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さらばすぼるよ

テーマ:言葉・漢字
いよいよ4月から消費税が8%に上がります。大企業の業績も急回復しているようですが、消費税の影響による景気の腰折れも不安視されていますね。アベノミクスも竜頭蛇尾に終わらなければいいのですが。

竜頭蛇尾と同じ意味で「頭でっかち尻つぼみ」という言葉がありますが、あれは尻の穴が蕾(つぼみ)みたいというわけじゃなくて、先へ行くほど狭く小さくなる「窄み(つぼみ)」だそうで、この字は「すぼみ」とも読むんですね。

さて、昨日の続きで「恋女房染分手綱」という芝居は子別れの場面が見せ場なのですが、「♪みすぼらしげなる後ろ影」という浄瑠璃が出てきます。皆さん、「みすぼらしい」ってどういう漢字書くかわかります?

何か「貧らしい」みたいな字を想像しませんか?調べてみて驚いたんですが「身窄らしい」または「見窄らしい」と書くそうですよ。そう、上記の「窄み」が出てまいりました。

「すぼらし」は動詞「窄る(すぼる)」の形容詞化したもので、「身窄らしい」で身がすぼまるさま、「見窄らしい」は「すぼまるように見えるさま」を表すんだそうです。

ちなみに「窄る(すぼる)」という言葉には「景気が衰える」という意味もあるそうな。そう言えば、安倍首相のカラオケの十八番は「♪わ~れは行くぅ~、さらばすぼるよ~」らしい(知らんけど)。





おちの人

テーマ:曳山・歌舞伎
今年、故有りまして北町青海山の太夫として曳山祭に出場させていただくことになりました。芸題は「恋女房染分手綱 重乃井子別れの場」。通称「恋十」と云うそうですが、長浜では主役の乳母の名から「重乃井」あるいは子役の名から「馬方三吉」などと呼ばれる芝居です。

台本をいただいたのですが、浄瑠璃の中でも意味が分からなかったり聞いたことがない言葉が出てきます。例えば馬方三吉の行動に関して「♪馬やろ~ぞいのと つこうどなる」という浄瑠璃が出てまいります。

「つこうどなる」って何?と思いますよね。「つこう+どなる」で何か知らんけど怒鳴ってるのかと思いましたら、「つこうど」というのは「つっけんどん」ってことらしいですね。私もつこうどな男かも知れません。

さて、その身分の低い馬方三吉が、実は若君の乳母重乃井の実の息子だったという設定なのですが、この重乃井を称するのに「おちの人」という言い方が出てまいります。旧浅井町に大路という地名があり、これは「おおじ」ではなく「おち」と読むそうですね。でも、もちろん「大路の人」という意味ではありませんよ。

これね、「御乳の人」と書くそうな。そう、まさに「おちちの人」ですな。乳母ですからね。しかし、何とストレートな言い様でしょう。ところがね、これは単なる乳母ではないようです。

江戸時代には貴人の子供には乳母がつくのが慣わしでしたが、単に乳を飲ませるだけの人は「お差し」と云い、抱くだけの「抱き乳母」というのも居たそうです。で、幼児の保育全般に携わった乳母こそが「御乳の人」もしくは「御乳(おち)」と呼ばれたそうです。

しかし、乳専門の「お差し」ってのもどうなんでしょうね?やっぱり、おっぱいやってて身動き取れないところから「お差し支え」なんて言葉が出来たのよ、なんてオチを考える余裕があった人が「オチの人」だったのでしょうか。

知人のI車

テーマ:よもやま話
車の運転については私もえらそうなことは言えませんのやけど、それでもこの人だけには負けるという人が知り合いにいます。知人のIさんです。

昨日、三役修業塾の稽古に行った時に曳山博物館に停めてあった
Iさんの愛車
四隅と言わずあらゆる箇所にキズがありますが、ご本人曰く、自損はしても人にぶつかったことはないのが自慢とのこと。

お、今日は何か変なもんが貼ってあるぞ。近づいてみると


「廃車にしますのでさわらないでください」

と書いてある。う~ん、ついに廃車にするんかぁ。て言うか、廃車にするんならさわってもええやんか。

死に目とチカラ

テーマ:よもやま話
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」と云いますよね。以前にも書いた気もするのですが、これは親が死ぬ瞬間に立ち会えない、という意味ではなく、親より先に自分の方が先に死んでしまうぞという意味らしいですね。ま、そうでなければ戒めの言葉にならないのかもしれません。

