油切れと下り物

テーマ:油甚本店
この間、長信さんに行って待ち時間に中日新聞を読んでおりましたら、中日春秋欄に「しけが続き、関西から油を船で運べなくなり、油の価格が上がる現象は、『油切れ』と呼ばれ、江戸ではしばしば起こった」と書かれておりました。

そう、江戸時代は菜種油などの植物油は、食用というより燈明用として重要であり、今でいうところのまさに電気であったわけです。で、その油のほとんどを大阪を中心とする西日本に依存していたわけです。

京都の老舗、山中油店さんのHPの中の「菜の花の便り(蕓苔子筆)」によれば、江戸の年間燈明油消費量は約6000トンだったそうですが、明暦の大火後は特に大阪からの下り油が減少し、江戸の燈明油は暴騰しがちだったとあります。

そうそう、「下り油」と書いてありましたが、江戸では上方からもたらされた品物を「下り物」「下り荷」と呼んでいたそうですが、そこには高度な技術による本物、高級品という意味が込められていたんですね。

一方、関東各地から来たものは「地廻り物」、または先の「下り物」に対して「下らぬ物」とも呼ばれたようで、「下らぬ物」は加工度の低い一次産品が多かったから、つまらないものを指して「下らない」と言うようになったそうです。(東京油問屋史より)

中日春秋欄には「油切れのたびに騒動が起こり、世情は不穏になったという。燃料の安定供給が重要なのは時代を問わない」と書かれておりました。まさに「油断大敵」というところですが、東京が他地域にエネルギーを依存するのも時代を問いませんな。

先頃、世界で初めてメタンハイドレードから天然ガスを取り出すのに成功したのを受けて、「原発に依存しない未来を創るためにも技術立国の底力をみせて商業化してほしい」、という風にコラムは締めくくられていました。そうそう、TPPもしかり。世界中にどんどん「下り物」を送って稼ぐ「上方ジャパン」を目指しましょうぞ。

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