間と魔

テーマ:曳山・歌舞伎
「間に合う」という言葉がありますが、皆さんはこの言葉を聞いて瞬間にどういう意味を思い浮かべますか?時間に追われた現代では、やはり「決まった時間に遅れない」という意味が一番に思い浮かぶ人が多いかもしれませんね。

一方で、「間に合う」には「今は◯◯は間に合ってます」などというように、「物が足りている、十分である」という意味にも使われますし、物でも人間でも「間に合う」といえば「役に立つ」という意味になります。

で、この間を外したりすると、「間が悪い」ということになり、「間違い」が起きる元となります。「間(ま)」というものは、人間として生きていく上でもしかしたら決定的に重要なものなのかもしれない、と常々思ってきました。「人」は「間(ま)」をわきまえてこそ「人間」なのでは...と。

さて、私たちが習っている浄瑠璃などでも、「音ははずしても間は外すな」と云われるくらい「間」は重要視されています。間を外すと全く違うものになってしまうというか、台無しになるというか。もちろん、浄瑠璃に限らずこれはどの芸道にも共通のことではないでしょうか。

さて随分前になりますが、毎日新聞の余録には次のようなことが書かれておりました。

「『間違い』という言葉が示す通り、日本の芸道では「間」が重視されてきた。「間は魔だ」というのは歌舞伎の六代目尾上菊五郎の有名な言葉だが、それは九代目市川団十郎のこんな口伝に由来する

『間というものには二種(ふたいろ)ある。教えられる間と教えられない間だ。教えてできる間は間(あいだ)という字を書く。教えてもできない間は魔の字を書く。私は教えてできる方の間を教えるから、それから先の教えようのない魔の方は、自分の力でさぐり当てることが肝心だ』

教えられる間と教えられない間。なるほどねぇ。教えてもできない間は「魔」。それは教えられないから自分の力でさぐり当てることが肝心。確かに、芸道って何にしてもこの「間=魔」を体得するための修行みたいなもんかもしれませんね。

しかし、間に合う人間にはなっても魔には会いたくないなぁ。何?魔に会ってみたい。そりゃあ、マニアックでしょ。

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