先日老番頭さんが亡くなった後スタンドで話していた時に、「そう言えば、オレは人が死ぬ瞬間に立ち会ったことって1回もないわぁ。みんなはあるか?」と聞いてみますと、「ありますよ。親父が亡くなりそうな時、電話で呼ばれてなんとか間に合いました」と。

「へぇ~、最後ってどんな感じ?」「ほんなもん、機械の赤い線がピーッと真っ直ぐになって、ほんでしまいですわ」「うそぉ~!片手を上げて口をわずかに開いて、『あ・り・が・と』と言って、パタリ、とちゃうんか?」と、私が言いますと、

一斉に「それは、ドラマの世界ですわ!」と馬鹿にされてしまいました。ある社員は「自分の親の時も、誰か会わせたい人がいますか、と医者に聞かれて、◯◯にと言うと、わかりました、じゃあ1日もたせましょうと言われました」と。もっとも、心臓が止まらなかっただけで、状態としては変わらなかったそうです。

まあ、そんなことなら、死ぬ前に意識が無くなった瞬間が事実上の死とも言えるのかもしれませんね。それはそうと、死んだ人の体というのはまさに抜け殻という言葉に相応しいですね。まるで石のように硬く冷たくなってしまいます。

老番頭を見送った後、妻や息子とそういう話をしていたのですが、「生きている時に顔に表情が出たりするのはやっぱり血が流れているからかなぁ」と妻が言うのを聞いて、「古代往還」(中西進/中公新書)という本に書いてあったことを思い出しました。

すなわち、力(チカラ)とは、「チ・から」で、まさに「力」は「血そのもの」であるということ。車だってガソリンが無かったら動きませんもんね。石油の一滴は血の一滴。そういやぁハイブリッドの「ブリッド」って血か。そのうちブリッドレスになるかもな(泣)

御蔭と所為

テーマ:よもやま話
暑さ、寒さも彼岸までと申しますが、昨日は時々雪や霰が降る大荒れの天気でしたね。そんな中、大阪の姉が母の顔を見に日帰りし、東京にいる娘も友人の結婚式出席のため週末帰省するとのこと。

そこで一念発起、二人に美味しい小鮎の炊いたんを食べさせたろと思い、いや正直自分がいちばん食べたかったんですが、駅ちょんさんの水鳥ステーションまで買いに行くことに。10時頃に行きましたのでお目当ての品もまだ在庫豊富。時間が遅いと売切れてしまいますからね。

売り場には普段少ししか置いてないお供え用の花がたくさん置いてありまして、実はこの時点でハタと「今日はお彼岸さんやんか」と気が付きましてお墓用の花も買って買えることに。

以前であれば2,3日前から母がそわそわし出し、花も買って準備していたのですが、最近は外に買物に出ることもほとんなくなり、日にちの感覚も怪しいもんですから、多分忘れているでしょう。案の定、帰って私が花を抱えているのを見て「何やいな?花持って」と。

お墓に着いた頃には生憎天気がひどいことになっておりまして、みぞれ混じりの中、そそくさと花を替え、草むしりはしたものの墓石掃除はこらいてもらお、と線香も立てず、拝むだけ拝んで帰ってきました。

まあ、こうしてお墓参りを忘れなかったのも日々安寧に暮らさせていただいているからで、まさにご先祖様の御蔭。御蔭と思えるうちはやっぱり自分が幸せだからなんだ思います。これが気持ちが荒んでおりますと「◯◯の御蔭」ではなく「◯◯のせい」となります。

そうそう、今まで考えたことなかったんですが、「せい」ってどんな字書くかわかりますか?

これは、「所為」と書くそうで、元々は「そゐ」という言葉の音変化のようです。辞書には「しょい(所為)」としても載っていますが、同じ原因・理由を示す言葉ですが、「せい」は特に結果が悪い場合に使うようですね。

以前は「ご先祖様の御蔭」という言葉を聞くと、「じゃあ結果が悪かった時はご先祖様のせいにするのか?」と正直あまり好きな言葉ではなかったのですが、最近はまああんまり難しいこと言わんとこと思うようになりました。その割には理屈っぽいブログが多いですな。

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