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女性の立て膝

テーマ:よもやま話
先日、メイさんが「片膝立てたお地蔵さま」をご紹介なさっておられまして、できたら「女性であってはほしくない姿」と形容されておりました。

そうしましたら、後日今度は毎日新聞で「お江の肖像画はなぜ立て膝なの?」という記事を発見いたしました。お正月に長浜城歴史博物館で特別展示されていた、お江を書いた絵としたは現存唯一のものである崇源院像は言われてみると確かに立て膝。

解説によりますと、

・正座が普及したのは畳が普及した江戸時代からで、戦国時代は姫たちも武将たちと同様、座り方はあぐらか立て膝だったらしい

・江戸時代は畳の上で正座をしていたかもしれないが、いつ敵が襲ってくるかもしれない戦国の世を生き抜いたお江さんの気概を絵師が立て膝で表現したのかも

ということだそうです。なるほど「あぐらをかく」って言葉は、ちょっと気が緩んだというか緊張感のない様子にも使われますが、戦国時代は何もない時は「あぐら」、いざと言うときは「立て膝」だったのでしょうか。

そう言えば、韓国では女性があぐらをかいて食事をしても行儀が悪くないのだそうです。特に民族衣装であるチマチョゴリ着用の際は、立て膝が正式のスタイル。見た目が美しいことと、給仕のためにすぐ動きやすいからだと言われているようです。

メイさんの見つけたお地蔵さまの前掛けは元々はチマチョゴリだったのかもしれませんね。

布団袋電車に乗る

テーマ:よもやま話
最近、息子の進学、引越ネタで引っ張っておりますが、今の子はアパートというんかワンルームマンションというんか贅沢になって、まあとにかく風呂やトイレが共用なんてことはほとんどないみたいですね。

私が学生の時は東京の武蔵野市にあった「湖国寮」、いわゆる滋賀県人寮に入寮いたしました。とりあえず適当な下宿先を見つけるまで1年間ほど居る予定だったのですが、引越が面倒なため結局4年間おりました。

今年大学を卒業した娘も、最初女子大の寮に入れたのですが、先輩との相部屋生活と厳しい規則に耐えかねて、1年も経たずに退寮し、自らアパートを探して引っ越しました。

私が居た湖国寮は1~3年までが二人部屋。4年になって初めて一人部屋となります。部屋といっても机と、畳が埋め込まれたベッド、それに簡単な洋服掛けがあるだけ。トイレやお風呂はもちろん共用で掃除当番も回って参ります。

いろいろな逸話があるのですが、今回は引越編。息子の引越はそれこそ電化製品やらベッドやら色々と送ったり、細かな物は車で運んだわけですが、私の時はダンボール数箱と布団袋だけ。

しかし、いざ寮に着いてみると、私の布団が見当たりません。家に電話いたしましたら間違いなく送ったとのこと。ちなみに携帯もない時代ですので、寮に一台だけある赤電話ですよ。途方に暮れて部屋に向かいましたら、相部屋は高校の同級生N君。

「おぉ!」とか言って再会を懐かしみつつ、「俺の布団がないんや」と話しているうちに、そいつの布団の柄に見覚えが...。「同じ布団ちゃうん?」と言って布団袋を見せてもらったら、私の名前が書いてある。間違えたのは相部屋のやつでした。

1年後に、M大に入学しそれまで下北沢で3畳一間の生活をしていた同級生のO君(現長浜市〇〇課長)が、湖国寮へ移って来る事になり、その年新たにR大に合格し入寮していたニルモン君と二人でO君の引越の手伝いに。と言ってもトラックや車ではなく電車で。

何せ三畳一間の生活。彼の生活物資は布団袋一つに納まり、我々3人はそれを下北沢から井の頭線と中央線で運び、三鷹駅からえっちらこっちら歩いて運んだわけです。布団袋が電車で運ばれる姿を見た東京都民は目を丸くしておりましたが、ようやりましたな、我々も。今となれば本当にいい思い出です。

