人気朝ドラの「ん」終率
テーマ:よもやま話
2014/03/16 09:05
朝ドラ「ごちそうさん」もいよいよ最終回が近づいてまいりました。「あまちゃん」の後だったのでどうなるかという心配をよそに前作を上回る視聴率をマーク。確かに朝ドラの王道を行った作品と言えるかも。
さて巷では、と言うかNHK内部でも、「『ん』で終わる朝ドラは人気が出る」というジンクスが語られているそうです。確かに、「ごちそうさん」「あまちゃん」はそれに該当するし、「カーネーション」「ちゅらさん」、そして最高視聴率の「おしん」もそうですわね。
ホンマにそうなんか?その真偽を確かめるために調べてみました、「ん」で終わる朝ドラ。今回の「ごちそうさん」が第89作目なんですが、このうち24作、すなわち27%が「ん」で終わっています。元々「ん終率」は高いんですね。
ほんで、古い方から挙げてみると、(6)おはなはん、(9)信子とおばあちゃん、(16)おはようさん、(17)雲のじゅうたん、(21)おていちゃん、(23)マー姉ちゃん、(25)なっちゃんの写真館、(29)ハイカラさん、(30)よーいドン、(31)おしん、(38)チョッちゃん、ここまでが昭和の作品で11作。
この頃までは、朝ドラというのは、視聴率高くて当たり前という感じだったのではないでしょうか。個人的には「おしん」は見てないし、この中だと「おはなはん」と「雲のじゅうたん」くらいかな、好印象が残ってるのは。
さて平成に入りますと、(50)かりん、(57)甘辛しゃん、(60)すずらん、(64)ちゅらさん、(65)ほんまもん、(67)まんてん、(75)芋たこなんきん、(77)ちりとてちん、(79)だんだん、(83)てっぱん、(85)カーネーション、(88)あまちゃん、(89)ごちそうさん、の13作。
おぉ、確かに平成以後の作品群を見ると、それらしい作品が揃ってますな。しかし、「甘辛しゃん」とか「すずらん」「まんてん」「だんだん」「てっぱん」とかって、どちらかと言うと....やなあ。
つまり、「ん」で終わると人気が出るわけでなくって、人気の出た作品には「ん」で終わるものが多いってことか。ちなみに、次の作品が「花子とアン」でその次が「マッサン」だそうな。NHKは完全に「ん終率」でパイ(π)の拡大を狙ってますな。
さて巷では、と言うかNHK内部でも、「『ん』で終わる朝ドラは人気が出る」というジンクスが語られているそうです。確かに、「ごちそうさん」「あまちゃん」はそれに該当するし、「カーネーション」「ちゅらさん」、そして最高視聴率の「おしん」もそうですわね。
ホンマにそうなんか?その真偽を確かめるために調べてみました、「ん」で終わる朝ドラ。今回の「ごちそうさん」が第89作目なんですが、このうち24作、すなわち27%が「ん」で終わっています。元々「ん終率」は高いんですね。
ほんで、古い方から挙げてみると、(6)おはなはん、(9)信子とおばあちゃん、(16)おはようさん、(17)雲のじゅうたん、(21)おていちゃん、(23)マー姉ちゃん、(25)なっちゃんの写真館、(29)ハイカラさん、(30)よーいドン、(31)おしん、(38)チョッちゃん、ここまでが昭和の作品で11作。
この頃までは、朝ドラというのは、視聴率高くて当たり前という感じだったのではないでしょうか。個人的には「おしん」は見てないし、この中だと「おはなはん」と「雲のじゅうたん」くらいかな、好印象が残ってるのは。
さて平成に入りますと、(50)かりん、(57)甘辛しゃん、(60)すずらん、(64)ちゅらさん、(65)ほんまもん、(67)まんてん、(75)芋たこなんきん、(77)ちりとてちん、(79)だんだん、(83)てっぱん、(85)カーネーション、(88)あまちゃん、(89)ごちそうさん、の13作。
おぉ、確かに平成以後の作品群を見ると、それらしい作品が揃ってますな。しかし、「甘辛しゃん」とか「すずらん」「まんてん」「だんだん」「てっぱん」とかって、どちらかと言うと....やなあ。
