長広舌
テーマ:よもやま話
2012/04/09 09:02
「スピーチとスカートは短いほうがいい」。「いや、いっそ無い方がいい」などとよく言われますように、長い挨拶というのは嫌われます。自己紹介が長いのもうんざり。4/4の日経新聞生活欄に、そのような長広舌を持つ方々にはいろいろなタイプがあり、またなぜそうなるのかが書かれておりました。
まず、いろいろなタイプというのは、次の5つ
1.「質問二の次型」:講演会で質問と称して自説を延々と展開する(いるいる!)
2.「そもそも型」:自分の参加理由や立場を「そもそも」と詳細に説く(いるいる!)
3.「偉い人型」:権威があるため、だらだらした話を誰もとめられない(超~いる!)
4.「歴史うんちく型」:相手が関心なくても、歴史知識をくどくどと解説(うるさいほど!)
5.「欲が裏目型」:場に受ける挨拶を狙うあまり、話の空転が続く(あるな、私)
これだけ、見事に分類されていると気持ちがいいですね。当てはまる人、反省して下さいね。そして、長くなる原因として聖路加国際病院の精神科医の大平氏が挙げていたのが次の3つ。
1.「年齢とともに低下しがちな思考力の問題」。年をとると頭の回転が遅くなり、しゃべりながら考え、またしゃべるという方法をとると思考が追いつかず、話の収拾がつかなくなる。
2.「丁寧すぎる話し方」。意を尽くすためにたくさん説明するが、時間が限られているので早口になったり、詰め込みすぎでくどくなる。
3.「学校教育の場での演説」。小中学校の時代から校長先生の長い話を聞いて育つ。あれが人々の挨拶のモデルに無意識のうちになっている、と。さて今日は小・中学校の入学式ですが、校長舌と呼ばれることがないように気をつけてくださいね。
まず、いろいろなタイプというのは、次の5つ
1.「質問二の次型」:講演会で質問と称して自説を延々と展開する(いるいる!)
2.「そもそも型」:自分の参加理由や立場を「そもそも」と詳細に説く(いるいる!)
3.「偉い人型」:権威があるため、だらだらした話を誰もとめられない(超~いる!)
4.「歴史うんちく型」:相手が関心なくても、歴史知識をくどくどと解説(うるさいほど!)
5.「欲が裏目型」:場に受ける挨拶を狙うあまり、話の空転が続く(あるな、私)
これだけ、見事に分類されていると気持ちがいいですね。当てはまる人、反省して下さいね。そして、長くなる原因として聖路加国際病院の精神科医の大平氏が挙げていたのが次の3つ。
1.「年齢とともに低下しがちな思考力の問題」。年をとると頭の回転が遅くなり、しゃべりながら考え、またしゃべるという方法をとると思考が追いつかず、話の収拾がつかなくなる。
2.「丁寧すぎる話し方」。意を尽くすためにたくさん説明するが、時間が限られているので早口になったり、詰め込みすぎでくどくなる。
3.「学校教育の場での演説」。小中学校の時代から校長先生の長い話を聞いて育つ。あれが人々の挨拶のモデルに無意識のうちになっている、と。さて今日は小・中学校の入学式ですが、校長舌と呼ばれることがないように気をつけてくださいね。
ヤーヤ
テーマ:曳山・歌舞伎
2012/04/08 09:23
昨日は、4月第一土曜日ということで曳山博物館に入庫している展示曳山を入替えを行なう「交替式」。今年出番の四基が出庫し、私どもの翁山を含めて来年の出番山四基が入庫いたします。
さて、山蔵から曳山博物館に向けて出発の前に、総当番に出向されている中老さんが今年は「ヤーヤで行くで」とわけのわからないことをおっしゃいます。「ヤーヤって何ですか?」と思わず聞き返します。
曳山祭といえば、掛け声は「よいさ!」がお馴染み。山曳き、くじ取り、裸参り、すべてに渡って「よいさ」の掛け声で物事が動きます。ところが、数十年前までは、山を曳く時の掛け声は「よいさ」ではなくて「ヤーヤ」だったという記録が残っていることが、今年の総当番の中で発見されたそうです。