最後尾から

テーマ:よもやま話
息子の引越に行った際に、西宮ガーデンズとやらに行って参りました。西宮北口というのは大都会というほどでもないですが、そこそこに都会で何でも揃っており、なかなかいい感じの町です。

日曜日でしたので、レストランはどこも満員。少し並んでパスタを食した後、ガーデンズの中を散策して最後にユニクロへ。ここで息子の衣類を購入。

長浜楽市のユニクロもそこそこ広いと思っておりましたが、ここはそれ以上にやたら広いです。試着が終わってさて会計と思いましたらびっくり。レジが10台以上あるのですが、その前にお客様の長蛇の列。まるでディズニーランドのアトラクションを待つ列のように右に行ったと思ったら左へ戻りと。

その数たるや、数えませんでしたけど100人以上並んでいたのではないでしょうか。たかが会計に。いや会計せんと帰ったら泥棒ですね。このすごい行列を写真に撮ったろ、と思ったのですが、さすがに並んでいる人たちに携帯カメラを向ける勇気はございませんで...。

そして、列がどんどん長くなるに従って、ついに登場いたしました。
最後尾プラカード
「こちらが最後尾となっております」とおねえちゃんが大きな声を張り上げておられます。ほんまにディズニーランドといっしょやなあ。

ソフトバンクの孫さんのとてつもない額の震災義援金には度肝を抜かれましたが、ユニクロの柳井社長は震災後逸早く10億円の義援金を申し出られましたね。本当にすごいです。

まあ、常人は義援金も最後尾からじっくり参りましょうね。

あきませんやん

テーマ:よもやま話
昨日のブログで、息子の入学式と引越に車で行ったと申し上げました。車で行って何にも無かったんかい?とお思いでしょうか。はい、おかげさんで順調に、とお答えしたいところなんですが....、ありましたよぉ、いきなり。

昨年の7月に、ブログ「小心者の実験」に書きましたように、車にETCを取り付けました。そう、マルセンちゃんから使わなくなったお古をもらったやつ。うちの従業員につけてもらって実験も成功し、その後の旅行でも無事機能。つい先日は社用でこの車を使ったスタンドの所長も「ETCってやっぱ便利ですねえ」と言っていた。

ああ、それなのに、それなのに(このフレーズ小4の担任の林先生が得意としていた)。長浜インターチェンジから高速に乗るべく、颯爽とETC専用レーンへ。バーがカチャッと開くことはわかっていても、実際に開くまでは...、えっ?開かんやん。まじ、開きませんやん。何で?

とりあえず、後ろから車が来てないことを確認し、バックいたしまして左側の一般/ETC共用レーンへ。カードはしっかり挿入してあるし緑色のランプもついたる。けど、開かん。何かおっさんの声が外からするんで窓をあけると、「チケットを取ってください」と言うてやはるらしい。

きっと、ETCついてないのにレーンを間違えたアホメやと思とるに違いありません。それにしてもせっかくの土曜日で1000円のはずやのに、これが使えんとは何たるこっちゃい。名神西宮ICで降りましたら3800円。オヨヨ!

さて、翌日。帰りは中国宝塚ICから高速へ。ETCは不具合ですから、あきらめまして「一般/ETC共用レーン」から入りまして、チケットを取ろうかと思った瞬間、「パカッ!」。え?バーが開いてますやん。これ、どういうこと?まあ、考えてる余裕はありませんので、とりあえず進みます。

な~んだ壊れていなかったのか。カードを裏向けや反対側から挿入すると赤いランプがついてピーピーなることは確認したので、車載器の故障やカード不良でもないような感じ。まあええがな、とりあえず帰りだけでも料金安くなることは決まったんやしね。

