三味線の三澤

テーマ:曳山・歌舞伎
今年の春は、例年以上に三役修業塾塾生の出番が多く、それに向かって熱心に稽古も進められております。長浜の曳山祭には3町に、太夫が2名と三味線が3名、垂井には2町に太夫2名、三味線2名が出場の予定。他にも小松、砺波、中津川などからも声が掛かっております。

さて、三役修業塾には高校生と中学生が1名ずつ居りまして、二人とも三味線弾きなのですが、高校生のS君が今年は垂井の祭に初めて出場することになりました。若いということもあり、技量の進歩が著しくて、昨年の今頃とは別人のようなバチ捌きに成長しています。

彼は曳山祭の子ども役者として何回も出場し名役者だったのですが、その時の役名にちなんで「甚五郎」という名前で呼ばれておりました。そのまま、その名前を芸名にするのかと思っておりましたが、やはり師匠の名前の一字を頂戴し、正式な芸名をつけるべし、ということになりました。

三役塾の師匠といえば、名古屋の桂川千賀龍先生なのですが、彼の場合は私の同級生の賀祝(がしゅう)さんが手塩にかけて育てられましたので、彼から「祝」の一字をもらい、自分の好きな「湊」という字と組合せ、「湊祝(そうしゅう)」という名前にしたようです。

太夫は名前の前に「竹本」をつけ、三味線は「豊澤」(あるいは鶴澤、野澤という姓もあり)をつけます。ですから、例えば私は竹本甚太夫、S君は「豊澤湊祝」と名乗るわけですね。

ところが、「四代竹本越路太夫(淡交社)」という本に、三味線は皆「澤」がつくのだけれど、身分を区別するのに「さわ」が使い分けられた、と書いてありました。

つまり、新入りは「沢(しゃくざわ)」、次いで「はんざわ」、これはワープロでは出てこないような崩し字です。澤という字を草書で書くと旁が「半」という字に見えるので「半沢」というそうです。そして一人前になるとようやく「澤」の字が与えられ、これを「本澤(ほんざわ)」と称するようであります。

現在も文楽界や歌舞伎界ではこのような慣習が踏襲されているのか存じ上げませんが、さて三役修業塾生の何人が「本澤」を堂々と付けられるのか。太夫の方も「竹本」でなくて「筍本」にせなあかんなぁ。

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