老番頭逝く

テーマ:油甚本店
叔父の葬儀の余韻に浸る間もなく、新たな訃報が舞い込んでまいりました。昭和27年入店後当店に50年以上勤務してくれた老番頭のMさんがお亡くなりになり、昨日お通夜に参列し、今日はこれから告別式に。

忘れもしない3年前の3月11日、そうちょうど東日本大震災が起きた日、急遽病院から電話が掛かってきて「緊急入院するように言われた」と帰って行ったMさん。後で黄疸が出るほど体調を崩していたことがわかりました。その後、大腸がんの手術を経て、一旦元気を取り戻したものの、ついぞ病魔に勝つことはなりませんでした。

大正15年生まれですから、未成年で従軍。乗っていた船が爆撃を受け、それこそ生きるか死ぬかの戦線をくぐり抜けるような経験をされたようですが、口で語れるほど生易しいものではないと多くを語らず、しかしあの経験を思えば耐えられないことなどない、とおっしゃっていました。

何せ85歳まで現役で働いていたわけですから、店頭に立っていると当然店主と間違えられられたり、私の父親だと思っている人もたくさんいました。私よりも店のことも家のことも世間のことも熟知されていましたので、私にとっては油甚の知恵袋、まさに大久保彦左衛門のような存在でした。

こちらに帰ってきた時は父が亡くなった後でしたから、私の子供たちにとっては常に店に居てくれるMさんがおじいちゃん代わりとなり、時には子守をしてくれたり、いたずらをすると真剣に叱りつけられたりもしたようです。

東京に住む娘に連絡したら、泣き声で葬儀に参列したいと言います。先週友人の結婚式で帰省し、来週もまた別の友だちの結婚式で帰省の予定。そんなに仕事は休めないだろうと諭しましたが、本人にとっては親族同様、居ても立ってもいられない心境だったのでしょう。

運搬自転車に乗って灯油を配達する姿、胡麻油を瓶詰めしながら観光客に笑顔で語りかける姿は当店の名物にもなっており、地域の皆さんからも慕われ、観光のリピーター客の何人もから「あのお爺ちゃんはお元気ですか」と尋ねられたことがあります。

祖父、父、そして私と三代に渡って油甚を支え続けてくれた大番頭であり生き字引だったMさん。まだまだ教わっていないことがたくさんあったのに....。さようなら。そして、ありがとう。本当にお世話になりました。安らかにお眠り下さい。

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