告辞改め弔文
テーマ:よもやま話
2014/03/12 09:28
昨日は長浜市内の中学校の卒業式。私も東中の卒業式に出席させていただいて告辞を読む、はずだったのですが、3/8に叔父(父の妹のご主人)が急逝し、昨日告別式が重なったため、卒業式は別の方に代わっていただきました。
叔父は享年84歳だったのですが、実は元教員で最後は長浜北中の校長を務めました。とにかく、まさに「先生」と呼ぶにふさわしい謹厳実直な方で、うちの父も生前は何かごとに叔父に相談を持ちかけ、10歳ほど年下ではありましたが常に頼りにしていました。
私が親に結婚したい女性がいると打ち明けた時も、まず叔父が仲介役となり会っていただいたり、父が亡くなって私が家業を継ぐかどうかの決断をしなければならなかった時も、「このお葬式を見たら、君はお父さんが、そしてこの店がこの地域にとってどんな存在かわかったはずや」とおっしゃって背中を押して下さいました。
そんな叔父も、叔母が病に倒れ15年前に亡くなった後はがっくり気落ちされ、それでもしばらくは気丈に一人で食事や身の回りのことをこなされておりましたが、数年前に誤嚥性肺炎で入院。死線をさまよったものの、奇跡的に復活。
その後は、娘さんの住む草津にあるシルバーハウスで養生生活を送っておられました。その関係で葬儀も草津で行われたのですが、それでもこのような形で久闊を叙すことを悔やみながら、かつての同士や後輩の先生方、教え子も多数弔問に訪れて下さいました。
お通夜にご会葬下さったK教育センター所長によれば、「校長経験者は還暦祝賀会をしてもらうのが恒例となっているんですけどね、先生は『わしは絶対せんぞ!お前が幹事なんかしたら一生縁切るぞ』と言われましたんや」と。
すべての先生が校長になれるわけではない。自分はたまたまそういう地位につけたことだけでも幸運なのに、その上特別にお祝いまでしてもらうわけにはいかんのや。ということだったそうです。
教師としてのあるべき理想と生身の人間としての自分の意志との間の矛盾に葛藤された姿は痛々しいばかりでしたが、それを超越した子たちを今は叔母と共に天より微笑ましく見守って下さっていることと思います。どうぞ安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。
叔父は享年84歳だったのですが、実は元教員で最後は長浜北中の校長を務めました。とにかく、まさに「先生」と呼ぶにふさわしい謹厳実直な方で、うちの父も生前は何かごとに叔父に相談を持ちかけ、10歳ほど年下ではありましたが常に頼りにしていました。
私が親に結婚したい女性がいると打ち明けた時も、まず叔父が仲介役となり会っていただいたり、父が亡くなって私が家業を継ぐかどうかの決断をしなければならなかった時も、「このお葬式を見たら、君はお父さんが、そしてこの店がこの地域にとってどんな存在かわかったはずや」とおっしゃって背中を押して下さいました。
そんな叔父も、叔母が病に倒れ15年前に亡くなった後はがっくり気落ちされ、それでもしばらくは気丈に一人で食事や身の回りのことをこなされておりましたが、数年前に誤嚥性肺炎で入院。死線をさまよったものの、奇跡的に復活。
その後は、娘さんの住む草津にあるシルバーハウスで養生生活を送っておられました。その関係で葬儀も草津で行われたのですが、それでもこのような形で久闊を叙すことを悔やみながら、かつての同士や後輩の先生方、教え子も多数弔問に訪れて下さいました。
お通夜にご会葬下さったK教育センター所長によれば、「校長経験者は還暦祝賀会をしてもらうのが恒例となっているんですけどね、先生は『わしは絶対せんぞ!お前が幹事なんかしたら一生縁切るぞ』と言われましたんや」と。
すべての先生が校長になれるわけではない。自分はたまたまそういう地位につけたことだけでも幸運なのに、その上特別にお祝いまでしてもらうわけにはいかんのや。ということだったそうです。
教師としてのあるべき理想と生身の人間としての自分の意志との間の矛盾に葛藤された姿は痛々しいばかりでしたが、それを超越した子たちを今は叔母と共に天より微笑ましく見守って下さっていることと思います。どうぞ安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。