裸参りの出で立ち

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日、曳山祭の裸参りについて書きましたが、裸参りと申しましても、残念ながら、いや残念でもないか、素っ裸で走るわけではありません。ストリーキングとは違いますからね。

基本的な出で立ちというと、さらしに木股(短パン)、地下足袋、ハチマキを巻いて弓張提灯を掲げて。ということになりましょうか。現在、この基本形で裸参りを行なっている町は8町。今年の出番山で言いますと、諌皷山、春日山、青海山がこのスタイルです。
諌皷山
春日山
青海山
え!違うところもあるの?と思われますよね。そうなんです。まず、これら基本形の町は上半身は裸なのですが、シャツを着用するところがあります。いわゆる「シャツ組」。
月宮殿
今年の出番山でいうと「月宮殿」。さらには昨年出番の「常磐山」、来年出番の「猩々丸」が「シャツ組」ですね。シャツはシャツでも半袖と長袖に分かれまして、月宮殿と常磐山が半袖なのに対し、猩々丸は長袖なんですねえ。
猩々丸
それからね、細かいこと言いますと、月宮殿さんは唯一ハチマキの結び目の位置が他町とは異なるんです。他町はすべてハチマキを後ろで結びますが、月宮殿は前で結んでますねえ。何ででしょうね?面白いですね。

さらに、最も風変わりなのは、萬歳楼です。他町が木股もしくは短パンなのに対し、ここだけは「フンドシ組」なんです。まあ、ある意味風格があるかもしれませんね。確かにすれ違う時、この格好してるだけで威圧感はあります。だれがフンドシ締めてくれるんでしょうか?みんな自分で締められるんでしょうかね?
萬歳楼
これらのスタイルが大昔から継続されて来たのか、と言いますと、これまた違うんです。昔のパンフレットの写真を見ておりますと、半袖、長袖の違いはありますが、少なくとも昭和50年代前半までは、すべての山組が「シャツ組」だったことがわかります。(萬歳楼のフンドシも平成に入ってからかも)

ちなみに、わが翁山は平成40年は長袖シャツでしたし、昭和49年から平成元年までは「ランニングシャツ」を着ていたことがわかります。つまり、現在異端のように見える「シャツ組」こそが伝統を守り続けている保守派と言ってもいいかもしれません。

多くの町がシャツを脱ぎ捨てた理由ですか?シャツ姿で水に濡れますと異常に寒いからだと思いますよ。

最後にちょっとサービス7年前ですな

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2011/04      >>
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