たばこはPM2.5の塊
テーマ:よもやま話
2013/03/11 09:13
暖かくなってきまして、巷では花粉、黄砂、PM2.5が飛び交うようになり、目や鼻がどうもむず痒い毎日ですが、昨日の日経新聞を読んでおりましたら、「たばこ PM2.5の塊」の文字が目に飛び込んでまいりました。
日本禁煙学会が2月に発表した見解によると、PM2.5は中国から飛来するものよりも「受動喫煙の影響の方が大きい」んだそうです。たばこによる身近な環境のPM2.5濃度がグラフで表示されていたのですが、それによると、1立方メートルあたり
完全禁煙の喫茶店 10マイクログラム
(郊外での屋外平均) 20
完全分煙の飲食店の禁煙席 35
(日本の環境基準値) 35
(環境省の定めた外出禁止濃度) 70
自由喫煙のパチンコ店 160
不完全分煙飲食店の禁煙席 330
(ひどい時の北京市の濃度) 400~600
自由に喫煙できる居酒屋 550
タクシーの車内で一人が喫煙 1000
要するに、PM2.5に関しては、タバコの方が中国よりもはるかに怖いぞ、ってことなんでしょうけど、お気の毒に愛煙家にとってはますます肩身が狭くなりますね。
いやいや、むしろ「タバコの煙程度かいな。ほんならPM2.5なんか全然怖くないやん」、と開き直られるのがオチか。
日本禁煙学会が2月に発表した見解によると、PM2.5は中国から飛来するものよりも「受動喫煙の影響の方が大きい」んだそうです。たばこによる身近な環境のPM2.5濃度がグラフで表示されていたのですが、それによると、1立方メートルあたり
完全禁煙の喫茶店 10マイクログラム
(郊外での屋外平均) 20
完全分煙の飲食店の禁煙席 35
(日本の環境基準値) 35
(環境省の定めた外出禁止濃度) 70
自由喫煙のパチンコ店 160
不完全分煙飲食店の禁煙席 330
(ひどい時の北京市の濃度) 400~600
自由に喫煙できる居酒屋 550
タクシーの車内で一人が喫煙 1000
要するに、PM2.5に関しては、タバコの方が中国よりもはるかに怖いぞ、ってことなんでしょうけど、お気の毒に愛煙家にとってはますます肩身が狭くなりますね。
いやいや、むしろ「タバコの煙程度かいな。ほんならPM2.5なんか全然怖くないやん」、と開き直られるのがオチか。
三味線の三澤
テーマ:曳山・歌舞伎
2013/03/10 09:40
今年の春は、例年以上に三役修業塾塾生の出番が多く、それに向かって熱心に稽古も進められております。長浜の曳山祭には3町に、太夫が2名と三味線が3名、垂井には2町に太夫2名、三味線2名が出場の予定。他にも小松、砺波、中津川などからも声が掛かっております。
さて、三役修業塾には高校生と中学生が1名ずつ居りまして、二人とも三味線弾きなのですが、高校生のS君が今年は垂井の祭に初めて出場することになりました。若いということもあり、技量の進歩が著しくて、昨年の今頃とは別人のようなバチ捌きに成長しています。
彼は曳山祭の子ども役者として何回も出場し名役者だったのですが、その時の役名にちなんで「甚五郎」という名前で呼ばれておりました。そのまま、その名前を芸名にするのかと思っておりましたが、やはり師匠の名前の一字を頂戴し、正式な芸名をつけるべし、ということになりました。
三役塾の師匠といえば、名古屋の桂川千賀龍先生なのですが、彼の場合は私の同級生の賀祝(がしゅう)さんが手塩にかけて育てられましたので、彼から「祝」の一字をもらい、自分の好きな「湊」という字と組合せ、「湊祝(そうしゅう)」という名前にしたようです。
太夫は名前の前に「竹本」をつけ、三味線は「豊澤」(あるいは鶴澤、野澤という姓もあり)をつけます。ですから、例えば私は竹本甚太夫、S君は「豊澤湊祝」と名乗るわけですね。
ところが、「四代竹本越路太夫(淡交社)」という本に、三味線は皆「澤」がつくのだけれど、身分を区別するのに「さわ」が使い分けられた、と書いてありました。
つまり、新入りは「沢(しゃくざわ)」、次いで「はんざわ」、これはワープロでは出てこないような崩し字です。澤という字を草書で書くと旁が「半」という字に見えるので「半沢」というそうです。そして一人前になるとようやく「澤」の字が与えられ、これを「本澤(ほんざわ)」と称するようであります。
