週末の食卓(58)
テーマ:週末の食卓
2012/06/10 09:24
(その1)
テレビで女子バレーをやってるのを見ていて
母: バレーでオリンピックに出るなんて私らの頃は考えられんかったなあ
妻: 私らの頃は、バレーでオリンピックに出られないなんて考えられんかったな
私: そうそう、メダルが当たり前
母: 何にしても日本がメダル取るなんて考えられんかったし、そうそう、前畑の時は覚えてるわ。前畑ぁ、前畑ぁて
私: あ~ん、「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!前畑ガンバレ」ね
母: 違う違う。 もっと上手に言わったわ
そりゃ、失礼いたしました。
(その2)
TVで釣りバカ日誌を見ていた時、小澤征悦が出てきたのを見て
![](../../resources/member/000/070/0125841/nFKJI2H4.jpg)
妻: あ、高橋がこんなところに
私: 高橋ぃ~?
妻: はよ、通報せな!
私: ????
妻: 賞金、賞金!
早く出て来い!
(その3)
先日、studioこほくの取材(引札)があった時
ケイミーさん: この上の菱形みたいなマークは何ですか?
私: これはね~、半纏とか道具の焼印とかにもついてるんですけど、これがいわゆる店のマークだったんですかねえ。
続きはこちら。大御所登場いたします。28:00あたりからどうぞ
テレビで女子バレーをやってるのを見ていて
母: バレーでオリンピックに出るなんて私らの頃は考えられんかったなあ
妻: 私らの頃は、バレーでオリンピックに出られないなんて考えられんかったな
私: そうそう、メダルが当たり前
母: 何にしても日本がメダル取るなんて考えられんかったし、そうそう、前畑の時は覚えてるわ。前畑ぁ、前畑ぁて
私: あ~ん、「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!前畑ガンバレ」ね
母: 違う違う。 もっと上手に言わったわ
そりゃ、失礼いたしました。
(その2)
TVで釣りバカ日誌を見ていた時、小澤征悦が出てきたのを見て
![](../../resources/member/000/070/0125841/nFKJI2H4.jpg)
妻: あ、高橋がこんなところに
私: 高橋ぃ~?
妻: はよ、通報せな!
私: ????
妻: 賞金、賞金!
![](../../resources/member/000/070/0125842/89SuwOb1.jpg)
(その3)
先日、studioこほくの取材(引札)があった時
ケイミーさん: この上の菱形みたいなマークは何ですか?
私: これはね~、半纏とか道具の焼印とかにもついてるんですけど、これがいわゆる店のマークだったんですかねえ。
続きはこちら。大御所登場いたします。28:00あたりからどうぞ
風が吹けば薬屋が儲かる
テーマ:よもやま話
2012/06/09 09:23
え~、以前から高尿酸値症、平たくいいますと痛風の薬を服用しております。と言っても、あの激痛を経験したことはないんで痛風という実感はないんですが、そんなこと説明しだしても面倒くさいし興味もないと思いますので、痛風ってことでいいですわ。
とにかく、その薬を定期的に処方してもらって買いにいきます。最初は月1だったんですが、医薬分業体制になって都度処方料がかかることに気づいて、2ヶ月に1回にしてもらったという話も以前書きました。で、先日処方してもらいにお医者さんに参りますと、窓口のお姉さんたら、
「今回から、尿酸値のお薬変わりましたからね」と。「は?何でですか?」「新しい薬が出ましたのでね、こちらの方に変更するようにと先生が」「何かええことあるんですか?」「そうですね、新薬ですんでね」
で、その後、お向かいの門前薬局に赴きまして、処方箋を渡し待っておりますと「油甚さ~ん」。「は~い」。「え~っと、こちらですね、今回からお薬変更になっておりますね。」「あの~、今までのとどう違うんですか?」「そうですね、副作用が小さくてね、今まで一日2錠、3錠飲んでた方が1錠で済みますしね」