つまり、「ん」で終わると人気が出るわけでなくって、人気の出た作品には「ん」で終わるものが多いってことか。ちなみに、次の作品が「花子とアン」でその次が「マッサン」だそうな。NHKは完全に「ん終率」でパイ(π)の拡大を狙ってますな。
老番頭逝く
テーマ:油甚本店
2014/03/15 09:34
叔父の葬儀の余韻に浸る間もなく、新たな訃報が舞い込んでまいりました。昭和27年入店後当店に50年以上勤務してくれた老番頭のMさんがお亡くなりになり、昨日お通夜に参列し、今日はこれから告別式に。
忘れもしない3年前の3月11日、そうちょうど東日本大震災が起きた日、急遽病院から電話が掛かってきて「緊急入院するように言われた」と帰って行ったMさん。後で黄疸が出るほど体調を崩していたことがわかりました。その後、大腸がんの手術を経て、一旦元気を取り戻したものの、ついぞ病魔に勝つことはなりませんでした。
大正15年生まれですから、未成年で従軍。乗っていた船が爆撃を受け、それこそ生きるか死ぬかの戦線をくぐり抜けるような経験をされたようですが、口で語れるほど生易しいものではないと多くを語らず、しかしあの経験を思えば耐えられないことなどない、とおっしゃっていました。
何せ85歳まで現役で働いていたわけですから、店頭に立っていると当然店主と間違えられられたり、私の父親だと思っている人もたくさんいました。私よりも店のことも家のことも世間のことも熟知されていましたので、私にとっては油甚の知恵袋、まさに大久保彦左衛門のような存在でした。
こちらに帰ってきた時は父が亡くなった後でしたから、私の子供たちにとっては常に店に居てくれるMさんがおじいちゃん代わりとなり、時には子守をしてくれたり、いたずらをすると真剣に叱りつけられたりもしたようです。
東京に住む娘に連絡したら、泣き声で葬儀に参列したいと言います。先週友人の結婚式で帰省し、来週もまた別の友だちの結婚式で帰省の予定。そんなに仕事は休めないだろうと諭しましたが、本人にとっては親族同様、居ても立ってもいられない心境だったのでしょう。
運搬自転車に乗って灯油を配達する姿、胡麻油を瓶詰めしながら観光客に笑顔で語りかける姿は当店の名物にもなっており、地域の皆さんからも慕われ、観光のリピーター客の何人もから「あのお爺ちゃんはお元気ですか」と尋ねられたことがあります。
祖父、父、そして私と三代に渡って油甚を支え続けてくれた大番頭であり生き字引だったMさん。まだまだ教わっていないことがたくさんあったのに....。さようなら。そして、ありがとう。本当にお世話になりました。安らかにお眠り下さい。
忘れもしない3年前の3月11日、そうちょうど東日本大震災が起きた日、急遽病院から電話が掛かってきて「緊急入院するように言われた」と帰って行ったMさん。後で黄疸が出るほど体調を崩していたことがわかりました。その後、大腸がんの手術を経て、一旦元気を取り戻したものの、ついぞ病魔に勝つことはなりませんでした。
大正15年生まれですから、未成年で従軍。乗っていた船が爆撃を受け、それこそ生きるか死ぬかの戦線をくぐり抜けるような経験をされたようですが、口で語れるほど生易しいものではないと多くを語らず、しかしあの経験を思えば耐えられないことなどない、とおっしゃっていました。
何せ85歳まで現役で働いていたわけですから、店頭に立っていると当然店主と間違えられられたり、私の父親だと思っている人もたくさんいました。私よりも店のことも家のことも世間のことも熟知されていましたので、私にとっては油甚の知恵袋、まさに大久保彦左衛門のような存在でした。
こちらに帰ってきた時は父が亡くなった後でしたから、私の子供たちにとっては常に店に居てくれるMさんがおじいちゃん代わりとなり、時には子守をしてくれたり、いたずらをすると真剣に叱りつけられたりもしたようです。