今年の総当番委員長を輩出している我が伊部町組としては、これを復活させないわけにはいかないという話になったらしく、綱先さん、まじで「ヤーヤ!」と威勢よく出立ちの掛け声を掛けられたではないですか。「えっ!まじ?冗談ちゃうん」と思いましたが、合いの手も「ヤーヤ」って皆云うてますやん。
しかし、何か気合が入りません。「ヤーヤ」では、どうも曳くのが「いやや」的なイメージが湧き出てきそうな雰囲気です。各人がてんでバラバラの間合いで声を掛けるもんですから、締りの無いことこの上なし。さて、来年の当町の出番で「ヤーヤ」は採用されるのか否か、注目されるところです。
さて、出立の少し前に山蔵の前で待機しておりましたら、北の方からグレーの車がやって来たのですが、バリケードで通行止めとなっているため、ガードマンさんに止められ、運転手の女性が説明を受けておられます。
「あれ~、何か見たことあるなぁ」と近づいて行きますと、何とゆうこりんさんやん。「あかんがなぁ~、こんなところに入って来たらぁ~」「あれま、こんなところで」「どこ行くん?」と尋ねますと、お得意さんの◯庵さんにお酒の配達とのこと。
「悪いけど、ぐる~っと大回りせなアカンわ。あ、テレビ見たで、横顔アップ」「やーゃ、見んといて」と言って、まさにヤ~矢の如く去って行かれました。離れて見ていた紋付姿の翁山副負担人さん、「べっぴんさんのところには目ざとく飛んでくなぁ」とおっしゃいますけど、目ざといのはどっちやねん。
(追記)
曳山交替式の様子は、こちらのブログで。私の後ろ姿が拝めます(笑)
さて、山蔵から曳山博物館に向けて出発の前に、総当番に出向されている中老さんが今年は「ヤーヤで行くで」とわけのわからないことをおっしゃいます。「ヤーヤって何ですか?」と思わず聞き返します。
曳山祭といえば、掛け声は「よいさ!」がお馴染み。山曳き、くじ取り、裸参り、すべてに渡って「よいさ」の掛け声で物事が動きます。ところが、数十年前までは、山を曳く時の掛け声は「よいさ」ではなくて「ヤーヤ」だったという記録が残っていることが、今年の総当番の中で発見されたそうです。
今年の総当番委員長を輩出している我が伊部町組としては、これを復活させないわけにはいかないという話になったらしく、綱先さん、まじで「ヤーヤ!」と威勢よく出立ちの掛け声を掛けられたではないですか。「えっ!まじ?冗談ちゃうん」と思いましたが、合いの手も「ヤーヤ」って皆云うてますやん。
しかし、何か気合が入りません。「ヤーヤ」では、どうも曳くのが「いやや」的なイメージが湧き出てきそうな雰囲気です。各人がてんでバラバラの間合いで声を掛けるもんですから、締りの無いことこの上なし。さて、来年の当町の出番で「ヤーヤ」は採用されるのか否か、注目されるところです。
さて、出立の少し前に山蔵の前で待機しておりましたら、北の方からグレーの車がやって来たのですが、バリケードで通行止めとなっているため、ガードマンさんに止められ、運転手の女性が説明を受けておられます。
「あれ~、何か見たことあるなぁ」と近づいて行きますと、何とゆうこりんさんやん。「あかんがなぁ~、こんなところに入って来たらぁ~」「あれま、こんなところで」「どこ行くん?」と尋ねますと、お得意さんの◯庵さんにお酒の配達とのこと。
「悪いけど、ぐる~っと大回りせなアカンわ。あ、テレビ見たで、横顔アップ」「やーゃ、見んといて」と言って、まさにヤ~矢の如く去って行かれました。離れて見ていた紋付姿の翁山副負担人さん、「べっぴんさんのところには目ざとく飛んでくなぁ」とおっしゃいますけど、目ざといのはどっちやねん。
(追記)
曳山交替式の様子は、こちらのブログで。私の後ろ姿が拝めます(笑)
玄人はだし
テーマ:言葉・漢字
2012/04/07 09:13
専門家やプロでもないのに、驚くほどの腕前や技術を持っている人が世の中にはいらっしゃいまして、そういう人のことを「玄人はだし」などといいますね。玄人はだしの「はだし」って何なんでしょう?歯出しじゃあるめえし、まさか裸足?