あぁ、そうですか。で、会計見たらギョエッ!今までのお薬より500円くらい高いですやん。しかも、私前の薬も一日一錠しか飲んでへんかったやん。「高いんですね、前のより」「そうですねぇ、新薬ですから効能も高いですから、その分」
帰りまして中を見ましたら、何とこの薬ちょっと変。普通、こういう錠剤って2個づつパカッパカッって横に切り離せるようになってますよね。ところがこいつったら、切り取り線が縦に入っとるもんで、
→ ![](../../resources/member/000/070/0125699/FeeQ73PU.jpg)
こういうようにしかならん。これ無意味。やたらかさばるし、旅行に持って行く時もハサミで切らなアカンやん。
と、ぶつぶつ文句云うてましたら、昨日の朝日新聞の経済欄に「痛風新薬 期待の星」の大きな見出し。お、もしかして、と見たらその薬ですやん。今まで服用していたザイロリックという薬は日本では1969年に発売され、40年以上この薬しかなかったみたいです。
痛風患者は国内で100万人に迫る勢い。私のような高尿酸値症の患者は何と1600万人で30歳以上では3割が患っていると書かれておりました。年商1000億円を目指すという帝人ファーマの新薬「フェブリク」。足より財布が痛いわ。
とにかく、その薬を定期的に処方してもらって買いにいきます。最初は月1だったんですが、医薬分業体制になって都度処方料がかかることに気づいて、2ヶ月に1回にしてもらったという話も以前書きました。で、先日処方してもらいにお医者さんに参りますと、窓口のお姉さんたら、
「今回から、尿酸値のお薬変わりましたからね」と。「は?何でですか?」「新しい薬が出ましたのでね、こちらの方に変更するようにと先生が」「何かええことあるんですか?」「そうですね、新薬ですんでね」
で、その後、お向かいの門前薬局に赴きまして、処方箋を渡し待っておりますと「油甚さ~ん」。「は~い」。「え~っと、こちらですね、今回からお薬変更になっておりますね。」「あの~、今までのとどう違うんですか?」「そうですね、副作用が小さくてね、今まで一日2錠、3錠飲んでた方が1錠で済みますしね」
あぁ、そうですか。で、会計見たらギョエッ!今までのお薬より500円くらい高いですやん。しかも、私前の薬も一日一錠しか飲んでへんかったやん。「高いんですね、前のより」「そうですねぇ、新薬ですから効能も高いですから、その分」
帰りまして中を見ましたら、何とこの薬ちょっと変。普通、こういう錠剤って2個づつパカッパカッって横に切り離せるようになってますよね。ところがこいつったら、切り取り線が縦に入っとるもんで、
![](../../resources/member/000/070/0125698/EygP6746.jpg)
![](../../resources/member/000/070/0125699/FeeQ73PU.jpg)
こういうようにしかならん。これ無意味。やたらかさばるし、旅行に持って行く時もハサミで切らなアカンやん。
と、ぶつぶつ文句云うてましたら、昨日の朝日新聞の経済欄に「痛風新薬 期待の星」の大きな見出し。お、もしかして、と見たらその薬ですやん。今まで服用していたザイロリックという薬は日本では1969年に発売され、40年以上この薬しかなかったみたいです。
痛風患者は国内で100万人に迫る勢い。私のような高尿酸値症の患者は何と1600万人で30歳以上では3割が患っていると書かれておりました。年商1000億円を目指すという帝人ファーマの新薬「フェブリク」。足より財布が痛いわ。
ユジンではないんです
テーマ:油甚本店
2012/06/08 09:15
一昨日、長浜商店街連盟の総会が行なわれまして、終了後焼肉ぎおんさんで懇親会。来賓として長浜市副市長、経済部長、商工振興課長、長浜商工会議所専務理事さん等がお見えになりました。
副市長さんが来賓代表としてご挨拶されたのですが、この方4月から同職に赴任。総務省からの出向で何と38歳の若さ。就任直前は震災復興庁で仕事をされていたようで、山口県で地方勤務の経験もお有りだとか。
宴も進んで参りますと、副市長さんが各テーブルを回って皆さんにご挨拶に。私は白さんのお父さんやゲッティさんと同じテーブルにいたのですが、副市長さん開口一番、「皆さん、お店の名前をおっしゃって下さい。それでわかりますから」