さて、2時間ほど恐い夜の高速を運転して辿りつきました長浜IC。出口も念のため共用レーンから出ようと思ったんですが、出口はETCか一般の二者択一。ETCで入ったからにはETCで出るしかないんかい。速度を緩め、「開け~、開け~」と念じながら進みますが、あれ?あれ?バーは降りたまま。

例によって係員のおっさんの声で「どこから乗らありました?」という音声。「宝塚からです。あのね~、行きも開かんかったんですよぉ」「とりあえず、ETCカード貸してください」と言われ、渡しまして、バーを開いてもらって側道に停車。

しばらくいたしまして、レシートを持ってきたおじさん「確かにETCカードには宝塚から乗った履歴が入ってましたわ」「何でこうなるんですか?宝塚では入れたのに、長浜では行きも帰りもあきませんやん」「さあ、他の車は大丈夫ですし、たまたまお宅の車が通る時に通信異常やったんでしょうな」

だれか、何でこうなったんか教えてくれません?メカに詳しい人。ちなみにレシート見たら1000円ではなく2150円とありました。休日、ETC割引は1550円でした。都心部走ると高いんですな。そんなことも知らんのかい、君は!

〇トリ地獄

テーマ:よもやま話
一昨日は息子の大学の入学式。新居となるアパートの入居可能日が4/1以降とぎりぎりだったので、引越も兼ねて、とにかく車に衣服やら身の回り品やらマットやら積めるだけ積んで、妻と息子と3人、朝の8時過ぎに出発。

入学式は午後からだったのですが、そちらは妻に任せて、私は届けられる電気製品や家具類を受取るためアパートに待機。テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの電気製品がまず到着。それぞれ所定の位置にセットしてもらうと同時に使用法の説明も受け、ダンボールやゴミ類は持ち帰りますとのことで、ここまでは順調。

この後、しばらく家具も布団もガス屋さんも来ないので、高校野球をTVで見ながらうたた寝。畳じゃないのでしょうがないからジャンパーを敷いて寝る。さて、荷物を受け取ったら、3人で晩飯でも食いに行ってから長浜に帰ろう、そう思っているうちにガス屋さんが来て、ガスを開栓。

そして、ようやく3時過ぎに家具と布団が到着。「あの~、ダンボール持って帰ってくれますか?」と聞きましたら、「それは無理です」と言われたのですが、後でその理由がよ~くわかりました。

布団は健康に大きな影響を与えますので、信頼できるねむりはかせの店で購入したのですが、家具や調度品類は、どうせ4年間やし使い捨てでもええわと、彦根の〇トリで揃えられる物一式購入。1店ですべてが揃い、一括配送、しかも廉価と、さすが伸びる企業は違うわい、とその時は思ったのですが....。

そのまま完成形で届けられるものと信じて疑わなかった家具類。ダンボールを開けるごとに唖然。申し訳なさそうに小さな番号シールの貼られたばらばらの部材とネジ類、それと実にわかりにくい絵で書かれたペラ物の説明書。

とりあえずドライバーは持参したものの、おびただしいねじの数。回しても回しても次から次から泉のように湧いてくる部材とネジ。ベッド、デスク、本棚、衣裳たんす。夕方、入学式が終わって帰ってきた妻と息子も、ダンボールと発泡スチロール等のゴミと夥しい部材の山にびっくり、え゛~っ。まだまだ食器棚もあるよん。

この後3人で協力して組み立てるも遅々として捗らず。考えてみれば私自身、全教科を通じて一番苦手だったのが技術。のこぎり、金槌握らせたら超三流。それにしても、〇トリは安いの当たり前ですね。とても一人じゃ組み立てられねえよ。だから2トリか?

この時点で日帰りはあきらめ、私も1泊し残りは翌日まわしに。息子はベッドで、妻はマットレスを床にひいて寝ました。私ですか?部屋中に山ほど散らばったダンボールを数枚重ねて、その上にシーツを敷いて。これがホントの床ダンボール。こちらは予想外に結構快適。1枚では薄いけど「お二段以上、ゆとり」でしたわん。

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