と思ったら、やっぱり「裸足」だった。玄人(専門家)が履物をはくのも忘れ、はだしで逃げ出すほどの腕前だからのようです。漢字で書く場合は「玄人跣」と書くのが正しいようです。プロとして恥ずかしくなっちゃう、ってことですね。
でね、なんで「玄人(くろうと)」っていうのか?「玄人」になるには結構な手間暇がかかるのと同様に、玄人という言葉もここに至るまでは結構な道のりを歩んできたみたいです。
先に生まれたのは「くろうと」じゃなくて対語の「しろうと」だったとか。平安時代、白塗りをしただけで芸のない遊芸人を「しろひと(白人)」と言ったそうです。これが江戸時代には「しろうと」と訛るようになったようですが、「素人」という字が当てられた理由は不明だとか。
そりゃそうだろ、「白人」といえば安土桃山以降日本にやって来ている欧米人を指すからでしょ、と思ったんですけど、彼らは当時、南蛮人とか紅毛人とか呼ばれていて、白人とは言わなかったんですよね。
それはともかく、「しろひと(白人)」に対する言葉として「くろひと(黒人)」が生まれ、こちらも「くろうと」と訛ったようです。「玄人」と「玄」の字が使われた由来は、「黒」よりも奥深く容易でない意味合いをこめて、とありますから、「素人」に「素」の字が当てられたのも、「白」よりも浅はかで奥行きがなさそうだからなのでしょうか?
しかし、何ですな。いっぺん「素人」でGoogle検索してみてください。「歌舞伎素人講釈」っていう例外もありますけど、あとは何だかわけのわからんサイトがずらっと出て参ります。まあ一言でいいますと「玄人はだし」の「素人はだか」サイトでしょうか。困った世の中です。
と思ったら、やっぱり「裸足」だった。玄人(専門家)が履物をはくのも忘れ、はだしで逃げ出すほどの腕前だからのようです。漢字で書く場合は「玄人跣」と書くのが正しいようです。プロとして恥ずかしくなっちゃう、ってことですね。
でね、なんで「玄人(くろうと)」っていうのか?「玄人」になるには結構な手間暇がかかるのと同様に、玄人という言葉もここに至るまでは結構な道のりを歩んできたみたいです。
先に生まれたのは「くろうと」じゃなくて対語の「しろうと」だったとか。平安時代、白塗りをしただけで芸のない遊芸人を「しろひと(白人)」と言ったそうです。これが江戸時代には「しろうと」と訛るようになったようですが、「素人」という字が当てられた理由は不明だとか。
そりゃそうだろ、「白人」といえば安土桃山以降日本にやって来ている欧米人を指すからでしょ、と思ったんですけど、彼らは当時、南蛮人とか紅毛人とか呼ばれていて、白人とは言わなかったんですよね。
それはともかく、「しろひと(白人)」に対する言葉として「くろひと(黒人)」が生まれ、こちらも「くろうと」と訛ったようです。「玄人」と「玄」の字が使われた由来は、「黒」よりも奥深く容易でない意味合いをこめて、とありますから、「素人」に「素」の字が当てられたのも、「白」よりも浅はかで奥行きがなさそうだからなのでしょうか?