「うちは茶しんです」「あ~、あのホワイト餃子で有名な」。「藤本屋です」「あ~、いつも前を通っていますよ」てな具合に。どうやら、長浜の商店街のお店はくまなく事前調査され頭に入っているご様子。さすがキャリアですな。
「え~、油屋でございます」と申し上げると、「あぁ、ネットでお宅の胡麻油よく出てきますね、何か特別にPRされてるんですか?」「いや、特に」「そうですか、『ユジン』さんの胡麻油はるるぶにも載ってますもんね」「あの~、『あぶらじん』って読むんですけど....」(ついでに、るるぶでなくマップルですわ)
そうなんです。結構、「ユジン」と読まれる方お客様の中にもたくさんいらっしゃいます。そりゃ、「サラダ油」を「サラダあぶら」という人と「サラダゆ」という人がいるのだから当然です。
そう言えば、40年ほど前にパウワースに出店してカー用品を売っていたことがあるのですが、父が誰かに、「あぶらじん」という名前ではカー用品のモダンなイメージに合わないので別の名前で出店したらどうかと言われたようです。
そこで名乗ったのが「ユ-ジン」だったかな?いつの間にか「あぶらじん」に戻っていましたが、そんな時代もあったんですね。そうそう、ちなみに「ユジン」で検索したら、
こんな可愛い画像が![](../../resources/member/000/070/0125563/TDwj3s38.jpg)
亡くなったパク・ヨンハの恋人だったと書いてあった。「ユジン」というのは韓国人名のひとつでもあるらしい。どうでもいいですけど。
副市長さんが来賓代表としてご挨拶されたのですが、この方4月から同職に赴任。総務省からの出向で何と38歳の若さ。就任直前は震災復興庁で仕事をされていたようで、山口県で地方勤務の経験もお有りだとか。
宴も進んで参りますと、副市長さんが各テーブルを回って皆さんにご挨拶に。私は白さんのお父さんやゲッティさんと同じテーブルにいたのですが、副市長さん開口一番、「皆さん、お店の名前をおっしゃって下さい。それでわかりますから」
「うちは茶しんです」「あ~、あのホワイト餃子で有名な」。「藤本屋です」「あ~、いつも前を通っていますよ」てな具合に。どうやら、長浜の商店街のお店はくまなく事前調査され頭に入っているご様子。さすがキャリアですな。
「え~、油屋でございます」と申し上げると、「あぁ、ネットでお宅の胡麻油よく出てきますね、何か特別にPRされてるんですか?」「いや、特に」「そうですか、『ユジン』さんの胡麻油はるるぶにも載ってますもんね」「あの~、『あぶらじん』って読むんですけど....」(ついでに、るるぶでなくマップルですわ)
そうなんです。結構、「ユジン」と読まれる方お客様の中にもたくさんいらっしゃいます。そりゃ、「サラダ油」を「サラダあぶら」という人と「サラダゆ」という人がいるのだから当然です。
そう言えば、40年ほど前にパウワースに出店してカー用品を売っていたことがあるのですが、父が誰かに、「あぶらじん」という名前ではカー用品のモダンなイメージに合わないので別の名前で出店したらどうかと言われたようです。
そこで名乗ったのが「ユ-ジン」だったかな?いつの間にか「あぶらじん」に戻っていましたが、そんな時代もあったんですね。そうそう、ちなみに「ユジン」で検索したら、
こんな可愛い画像が
![](../../resources/member/000/070/0125563/TDwj3s38.jpg)
亡くなったパク・ヨンハの恋人だったと書いてあった。「ユジン」というのは韓国人名のひとつでもあるらしい。どうでもいいですけど。
健康と養生
テーマ:よもやま話
2012/06/07 09:14
私は現在51歳なのですが、徳川十五代の将軍の平均寿命はおよそこの51歳だったそうです。三河の大樹寺という徳川家の菩提所には、何と歴代将軍の遺体と等身大の位牌が安置されているのだとか。
この中で5代将軍綱吉だけは124cmと異常に小さく、どうやら内分泌異常で低身長症であったようです。また大河ドラマでも放映されたように、九代家重と十三代家定は障害者でありました。