現在も文楽界や歌舞伎界ではこのような慣習が踏襲されているのか存じ上げませんが、さて三役修業塾生の何人が「本澤」を堂々と付けられるのか。太夫の方も「竹本」でなくて「筍本」にせなあかんなぁ。
さて、三役修業塾には高校生と中学生が1名ずつ居りまして、二人とも三味線弾きなのですが、高校生のS君が今年は垂井の祭に初めて出場することになりました。若いということもあり、技量の進歩が著しくて、昨年の今頃とは別人のようなバチ捌きに成長しています。
彼は曳山祭の子ども役者として何回も出場し名役者だったのですが、その時の役名にちなんで「甚五郎」という名前で呼ばれておりました。そのまま、その名前を芸名にするのかと思っておりましたが、やはり師匠の名前の一字を頂戴し、正式な芸名をつけるべし、ということになりました。
三役塾の師匠といえば、名古屋の桂川千賀龍先生なのですが、彼の場合は私の同級生の賀祝(がしゅう)さんが手塩にかけて育てられましたので、彼から「祝」の一字をもらい、自分の好きな「湊」という字と組合せ、「湊祝(そうしゅう)」という名前にしたようです。
太夫は名前の前に「竹本」をつけ、三味線は「豊澤」(あるいは鶴澤、野澤という姓もあり)をつけます。ですから、例えば私は竹本甚太夫、S君は「豊澤湊祝」と名乗るわけですね。
ところが、「四代竹本越路太夫(淡交社)」という本に、三味線は皆「澤」がつくのだけれど、身分を区別するのに「さわ」が使い分けられた、と書いてありました。
つまり、新入りは「沢(しゃくざわ)」、次いで「はんざわ」、これはワープロでは出てこないような崩し字です。澤という字を草書で書くと旁が「半」という字に見えるので「半沢」というそうです。そして一人前になるとようやく「澤」の字が与えられ、これを「本澤(ほんざわ)」と称するようであります。
現在も文楽界や歌舞伎界ではこのような慣習が踏襲されているのか存じ上げませんが、さて三役修業塾生の何人が「本澤」を堂々と付けられるのか。太夫の方も「竹本」でなくて「筍本」にせなあかんなぁ。
ますかけ
テーマ:よもやま話
2013/03/09 09:06
先日、亀仙人さんとがちゃぴんさんが「ますかけ線」について書いておられました。あ、手相の話ですね。私は手相については全く不案内なんですが、がちゃぴんさんが仰ったように「何でますかけ線って言うのか?」については興味がわきました。
ちなみにこういう手相のこと
「ますかけ」と打って漢字変換すると「枡掛」と出て参りますが、何のことかもひとつようわかりません。で、辞書を引きますと「枡掛筋(=ますかけ線)の略」という意味に先だって、「枡掻(ますかき)」に同じ、と書いてあります。
ほんで「枡掻」とは何やろ?と思い、隣の「ますかき」を見ると「とかき」に同じ、とあるではありませんか。おいおい、どんだけたらい回しにすんねん。いや、これは「盥」ではなく「枡」の話や。
で、ようやく「とかき」に行き着きますと、出た「斗掻き」。意味は「枡で穀類などを量るとき、盛り上がった部分を平らにならすのに使う短い棒。ますかき、かいならし」とあります。
なるほど、こういうやつですね。この真っ直ぐの棒になぞらえて、真っ直ぐ横に伸びた生命線を「ますかけ」と称したんでしょうかね。ちなみに、油を量るのにこれは用いません。多めに掬って適当にタラタラ油垂らして量ります。
概要の「概」という字の原義はまさにこの「枡の面を平らにならす枡掻き棒」なんだそうで、漢字一字「概」で「とかき」あるいは「ますかき」と読むようです。
マスをカタカナで書くと、また違う意味になりますけれども、ひょっとするとあの隠語もベースにはこの「枡掻」があるのではないでしょうか。どうでもいいんですけど。
ちなみにこういう手相のこと
「ますかけ」と打って漢字変換すると「枡掛」と出て参りますが、何のことかもひとつようわかりません。で、辞書を引きますと「枡掛筋(=ますかけ線)の略」という意味に先だって、「枡掻(ますかき)」に同じ、と書いてあります。
ほんで「枡掻」とは何やろ?と思い、隣の「ますかき」を見ると「とかき」に同じ、とあるではありませんか。おいおい、どんだけたらい回しにすんねん。いや、これは「盥」ではなく「枡」の話や。
で、ようやく「とかき」に行き着きますと、出た「斗掻き」。意味は「枡で穀類などを量るとき、盛り上がった部分を平らにならすのに使う短い棒。ますかき、かいならし」とあります。