しかし、何ですな。いっぺん「素人」でGoogle検索してみてください。「歌舞伎素人講釈」っていう例外もありますけど、あとは何だかわけのわからんサイトがずらっと出て参ります。まあ一言でいいますと「玄人はだし」の「素人はだか」サイトでしょうか。困った世の中です。
最悪は最悪か
テーマ:言葉・漢字
2012/04/06 09:15
先日、爆弾低気圧で日本中が大混乱に陥った日、電車が大幅に遅延し困っている男性にインタビューをしている場面がテレビに出てきて、男性は「最悪、ホテルに泊まろうと思っています」と応えておりました。
こんなことどうでもええことなんですが、「最悪」って名詞もしくは形容動詞として使用されるのが普通なのですが、最近上記インタビューのように副詞的に使われることが目立つようになりましたね。
文章に書く場合、句読点(、)をつけないと誤解を与えますから気をつけねばなりませんね。「最悪ホテル」に泊まることを目指しているように見えますからね。
そうそう、そう考えると、この人多分普通のビジネスホテルに泊まるつもりなんだから、「最悪ホテル」に泊まるよりはまし、つまり、のっけから「最悪」じゃないんじゃないのか?さらに、野宿することに比べればホテルに泊まれれば、それはそれで良しとせねばならぬのではないか?
「最悪」とは辞書で調べますと「最も悪い状態であること。また、そのさま」とあります。しかし、上記のような使われ方をする場合って、どうもこの文字通りの意味ではないような気がいたします。
どうも「最悪」の前に「自分が許容出来る」という言葉が入りそうな感じです。さらに言うなら、自分の思い通りに行かなかった場合の次善の策、という意味合いで使われていないか?
上記の例で言うならば、最も望ましいのは電車で今日中に帰れること。で、それが叶わなければホテルに泊まる。これ以外のことは考えたくもない。「最悪」の副詞的用法は、「そのことが最悪の事態であってほしい」という願望が込められたものでもあるような気がいたします。
今日のブログは、最悪、コメントは来ないかもな。
こんなことどうでもええことなんですが、「最悪」って名詞もしくは形容動詞として使用されるのが普通なのですが、最近上記インタビューのように副詞的に使われることが目立つようになりましたね。
文章に書く場合、句読点(、)をつけないと誤解を与えますから気をつけねばなりませんね。「最悪ホテル」に泊まることを目指しているように見えますからね。
そうそう、そう考えると、この人多分普通のビジネスホテルに泊まるつもりなんだから、「最悪ホテル」に泊まるよりはまし、つまり、のっけから「最悪」じゃないんじゃないのか?さらに、野宿することに比べればホテルに泊まれれば、それはそれで良しとせねばならぬのではないか?
「最悪」とは辞書で調べますと「最も悪い状態であること。また、そのさま」とあります。しかし、上記のような使われ方をする場合って、どうもこの文字通りの意味ではないような気がいたします。
どうも「最悪」の前に「自分が許容出来る」という言葉が入りそうな感じです。さらに言うなら、自分の思い通りに行かなかった場合の次善の策、という意味合いで使われていないか?