「徳川将軍家十五代のカルテ」(篠田達明/新潮新書)という本にこれらのことが記載されていたわけですが、将軍の息子という特殊な条件下にあったとはいえ、障害者を差別することなく受け入れたのは日本史上特筆すべき出来事であったと筆者は記しています。
さて、初代将軍家康がいろいろな健康法を追求し食事や運動にも気をつかって長生きしたというのは有名な話ですが、普段我々が頻繁に使用し、おそらく最高の価値としてもてはやす「健康」。しかし意外にも15代将軍慶喜の時代までは、まだ「健康」ということばはなく、すべて「養生」といったそうです。
「健康」は緒方洪庵もしくは福沢諭吉の造語と言われているようで、出典は11世紀の中国文献「筋骸粗康健」からとのこと。これね、「からだはおおむね丈夫です」という意味なんだそうです。
からだの養生と心の養生を結合させて具体的に説かれた貝原益軒の「養生訓」は有名ですが、「人は長生きするのではなく、人生を味わい自分のしたいことをするために、元気でいなくてはならないということ」がその骨子のようです。
長らく世界一の平均寿命を誇ってきた日本人ですが、確かに大切なのは平均寿命より健康寿命。先ごろ女性の健康寿命が一番短いのは滋賀県だと報道されておりました。働き過ぎかストレスか。養生せんと往生しまっせ~。
この中で5代将軍綱吉だけは124cmと異常に小さく、どうやら内分泌異常で低身長症であったようです。また大河ドラマでも放映されたように、九代家重と十三代家定は障害者でありました。
「徳川将軍家十五代のカルテ」(篠田達明/新潮新書)という本にこれらのことが記載されていたわけですが、将軍の息子という特殊な条件下にあったとはいえ、障害者を差別することなく受け入れたのは日本史上特筆すべき出来事であったと筆者は記しています。
さて、初代将軍家康がいろいろな健康法を追求し食事や運動にも気をつかって長生きしたというのは有名な話ですが、普段我々が頻繁に使用し、おそらく最高の価値としてもてはやす「健康」。しかし意外にも15代将軍慶喜の時代までは、まだ「健康」ということばはなく、すべて「養生」といったそうです。
「健康」は緒方洪庵もしくは福沢諭吉の造語と言われているようで、出典は11世紀の中国文献「筋骸粗康健」からとのこと。これね、「からだはおおむね丈夫です」という意味なんだそうです。
からだの養生と心の養生を結合させて具体的に説かれた貝原益軒の「養生訓」は有名ですが、「人は長生きするのではなく、人生を味わい自分のしたいことをするために、元気でいなくてはならないということ」がその骨子のようです。
長らく世界一の平均寿命を誇ってきた日本人ですが、確かに大切なのは平均寿命より健康寿命。先ごろ女性の健康寿命が一番短いのは滋賀県だと報道されておりました。働き過ぎかストレスか。養生せんと往生しまっせ~。
ハジムーン
テーマ:よもやま話
2012/06/06 09:04
え~、実は本日銀婚式を迎えました。つまり、今から25年前の1987年6月6日、私たち夫婦は結婚式を挙げたわけです。そこまでは目出度かった。いや、その後もっと「おめでたい」ことが....。
結婚式の翌日、当然のごとく新婚旅行、つまりハネムーンに旅立つわけであります。東京で式を挙げましたので成田から飛ぶわけですが、その前に箱崎のTCATで通関を済ませます。行き先はタヒチなのですが、当時は直行便が無く、ハワイ経由。ちなみにタヒチは赤道を挟んでハワイと対称の位置にある「最後の楽園」。
当時私は某石油会社で製品輸入を担当しておりましたが、バブルの少し前ということもあり、取引のあった商社などから頂戴した御祝で一人分の旅費が出るような時代でした。さて意気揚々と箱崎へ向かう二人。通関のところに座っていたのは、やや小太りのメガネをかけていた中年女性と記憶しております。
さっとパスポートを提示したところまでは良かった。ところが、この通関婦いや通関士さん、無表情に、実に無表情に、顔色一つ変えず言い放った言葉が「ご主人のビザが切れてます」。「はぁ~?どういうことですか?」「アメリカのビザが無効だということです」「そんなあほな。パスポートはまだ有効ですやん」