なるほど、こういうやつですね。この真っ直ぐの棒になぞらえて、真っ直ぐ横に伸びた生命線を「ますかけ」と称したんでしょうかね。ちなみに、油を量るのにこれは用いません。多めに掬って適当にタラタラ油垂らして量ります。
概要の「概」という字の原義はまさにこの「枡の面を平らにならす枡掻き棒」なんだそうで、漢字一字「概」で「とかき」あるいは「ますかき」と読むようです。
マスをカタカナで書くと、また違う意味になりますけれども、ひょっとするとあの隠語もベースにはこの「枡掻」があるのではないでしょうか。どうでもいいんですけど。
タニタでも計り知れず
テーマ:よもやま話
2013/03/08 09:42
昨日は、長浜商工会議所の小規模企業支援振興委員研修会ということで、湖北文化ホールまで講演を聞きに行って参りました。講師はタニタ総合研究所所長の谷田大輔氏。
タニタって何か社員食堂がどうのこうのってチラッと聞いたことはあっても、特に興味も無かったんですが、妻に「タニタって有名なんか?」と聞きますと、「有名やん」って言いますので、ほんなら話聞きに行こか、と。
タニタは体重計を作る会社だったんですけど、「計」を取って「体重」ビジネスへとコンセプトを変えるところから健康をテーマにビジネスの領域が広がったそうです。ねむりはかせが「布団屋」から「眠り屋」にコンセプトを変えたみたいなもんですね。
人類ってのは元々飢餓に強い遺伝子が生き残って来たそうでして、やはり体重いや体脂肪が多いというのはあかんみたいですね。ただ毎食規則正しく食べるのがいいのかと思いましたら、たまに食事を抜くなど刺激を与えた方がいいのだ、とも仰っておられました。
1時間半ほどの講演の後、長浜みらい産業プラザのK会長が謝辞を述べられたんですが、これが実に気が効いておりました。まずは講演に対するお決まりのお礼を一通り述べられた後、次の通り展開されます。
「私、血圧が高めでして、毎日血圧を測っておるんですが、以前はオムロンのを使っていたんですが、少し前に偶然なんですが、タニタの血圧計に変えたんです。体重計なんかはどこの機器で量っても同じなんですが、血圧はオムロンとタニタでは若干違っておりまして、一体どっちを信じたらいいのかと思っていたんです。
が、今日の講演を聞きまして、間違いなくタニタの血圧計のほうが信頼しうることを確信いたしました」と。トップの話の内容で、その会社の信頼度が測定できるというわけです。
さらに続いて、「そういう意味では、トップである谷田さんがお元気でいらっしゃることが、健康を売りにするタニタにとっては何よりも重要なことだと思われますので、いつまでも健康でお暮らしになられますことをお祈りいたします」と。
最後に参加者に対しては、「今日は会場が若干寒かったようですが、まあ少々の刺激があった方が健康にはいいというお話でしたので」という締めくくり。商工会議所青年部初代会長でもあったKさんの謝辞。さすがのタニタさんでも計り知れない内容でした。
タニタって何か社員食堂がどうのこうのってチラッと聞いたことはあっても、特に興味も無かったんですが、妻に「タニタって有名なんか?」と聞きますと、「有名やん」って言いますので、ほんなら話聞きに行こか、と。
タニタは体重計を作る会社だったんですけど、「計」を取って「体重」ビジネスへとコンセプトを変えるところから健康をテーマにビジネスの領域が広がったそうです。ねむりはかせが「布団屋」から「眠り屋」にコンセプトを変えたみたいなもんですね。
人類ってのは元々飢餓に強い遺伝子が生き残って来たそうでして、やはり体重いや体脂肪が多いというのはあかんみたいですね。ただ毎食規則正しく食べるのがいいのかと思いましたら、たまに食事を抜くなど刺激を与えた方がいいのだ、とも仰っておられました。
1時間半ほどの講演の後、長浜みらい産業プラザのK会長が謝辞を述べられたんですが、これが実に気が効いておりました。まずは講演に対するお決まりのお礼を一通り述べられた後、次の通り展開されます。
「私、血圧が高めでして、毎日血圧を測っておるんですが、以前はオムロンのを使っていたんですが、少し前に偶然なんですが、タニタの血圧計に変えたんです。体重計なんかはどこの機器で量っても同じなんですが、血圧はオムロンとタニタでは若干違っておりまして、一体どっちを信じたらいいのかと思っていたんです。
が、今日の講演を聞きまして、間違いなくタニタの血圧計のほうが信頼しうることを確信いたしました」と。トップの話の内容で、その会社の信頼度が測定できるというわけです。