上記の例で言うならば、最も望ましいのは電車で今日中に帰れること。で、それが叶わなければホテルに泊まる。これ以外のことは考えたくもない。「最悪」の副詞的用法は、「そのことが最悪の事態であってほしい」という願望が込められたものでもあるような気がいたします。
今日のブログは、最悪、コメントは来ないかもな。
酒豪~い表現
テーマ:よもやま話
2012/04/05 09:35
昨日は教育委員会の歓送迎会。いささか飲み過ぎまして今日は宿酔気味。さて、新学年、新年度、桜の季節ということで酒宴の機会が増える時期になって参りましたが、昨日の朝日新聞天声人語は、そうした機会においても酒は節度を持って楽しみたいものだ、という趣旨で書かれておりました。
その書き出しで、酒豪のことを英語、中国語でどう言うかが紹介されておりました。その前に、日本語の「酒豪」というのは「大量の酒類を飲んで酔態をさらさない者」をいい、酔ってアルハラに及ぶような輩は酒豪とは呼ばない、とwikipediaには書かれております。
よく「ざる」とか「うわばみ」という表現も耳にいたしますが、「ざる」は文字通り「幾ら液体を注いでも満たされない」という引っ掛けですし、「ウワバミ」というのは大蛇のことですから、こちらは「丸呑み」に例えた言い方ですね。どちらも、あまり褒め言葉として使われることはないように思われます。
さて、英語では一般的に「ヘビードリンカー(heavy drinker)」というのでしょうが、これでは単なる「大酒飲み」のニュアンスしかありませんね。天声人語で紹介されていた呼称は「スリーボトルマン(threeーbottle man)」。つまり、ボトル3本開けちゃう奴って意味でしょうね。確かに写実的。
中国語では何というか?「海量(ハイリアン)」というそうです。「海ほどの量を飲むという『白髪三千丈』ばりの誇張が中国らしい」と天声人語の編集子は書いておりましたが、そんなようけ「入りゃん」やろ。
さらに、酒に関するチャーチルの言葉も紹介されておりました。「アルコールが私から取り出したものより、私がアルコールから取り出したものの方が多い」。飲んべえながら仕事は果たし、人生をユーモアに丸めた達人はさすが、と編集子は評しています。
私の父も大変な酒豪で、外で飲む時は相当量飲んでも全く崩れることはなかったと何人もの人から聞いたことがあります。家に帰ってきてふらついていた父を見たことは何回かありますので、外では気が張っていたのでしょう。
そんな父がいつも言っていた言葉を思い出します。「酒は飲め、飲まれるな」。チャーチルの言葉ほど気も効いてませんけれども、私の心の中には碇のようにずっしりと留まっている至言です。
その書き出しで、酒豪のことを英語、中国語でどう言うかが紹介されておりました。その前に、日本語の「酒豪」というのは「大量の酒類を飲んで酔態をさらさない者」をいい、酔ってアルハラに及ぶような輩は酒豪とは呼ばない、とwikipediaには書かれております。
よく「ざる」とか「うわばみ」という表現も耳にいたしますが、「ざる」は文字通り「幾ら液体を注いでも満たされない」という引っ掛けですし、「ウワバミ」というのは大蛇のことですから、こちらは「丸呑み」に例えた言い方ですね。どちらも、あまり褒め言葉として使われることはないように思われます。
さて、英語では一般的に「ヘビードリンカー(heavy drinker)」というのでしょうが、これでは単なる「大酒飲み」のニュアンスしかありませんね。天声人語で紹介されていた呼称は「スリーボトルマン(threeーbottle man)」。つまり、ボトル3本開けちゃう奴って意味でしょうね。確かに写実的。
中国語では何というか?「海量(ハイリアン)」というそうです。「海ほどの量を飲むという『白髪三千丈』ばりの誇張が中国らしい」と天声人語の編集子は書いておりましたが、そんなようけ「入りゃん」やろ。
さらに、酒に関するチャーチルの言葉も紹介されておりました。「アルコールが私から取り出したものより、私がアルコールから取り出したものの方が多い」。飲んべえながら仕事は果たし、人生をユーモアに丸めた達人はさすが、と編集子は評しています。
私の父も大変な酒豪で、外で飲む時は相当量飲んでも全く崩れることはなかったと何人もの人から聞いたことがあります。家に帰ってきてふらついていた父を見たことは何回かありますので、外では気が張っていたのでしょう。
そんな父がいつも言っていた言葉を思い出します。「酒は飲め、飲まれるな」。チャーチルの言葉ほど気も効いてませんけれども、私の心の中には碇のようにずっしりと留まっている至言です。