死に目とチカラ

テーマ:よもやま話
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」と云いますよね。以前にも書いた気もするのですが、これは親が死ぬ瞬間に立ち会えない、という意味ではなく、親より先に自分の方が先に死んでしまうぞという意味らしいですね。ま、そうでなければ戒めの言葉にならないのかもしれません。

先日老番頭さんが亡くなった後スタンドで話していた時に、「そう言えば、オレは人が死ぬ瞬間に立ち会ったことって1回もないわぁ。みんなはあるか?」と聞いてみますと、「ありますよ。親父が亡くなりそうな時、電話で呼ばれてなんとか間に合いました」と。

「へぇ~、最後ってどんな感じ?」「ほんなもん、機械の赤い線がピーッと真っ直ぐになって、ほんでしまいですわ」「うそぉ~!片手を上げて口をわずかに開いて、『あ・り・が・と』と言って、パタリ、とちゃうんか?」と、私が言いますと、

一斉に「それは、ドラマの世界ですわ!」と馬鹿にされてしまいました。ある社員は「自分の親の時も、誰か会わせたい人がいますか、と医者に聞かれて、◯◯にと言うと、わかりました、じゃあ1日もたせましょうと言われました」と。もっとも、心臓が止まらなかっただけで、状態としては変わらなかったそうです。

まあ、そんなことなら、死ぬ前に意識が無くなった瞬間が事実上の死とも言えるのかもしれませんね。それはそうと、死んだ人の体というのはまさに抜け殻という言葉に相応しいですね。まるで石のように硬く冷たくなってしまいます。

老番頭を見送った後、妻や息子とそういう話をしていたのですが、「生きている時に顔に表情が出たりするのはやっぱり血が流れているからかなぁ」と妻が言うのを聞いて、「古代往還」(中西進/中公新書)という本に書いてあったことを思い出しました。

すなわち、力(チカラ)とは、「チ・から」で、まさに「力」は「血そのもの」であるということ。車だってガソリンが無かったら動きませんもんね。石油の一滴は血の一滴。そういやぁハイブリッドの「ブリッド」って血か。そのうちブリッドレスになるかもな(泣)

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