東京に住む娘に連絡したら、泣き声で葬儀に参列したいと言います。先週友人の結婚式で帰省し、来週もまた別の友だちの結婚式で帰省の予定。そんなに仕事は休めないだろうと諭しましたが、本人にとっては親族同様、居ても立ってもいられない心境だったのでしょう。
運搬自転車に乗って灯油を配達する姿、胡麻油を瓶詰めしながら観光客に笑顔で語りかける姿は当店の名物にもなっており、地域の皆さんからも慕われ、観光のリピーター客の何人もから「あのお爺ちゃんはお元気ですか」と尋ねられたことがあります。
祖父、父、そして私と三代に渡って油甚を支え続けてくれた大番頭であり生き字引だったMさん。まだまだ教わっていないことがたくさんあったのに....。さようなら。そして、ありがとう。本当にお世話になりました。安らかにお眠り下さい。
ゴディバ亀
テーマ:よもやま話
2014/03/14 09:18
今日はホワイトデーでバレンタインデーのチョコレートのお返しをする日だそうな。実は、私今年は久しぶりに家族以外の女性からチョコレートを頂いたんです。しかも、ゴディバ。
ゴディバといえば、バレンタインデーの日のえべっさんのブログで初めてその名の由来を知りました。つまり、
11世紀の英国にレオフリックという伯爵が居て、非常に厳しい重税を領民に課していた。そこで妻であるゴディバ夫人が、夫に税を軽くするよう頼んだのですが、伯爵は「おまえが裸になって馬に乗り、町じゅうを歩いたら願いを聞き入れる」と無理難題を言ったわけですね。
ところが何と、ゴディバ夫人は領民のためにそれを実行することを決意し、その話を知った領民たちは、夫人が決行する当日は、窓を閉め誰も外を見ないように申し合わせたそうです。こうしてゴディバ夫人の勇敢なる行動によって伯爵は減税を余儀なくせられた、という話。
これを知って私、えべっさんのブログに思わず、「一糸まとわぬ姿で町を廻ったレディ・ゴディバの姿を見ないように窓を閉ざして敬意を表した領民たちの我慢強さに感服いたしました」とコメントしてしまいました。よく誰も覗き見しなかったな、と。
ちなみに日本では覗き見をするスケベな男を「出歯亀」と呼びますが、これは明治時代に池田亀太郎という名の女風呂覗きの常習犯が居て、こいつが出っ歯だったことに由来するそうな。英国は紳士の国だから出歯亀は居なかったのかな?と思いきや、
先日「日本人のための世界史入門」(小谷野敦/新潮新書)という本を読んでいたら、英語の「ピーピング・トム(peeping Tom)」すなわち日本でいうところの「出歯亀」の由来が書いてあってびっくり。
何と、ゴディバ夫人の裸をのぞき見していた男がたった一人だけおり、その男の名前が「トム」であったため、出歯亀と同じように覗き見するようなスケベな男のことを英国では「ピーピング・トム」と言うようになったんだそうな。
出歯亀のホントの語源は「ゴディバが見え」→「ディバが見え」→「デバガメ」だったりして。
ゴディバといえば、バレンタインデーの日のえべっさんのブログで初めてその名の由来を知りました。つまり、
11世紀の英国にレオフリックという伯爵が居て、非常に厳しい重税を領民に課していた。そこで妻であるゴディバ夫人が、夫に税を軽くするよう頼んだのですが、伯爵は「おまえが裸になって馬に乗り、町じゅうを歩いたら願いを聞き入れる」と無理難題を言ったわけですね。
ところが何と、ゴディバ夫人は領民のためにそれを実行することを決意し、その話を知った領民たちは、夫人が決行する当日は、窓を閉め誰も外を見ないように申し合わせたそうです。こうしてゴディバ夫人の勇敢なる行動によって伯爵は減税を余儀なくせられた、という話。
これを知って私、えべっさんのブログに思わず、「一糸まとわぬ姿で町を廻ったレディ・ゴディバの姿を見ないように窓を閉ざして敬意を表した領民たちの我慢強さに感服いたしました」とコメントしてしまいました。よく誰も覗き見しなかったな、と。
