住大夫さんと近松

テーマ:曳山・歌舞伎
文楽最高峰の大夫で人間国宝の竹本住大夫さんが5月公演を最後に現役を引退されるという報道がなされておりました。以前に住大夫さんの「文楽のこころを語る」という著書を読んだことがあり、その時の読後メモが残っているので、これを機に読み返してみました。

仮名手本忠臣蔵九段目に戸無瀬とお石という、立女形というべき役柄が二人出てくるんですが、こういうのはまず我々素人がやると、同じ人が二人居るようにしか聞こえないと思います。住大夫さんはこういう時、「テンポを違えて語る」ことで人物の語り分けをするんだそうです。

年格好も同じ、社会的地位も変わらない二人を声色で語り分けるのは至難の業ですからね。浄瑠璃というと難しく思えるかもしれませんが、登場人物が多数出てくる絵本や物語などを子供に語り聞かせる時のことを想像してもらえば、役の語り分けの難しさはわかっていただけるのではないかと思います。

この本を読んでいて一番印象に残った住大夫さんの言葉は「近松ものは字余り字足らずで私嫌いでんねん」。近松ものというと曽根崎心中など文楽では頻繁に演じられる人気作品ですが、いわゆる七五調の語っていて大夫が心地よくなる作品とは違うということなのでしょうが、あけすけにそう言えるところがすごいですね。

近松の作品には他にも「冥途の飛脚」「心中天網島」「女殺油地獄」などがありますが「平家女護島」いわゆる「俊寛」も含まれます。これは私が曳山祭で若衆筆頭の時に上演した演目なのですが、住大夫さんはこの作品を「きれいな文章ですがエロチック」だと評します。

そんなエロチックなところあったかな?と思ったのですが、子供歌舞伎で、しかも上演時間が限られていますから、そういう浄瑠璃はもちろんカット、カットですね。一応参考までに、住大夫さんご指摘の部分を拾っておきました。いわゆる「貝づくし」と呼ばれている部分だそうです。ここだけは好きやったんかな、住大夫さん。



「♪そりや時ぞと夕波に、可愛や女の丸裸、腰にうけ桶、手には鎌、千尋(ちひろ)の底の波間を分けて水松布(みるめ)かる、和布(わかめ)荒布(あらめ)あられもない裸身に、鱧(はも)がぬら付く鯔(ぼら)がこそぐる、がざみがつめる。餌かと思ふて小鯛が乳に食ひ付くやら、腰の一重が波にひたれて肌も見え透く。壷かと心得蛸めが臍をうかゞふ、浮きぬ沈みぬ浮世渡り、人魚の泳ぐもかくやらん。汐干になれば洲崎の砂の腰だけ、踵(きびす)には蛤踏み、太股(ふともも)に赤貝挟み、指で鮑起せば爪は蠣貝、黄累(ばい)のふた、海士の逆手を打ち休み、黄楊(つげ)の小櫛も取る間なく、栄螺(さざい)の尻のぐるぐるわげも縁ある目からは玉鬘。」

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