですね。

「牛角」が「互角」と表記されるようになったのは室町時代以降で、例えば太平記の「京都両度軍事」には「京勢は又勢に乗り、山門方は力を落して、牛角の戦になりにけり」とあるそうです。

時代が変われば言葉も変わる。そのうち「互角」という名の「牛角」と甲乙つけがたい焼肉店が出てくるかもしれませんね。え!そんなもん「でん」?あ、その勝負なら、牛角かも。

イマジン

テーマ:よもやま話
偉大なる同級生くんさんのおかげで第8回のコブログオフ会も盛会のうちに終了いたしました。社交辞令とは言いながら、まずはその労に心より敬意を表したく存じます。場所は長浜駅前のグリーンホテル内のイマジンさん。

今回は、右隣が初対面のhanmiさん、向かい側が今までゆっくりお話しする機会のあまりなかった鴨ママさん、左隣が元性別年齢不詳の筍ちゃん。今回は二度目の隣席ということで、ざっくばらんに楽しくお話しさせていただきました。

なぜか鴨ママさんからのプレゼントが私に当たりまして、たくさんのシャンプーとか入浴剤の試供品が入っております。「うわっ、こんなにたくさん!」と思いましたが、鴨ママさんの助言で女性の参加者の皆さんに一つづつお配りすることに。

おかげさんで、少しづつでも参会の女性ブロガーさん皆さんとお話しすることができました。そうそう、くんさんやゆうこりんさんと私が同級生ということは皆さんご存知でしょうが、今回はもう一人の同級生が初参加。それがLianHairのみえさん。

長浜北小で一緒だったんですが、昨年正月の同窓会は出席の予定が急遽出られなくなり再会を果たすことができなかったので、感激もひとしお。思わず握手してしまいましたがな。「私は覚えてたんやけど、ゆうこりんさん覚えてやあれんかった」て。あかんがな、ゆうこりんさん(笑)

二次会では、久しぶりに会ったらかなり膨張しているおやじさんのお腹をつまみながらテニス談義。シニアの滋賀県チャンピョンは楽勝でなれる、と豪語されておりましたので今後のご活躍とダイエットに注目いたしましょう。テニスといえば、やっぱりオレンジあみさんの不在は寂しいですな。あの脳天ボイスが懐かしい。

あ、そうそう、全然話変わりますが、1次会で出てきたお肉、独特の野生臭がありましたけど、あれは一体何だったんでしょうね?牛っぽい外見ではありましたが、味は鹿?熊?(あ、くまさんは別のところで男性と飲んでたらしい・パヴァさん情報)

あの謎肉の正体は何だったのか?え?Imagine(想像せよ)?あ、店名はそういうことだったのね。

五百らかん

テーマ:よもやま話
昨日、お多賀さんのついたち参りの帰りに私も行ってまいりました。えべっさんにご紹介いただいた
ここ天寧寺五百らかん
いろいろと写真撮ったんだけど、帰ってえべっさんのブログ見直したら、ほぼいっしょやん。ま、ええか。山路住職とおぼしき方に入場料(400円)をお支払いいたしまして、
羅漢堂と呼ばれる仏殿へ
ぎょうさんや~る

私も探した五百番目の羅漢さん
なぜか壱番さんが二体
どちらかは十六羅漢の壱番さん?
外にはこんな素敵な石庭も

さて、このお寺の由来ですが、文政二年、男子禁制の槻御殿で、奥勤めの腰元若竹が懐妊しているという風評が広まり、藩主直中公の耳にも届き若竹はお手打ちに。後に相手が長男直清であることがわかり、若竹と初孫の供養のために五百羅漢を京都の大仏師に彫らして安置されたとか。長男さん最初から正直に言わなあかんやん。

そうそう、写真だけ撮ってさわり忘れた木造日本一の「布袋尊」
背が1.2m、重さ300kg
帰ってパンフレットよく読んだら、「ご利益も超大型」と書いてある。なんでも、「そのおへそにさわればヘソクリができ!扇にさわれば福来たり!袋にさわれば病気を封じる!」とある。ん?袋ってまさか....。

皆さんも是非お訪ね下さい、五百らかんさん。お賽銭も五百円からんとお願いしますね。

ニシン来たかと

テーマ:油甚本店
ユーストリームを使って湖北の魅力を紹介する「studioこほく」。今度は「長浜の引札特集」を企画されているようで、昨日アナウンサーのケイミーさんが取材にお越し下さいました。事前にとりあえず予習をしとこと思って引札を眺めておりましたら、
読めない字がある
「諸油石油商」というのは本業。その後に「並びに油粕・白子」とあり、さらに「魚偏に兆」のような字があるんですが、これが読めん。調べてもない。

あてずっぽうで「にしん」かな?と思ったけど確か「鰊」と書いたので違うか、と思ったら、もう一つあった「鯡」という字。これだ!「魚に非ず」とは随分じゃな~い、と思ったが、「非」というのはバラバラになるという意味があって、どうやら数の子のことを指しているらしい。

で、油甚は昔は魚も売っていたのか、というとさにあらず。現代において日本中を席捲したともいえる「よさこいソーラン節」。これの原型の「ソーラン節」はニシン漁の様子を歌ったものなんですね。昔はニシンの精子で北海道の海が真っ白になったというほど、ニシンがたくさん取れたんです。まさに魚に非ずってくらい。

今はニシンといえば数の子かもしれませんが、昔は身欠きにしん、よく食べました。しかし、食べきれないほど取れるんで乾燥させて肥料にしたんですね。「白子」も乾燥させて肥料にしたようです。つまり、うちはこの「ニシン」の肥料を扱っていたわけです。

これらは、北海道から北前船で北陸の港を経由して運ばれたんですが、北前船は元々近江商人が主導権を握っていたんだそうですね。現在日本海フェリーが北海道と北陸の港の間を結んでおり、その縁で小樽・敦賀・長浜の三市物産展というのを開催しておりましたが、江戸時代からニシンを介して結びつきがあったとは。

そういえば京都名物のにしんそば。よく考えてみると魚の切り身をそばの上に乗っけるのってちょっと違和感があるのですが、あれも北海道で取れすぎたニシンを大消費地で高くさばくための知恵だったのでしょうね。北海道西部にはニシン漁で儲けたお金で建てられた「鰊御殿」がいくつか残っているようです。
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