ちなみに日本では覗き見をするスケベな男を「出歯亀」と呼びますが、これは明治時代に池田亀太郎という名の女風呂覗きの常習犯が居て、こいつが出っ歯だったことに由来するそうな。英国は紳士の国だから出歯亀は居なかったのかな?と思いきや、
先日「日本人のための世界史入門」(小谷野敦/新潮新書)という本を読んでいたら、英語の「ピーピング・トム(peeping Tom)」すなわち日本でいうところの「出歯亀」の由来が書いてあってびっくり。
何と、ゴディバ夫人の裸をのぞき見していた男がたった一人だけおり、その男の名前が「トム」であったため、出歯亀と同じように覗き見するようなスケベな男のことを英国では「ピーピング・トム」と言うようになったんだそうな。
出歯亀のホントの語源は「ゴディバが見え」→「ディバが見え」→「デバガメ」だったりして。
年齢÷2+10の法則
テーマ:よもやま話
2014/03/13 09:27
昨日の亀仙人さんのブログを読んでたら、ふと以前にどこかの本で読んだか口伝えで誰かから聞いたかは忘れましたが、ある法則を思い出しました。
それはね、男は「自分の年齢÷2+10歳」の女性を好むというもの。まあ、ぴったりその年齢というわけではなく、それぐらいの前後ということでしょうね。
つまり、10歳の時は少しお姉さんにあこがれ15歳位、20歳の時は同い年の女性、30歳になると25歳位の女性を、40歳は30歳、50歳は35歳、ず~っと行って、平均寿命の80歳の男性は50歳位の女性をええな~ぁ、と感じるというわけです。
20歳までは年上の女性にあこがれ、それ以降は年下の女性を好感するわけですが、かと言って若けりゃいいってもんでもないし、年下であれば婆ちゃんでもええ、っていうわけでもないんですね、この法則。
これを知人の何人かの男性の前で披瀝したことがあるのですが、大方の人は「なるほど」と頷きます。人によって個人差があるとは思いますが、一般的な傾向としては当たっているのかもしれません。
亀仙人さん以外でも、以前じゃこちんが近所の70歳くらいの男性にやたら気に入られているという話を書かれておりました。また、ゆうこりんさんが阪急に出店するとお爺ちゃんたちが群れをなして売り場に駆けつけるという話も聞きます。こうした現象も、この法則の妥当性をサポートするものと言えるのではないでしょうか?
そして、最近の熟女ブーム。もちろん、女性が年齢を重ねても美しさを保つ傾向にあるのも事実でしょうけど、熟女と言われる年齢層を好みとする男性の相対的な人口が増えていることが大きな要因なのではないでしょうか。
つまり、そこに脚光を当てると喜ぶ人が多いわけですから、ビジネス的にも効果が高いと。ほんなことない、女性も「自分の年齢÷2+10」歳の男がええってか?なるほど、そりゃ盲点でしたわ。
それはね、男は「自分の年齢÷2+10歳」の女性を好むというもの。まあ、ぴったりその年齢というわけではなく、それぐらいの前後ということでしょうね。
つまり、10歳の時は少しお姉さんにあこがれ15歳位、20歳の時は同い年の女性、30歳になると25歳位の女性を、40歳は30歳、50歳は35歳、ず~っと行って、平均寿命の80歳の男性は50歳位の女性をええな~ぁ、と感じるというわけです。
20歳までは年上の女性にあこがれ、それ以降は年下の女性を好感するわけですが、かと言って若けりゃいいってもんでもないし、年下であれば婆ちゃんでもええ、っていうわけでもないんですね、この法則。
これを知人の何人かの男性の前で披瀝したことがあるのですが、大方の人は「なるほど」と頷きます。人によって個人差があるとは思いますが、一般的な傾向としては当たっているのかもしれません。
亀仙人さん以外でも、以前じゃこちんが近所の70歳くらいの男性にやたら気に入られているという話を書かれておりました。また、ゆうこりんさんが阪急に出店するとお爺ちゃんたちが群れをなして売り場に駆けつけるという話も聞きます。こうした現象も、この法則の妥当性をサポートするものと言えるのではないでしょうか?