さらに続いて、「そういう意味では、トップである谷田さんがお元気でいらっしゃることが、健康を売りにするタニタにとっては何よりも重要なことだと思われますので、いつまでも健康でお暮らしになられますことをお祈りいたします」と。
最後に参加者に対しては、「今日は会場が若干寒かったようですが、まあ少々の刺激があった方が健康にはいいというお話でしたので」という締めくくり。商工会議所青年部初代会長でもあったKさんの謝辞。さすがのタニタさんでも計り知れない内容でした。
生まれ変わっても
テーマ:よもやま話
2013/03/07 09:07
昨日の朝日新聞天声人語。堀口大学が訳した批評家グールモンの短章の一節が記されておりましたが、編集子の言うとおり確かに卓見。すなわち、
「女を悪く云(い)う男の大部分は或(あ)る一人の女の悪口を云って居るのである」。つまり、人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ、ということ。文中の「女」は何にでも取換えがきく、と書いてあるがまさにその通り。
いやしかし、博報堂が行った「夫婦関係に関する調査」結果にそんな言い訳は効くまい。何せ40歳~69歳までの男女2700人(1,350人)からインターネットで調査したといいますから、母数がでかい。
「生まれ変わっても今の相手とまた夫婦になりたい」と答えた夫が約50%に対し、妻は約39%。やっぱりそうかよ、と感じですかぁ。さらに、この比率は男女とも50代でもっとも低く、50代の女性の約3割が「また夫婦にはなりたくない」と答えたそうな。「どちらとも言えない」という選択肢もあるにも拘わらずですよ。
「50代は子どもが自立し、あらためて夫婦二人になったときに、お互いへの不満が噴出していると推察される」と解説されてましたけど、該当者の皆さん如何ですか?もっとも、「子はかすがい」と言いながら、逆に子育てにまつわる考え方の差が夫婦の危機を招く場合もあるとか。
日常の小さなもめごとを、まあいいかとやり過ごす夫と、謝ってほしいと不満を持ち続ける妻、という構図も見られるようです。男は60歳過ぎると相手に謝ってほしいと思う気持ちが大きく減少するようで、これは定年後妻に頼らねば生きていけないので寛大になるんだとか。
また団塊の世代の男性は妻との時間を積極的に作ろうと努力しているが、妻はさほど評価していないようで、男性側の空回りの傾向が見られるとも。妻との時間を「作ってないやん」と言われてるのか、「作ってくれるな」と言われているのかは微妙ですが。
「女を悪く云(い)う男の大部分は或(あ)る一人の女の悪口を云って居るのである」。つまり、人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ、ということ。文中の「女」は何にでも取換えがきく、と書いてあるがまさにその通り。
いやしかし、博報堂が行った「夫婦関係に関する調査」結果にそんな言い訳は効くまい。何せ40歳~69歳までの男女2700人(1,350人)からインターネットで調査したといいますから、母数がでかい。
「生まれ変わっても今の相手とまた夫婦になりたい」と答えた夫が約50%に対し、妻は約39%。やっぱりそうかよ、と感じですかぁ。さらに、この比率は男女とも50代でもっとも低く、50代の女性の約3割が「また夫婦にはなりたくない」と答えたそうな。「どちらとも言えない」という選択肢もあるにも拘わらずですよ。
「50代は子どもが自立し、あらためて夫婦二人になったときに、お互いへの不満が噴出していると推察される」と解説されてましたけど、該当者の皆さん如何ですか?もっとも、「子はかすがい」と言いながら、逆に子育てにまつわる考え方の差が夫婦の危機を招く場合もあるとか。
日常の小さなもめごとを、まあいいかとやり過ごす夫と、謝ってほしいと不満を持ち続ける妻、という構図も見られるようです。男は60歳過ぎると相手に謝ってほしいと思う気持ちが大きく減少するようで、これは定年後妻に頼らねば生きていけないので寛大になるんだとか。
また団塊の世代の男性は妻との時間を積極的に作ろうと努力しているが、妻はさほど評価していないようで、男性側の空回りの傾向が見られるとも。妻との時間を「作ってないやん」と言われてるのか、「作ってくれるな」と言われているのかは微妙ですが。