そうなんです。大学の卒業旅行でアメリカ西海岸に行った時にパスポートを取得してからまだ4年3ヶ月。ところが、当時、当時はですよ、ビザの有効期間は4年。つまり、パスポートは生きていたのにビザは死んでいた。→アメリカ行けない→ハワイはアメリカ→ハワイ、すなわちタヒチも行けない。
どうしたらええねん!っとそこにあった旅行会社に駆け込みます。近畿何とかという会社でしたが、「とりあえず何ともなりません」と。今なら「お前んとこのせいや!とりあえず国内旅行準備して、その後ただで行かせろ!」とでも言ったのでしょうが、「こちらも不注意でした」と、とりあえず新居に戻る二人。
帰ってから、「オーストラリア経由なら何とか準備できますが、旅程がかなり短縮されます」という旅行会社からの電話。結局、あきらめて1ヶ月後に同じ旅程で組み直して仕切り直しということに。しかし、この時の妻の態度にはほんと感謝しましたわ。怒ることもなく許してくれました(以後頭上がら~ず)。
翌日、私は会社に向かいました。新婚旅行で当分の間休むはずの私がそこに現れたことに戸惑わない人は誰一人居りませんでした。正直に事情を話すと大爆笑。ところが、外部から来るお客さんは私の存在を確認すると、遠くから横目で私を見ながら、他の人とひそひそ話。
内容はおよそ推測できます。「◯◯さん、どうなされたんですかぁ?成田離婚?」に決まってます。こうして、私はほとぼりが覚めるまで会社中の晒し者としてしばらく過ごすことになったのです。
なお、地元の長浜八幡宮で結婚式を挙げる前に東京で済ますことに不満だった父だけが「ほれ見てみ、バチが当たったほん」と満足気だったようです。おお、八幡大菩薩よ!
結婚式の翌日、当然のごとく新婚旅行、つまりハネムーンに旅立つわけであります。東京で式を挙げましたので成田から飛ぶわけですが、その前に箱崎のTCATで通関を済ませます。行き先はタヒチなのですが、当時は直行便が無く、ハワイ経由。ちなみにタヒチは赤道を挟んでハワイと対称の位置にある「最後の楽園」。
当時私は某石油会社で製品輸入を担当しておりましたが、バブルの少し前ということもあり、取引のあった商社などから頂戴した御祝で一人分の旅費が出るような時代でした。さて意気揚々と箱崎へ向かう二人。通関のところに座っていたのは、やや小太りのメガネをかけていた中年女性と記憶しております。
さっとパスポートを提示したところまでは良かった。ところが、この通関婦いや通関士さん、無表情に、実に無表情に、顔色一つ変えず言い放った言葉が「ご主人のビザが切れてます」。「はぁ~?どういうことですか?」「アメリカのビザが無効だということです」「そんなあほな。パスポートはまだ有効ですやん」
そうなんです。大学の卒業旅行でアメリカ西海岸に行った時にパスポートを取得してからまだ4年3ヶ月。ところが、当時、当時はですよ、ビザの有効期間は4年。つまり、パスポートは生きていたのにビザは死んでいた。→アメリカ行けない→ハワイはアメリカ→ハワイ、すなわちタヒチも行けない。
どうしたらええねん!っとそこにあった旅行会社に駆け込みます。近畿何とかという会社でしたが、「とりあえず何ともなりません」と。今なら「お前んとこのせいや!とりあえず国内旅行準備して、その後ただで行かせろ!」とでも言ったのでしょうが、「こちらも不注意でした」と、とりあえず新居に戻る二人。
帰ってから、「オーストラリア経由なら何とか準備できますが、旅程がかなり短縮されます」という旅行会社からの電話。結局、あきらめて1ヶ月後に同じ旅程で組み直して仕切り直しということに。しかし、この時の妻の態度にはほんと感謝しましたわ。怒ることもなく許してくれました(以後頭上がら~ず)。
翌日、私は会社に向かいました。新婚旅行で当分の間休むはずの私がそこに現れたことに戸惑わない人は誰一人居りませんでした。正直に事情を話すと大爆笑。ところが、外部から来るお客さんは私の存在を確認すると、遠くから横目で私を見ながら、他の人とひそひそ話。
内容はおよそ推測できます。「◯◯さん、どうなされたんですかぁ?成田離婚?」に決まってます。こうして、私はほとぼりが覚めるまで会社中の晒し者としてしばらく過ごすことになったのです。
なお、地元の長浜八幡宮で結婚式を挙げる前に東京で済ますことに不満だった父だけが「ほれ見てみ、バチが当たったほん」と満足気だったようです。おお、八幡大菩薩よ!