ニシン来たかと

テーマ:油甚本店
ユーストリームを使って湖北の魅力を紹介する「studioこほく」。今度は「長浜の引札特集」を企画されているようで、昨日アナウンサーのケイミーさんが取材にお越し下さいました。事前にとりあえず予習をしとこと思って引札を眺めておりましたら、
読めない字がある
「諸油石油商」というのは本業。その後に「並びに油粕・白子」とあり、さらに「魚偏に兆」のような字があるんですが、これが読めん。調べてもない。

あてずっぽうで「にしん」かな?と思ったけど確か「鰊」と書いたので違うか、と思ったら、もう一つあった「鯡」という字。これだ!「魚に非ず」とは随分じゃな~い、と思ったが、「非」というのはバラバラになるという意味があって、どうやら数の子のことを指しているらしい。

で、油甚は昔は魚も売っていたのか、というとさにあらず。現代において日本中を席捲したともいえる「よさこいソーラン節」。これの原型の「ソーラン節」はニシン漁の様子を歌ったものなんですね。昔はニシンの精子で北海道の海が真っ白になったというほど、ニシンがたくさん取れたんです。まさに魚に非ずってくらい。

今はニシンといえば数の子かもしれませんが、昔は身欠きにしん、よく食べました。しかし、食べきれないほど取れるんで乾燥させて肥料にしたんですね。「白子」も乾燥させて肥料にしたようです。つまり、うちはこの「ニシン」の肥料を扱っていたわけです。

これらは、北海道から北前船で北陸の港を経由して運ばれたんですが、北前船は元々近江商人が主導権を握っていたんだそうですね。現在日本海フェリーが北海道と北陸の港の間を結んでおり、その縁で小樽・敦賀・長浜の三市物産展というのを開催しておりましたが、江戸時代からニシンを介して結びつきがあったとは。

そういえば京都名物のにしんそば。よく考えてみると魚の切り身をそばの上に乗っけるのってちょっと違和感があるのですが、あれも北海道で取れすぎたニシンを大消費地で高くさばくための知恵だったのでしょうね。北海道西部にはニシン漁で儲けたお金で建てられた「鰊御殿」がいくつか残っているようです。

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