そして、最近の熟女ブーム。もちろん、女性が年齢を重ねても美しさを保つ傾向にあるのも事実でしょうけど、熟女と言われる年齢層を好みとする男性の相対的な人口が増えていることが大きな要因なのではないでしょうか。
つまり、そこに脚光を当てると喜ぶ人が多いわけですから、ビジネス的にも効果が高いと。ほんなことない、女性も「自分の年齢÷2+10」歳の男がええってか?なるほど、そりゃ盲点でしたわ。
告辞改め弔文
テーマ:よもやま話
2014/03/12 09:28
昨日は長浜市内の中学校の卒業式。私も東中の卒業式に出席させていただいて告辞を読む、はずだったのですが、3/8に叔父(父の妹のご主人)が急逝し、昨日告別式が重なったため、卒業式は別の方に代わっていただきました。
叔父は享年84歳だったのですが、実は元教員で最後は長浜北中の校長を務めました。とにかく、まさに「先生」と呼ぶにふさわしい謹厳実直な方で、うちの父も生前は何かごとに叔父に相談を持ちかけ、10歳ほど年下ではありましたが常に頼りにしていました。
私が親に結婚したい女性がいると打ち明けた時も、まず叔父が仲介役となり会っていただいたり、父が亡くなって私が家業を継ぐかどうかの決断をしなければならなかった時も、「このお葬式を見たら、君はお父さんが、そしてこの店がこの地域にとってどんな存在かわかったはずや」とおっしゃって背中を押して下さいました。
そんな叔父も、叔母が病に倒れ15年前に亡くなった後はがっくり気落ちされ、それでもしばらくは気丈に一人で食事や身の回りのことをこなされておりましたが、数年前に誤嚥性肺炎で入院。死線をさまよったものの、奇跡的に復活。
その後は、娘さんの住む草津にあるシルバーハウスで養生生活を送っておられました。その関係で葬儀も草津で行われたのですが、それでもこのような形で久闊を叙すことを悔やみながら、かつての同士や後輩の先生方、教え子も多数弔問に訪れて下さいました。
お通夜にご会葬下さったK教育センター所長によれば、「校長経験者は還暦祝賀会をしてもらうのが恒例となっているんですけどね、先生は『わしは絶対せんぞ!お前が幹事なんかしたら一生縁切るぞ』と言われましたんや」と。
すべての先生が校長になれるわけではない。自分はたまたまそういう地位につけたことだけでも幸運なのに、その上特別にお祝いまでしてもらうわけにはいかんのや。ということだったそうです。
教師としてのあるべき理想と生身の人間としての自分の意志との間の矛盾に葛藤された姿は痛々しいばかりでしたが、それを超越した子たちを今は叔母と共に天より微笑ましく見守って下さっていることと思います。どうぞ安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。
叔父は享年84歳だったのですが、実は元教員で最後は長浜北中の校長を務めました。とにかく、まさに「先生」と呼ぶにふさわしい謹厳実直な方で、うちの父も生前は何かごとに叔父に相談を持ちかけ、10歳ほど年下ではありましたが常に頼りにしていました。
私が親に結婚したい女性がいると打ち明けた時も、まず叔父が仲介役となり会っていただいたり、父が亡くなって私が家業を継ぐかどうかの決断をしなければならなかった時も、「このお葬式を見たら、君はお父さんが、そしてこの店がこの地域にとってどんな存在かわかったはずや」とおっしゃって背中を押して下さいました。
そんな叔父も、叔母が病に倒れ15年前に亡くなった後はがっくり気落ちされ、それでもしばらくは気丈に一人で食事や身の回りのことをこなされておりましたが、数年前に誤嚥性肺炎で入院。死線をさまよったものの、奇跡的に復活。
その後は、娘さんの住む草津にあるシルバーハウスで養生生活を送っておられました。その関係で葬儀も草津で行われたのですが、それでもこのような形で久闊を叙すことを悔やみながら、かつての同士や後輩の先生方、教え子も多数弔問に訪れて下さいました。
お通夜にご会葬下さったK教育センター所長によれば、「校長経験者は還暦祝賀会をしてもらうのが恒例となっているんですけどね、先生は『わしは絶対せんぞ!お前が幹事なんかしたら一生縁切るぞ』と言われましたんや」と。
すべての先生が校長になれるわけではない。自分はたまたまそういう地位につけたことだけでも幸運なのに、その上特別にお祝いまでしてもらうわけにはいかんのや。ということだったそうです。
教師としてのあるべき理想と生身の人間としての自分の意志との間の矛盾に葛藤された姿は痛々しいばかりでしたが、それを超越した子たちを今は叔母と共に天より微笑ましく見守って下さっていることと思います。どうぞ安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。