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街なかアイン誕生秘話(2)

テーマ:まちづくり
(昨日からの続き)さて、3/1の商店街への打診に続いて、3/24には従前のアインを牽引してこられたリーダーたちを交えてアイン検討委員会が開かれ、商店街への打診時に提起された開催日時、費用、商店街単会の事情について討議がなされました。

開催日時に関しては、市側から「きもの園遊会」との同時開催が助成の条件とされ、具体的に10/23(土)24(日)が提示されました。現在、アインは10月の第1土、日と決まっておりますが、この時も従来のアインメンバーから、10月末では時期的に寒すぎるという意見が出ました。

費用の問題ですが、当時アインの必要経費は1300万円。このうち、補助金が400万円、物販収入が100万円でしたから、何と必要寄付金が800万円。大口寄付団体が数件で300万円程度あったようですが、残りの500万円を実質3人ほどで集めておられたのが実態だったようです。

さて、経費削減のため、狙いをつけられたのがテント代。豊公園の自由広場に放射状に張り巡らすわけですから、レンタル費用で500万円。商店街のアーケードや庇下を使えば、この大半が不要となるわけです。

この後、数回委員会が重ねられ、開催日(10/23-24)も決まり、木製の組み立て式バックパネルを再作成することになりました。これは後年、金属製の支柱に代替されることになります。

現在でこそ秋の風物詩となり、集客の心配はほとんど必要のない人気イベントとなりましたが、商店街で初めての開催であり、同時開催のきもの園遊会の参加者をいかに回遊させるかも課題の一つとなったほどでした。

出展作家は確か300人以上で、今よりもかなり多かったように思います。現在曳山博物館のある所は西友ストアの建物がそのまま残されており、そこの自転車置場にずらっとブースを張り付けたのですが、生憎初日の天気は雨+風。きもの園遊会は確かドームに場所変更となり、市がこだわっていた同時開催はなりませんでした。

雨天のため交流会も大手門通りのアーケードの中。何もかもが予定通りにはいかなかったわけですが、それでもアインの第2創業みたいなワクワク感があって、旧来のアインメンバー、商店街、市役所の職員が一体となって事に当たり、終了後は大きな充実感に満たされたものです。

街なかアイン誕生秘話(1)

テーマ:まちづくり
いよいよアートインナガハマ(長浜芸術版楽市楽座)が1週間後に迫って参りました。今年は25回目を数えますが、街なかでの開催となったのは平成5年、第7回目からで、それまでは豊公園で行なわれておりました。

どのような経緯で街なかへ移行されたのか?平成5年の3月から「アイン検討委員会」が設置され、街なか移行について討議がなされておりまして、私も出席していたことが当時の手帳には記されております。長浜に帰ってきてから、まだ1年ほどしか経っていなかったのですが、ある意味よそものの視点が必要だと思われたのでしょうか?

3月1日に市商工観光課から商店街側に対して、街なか移行に対する意見聴取が行なわれております。市側の説明は、「過去6回開催され長浜のイメージアップにつながっており継続していきたいが、1)マンネリ化してきた、2)商業振興の位置付けで補助しているが、豊公園開催では街づくりとはマッチしない。

従って、市制50周年でもあり、この際『きもの大園遊会』との一体化をいたしたい」というものでありました。これに対して、商店街側の考えを当時のS商店街連盟会長が次のように述べられております。

1)商店街は商業ベースでイベントも考える必要がある。朝市はJCが始めて商店街(連協)が引き継いだが、立ち消えになってしまった。朝市の二の舞では困る

2)出世まつり(きもの大園遊会)は、商店街の単会イベントもあり、これにアインが加われば負担増となるばかりでなく、中途半端なイベントになりかねない

現在、商店街はむしろアインの方にエネルギーを注いでいるのですが、当時はきもの園遊会の協賛イベントに傾注していたことがわかりますね。

さて、豊公園でのアインは素晴らしいイベントであったことは間違いないのですが、コスト負担があまりに大きく(市側は一応否定しておりましたが)、発起人数名が多額の個人負担をされるなど、経済的に継続が難しい状態に陥っていたことは明らかだったのです。

いずれにせよ、この会議の最後は商工会議所のY課長の「アインの原点に立ち返って問題点を整理し、継続実施の必要性を明確にするとともに、アインをどう街づくりに活かすかを考えましょう」という言葉で締めくくられ、次回に持ち越されたのでした。

スーツ名言集

テーマ:よもやま話
先日、くんさんが「男の鎧」というタイトルでスーツのことを書いておられました。男の戦場着なので安くても何でもよいというわけにはいかない、と。たまたま、日経新聞に伊勢丹のスーツの宣伝広告が出ていて、そこに「夢想版スーツ名言集」てのが書いてありました。

例えば、

「ごくまれにしか笑顔を見せないから、その笑顔が忘れられない。スーツは、そんな男に喩えられる。」

(私もどちらかというとそういう男ですけど、喩えられたスーツが気の毒)


「楽な服装ばかりが快適な服装ではない。袖を通し、背筋が伸びた時の、アゴを引いた時の、スーツの心地よさを知る者には。」

(スーツを着てこの感覚を持ったことはないけど、着物についてこれは言えるな)


「日本人は欧米人よりもさらに7割ほど前肩、という。土を耕してきたからか。刀を構えてきたからか。いや、大切な人を抱きしめてきたからである。」

(抱きしめることに関しては欧米人のほうがどう見ても上手でしょ)


「6色もの糸を使ったスーツ地がある。印象派の点描のようだ。なに色でもない。そして、なに色にも見える。」

(それを我が国では玉虫色と呼ぶ)


「『スーツ』を『キュークツ』のように語る男は、可哀想に、まだ青い。」

(そうか、だからアオキに青山なんだね)


「着ると、その人の内面が裸になる。スーツの不思議。」

(食べると、その女の内面が裸になる。スイーツの不思議)


「肩で着るか。胸板で着るか。いや、生き方で着るのだ。スーツとは。」

(ふんじゃ、オレは皮と肉で着るかぁ)


「一着の建築である。一着の彫刻である。」

(そして一着はボルトである)


「スーツが似合うに越したことはない。ただしリスクも伴う。重責を負うだろう。異性が放ってもおかないだろう。」

(異臭は放ってもおけないだろう)


「問題: 『品格』にルビをふれ。 正解: 『スーツ』」

(「国家の品格」=人民服か?)


「気をつけたほうがいい。君より先にスーツが語りだす。だましたくもない相手にどうしても嘘をつかなければならない時は、いいスーツを着るな。真実にしか聞こえない。」

(いいスーツを着たセールスマンに注意)



いかがですか。スーツ欲しくなってきたでしょ。え?ツッコミが余計?。スーツ礼いたしました。

ししょうありまっか?

テーマ:まちづくり
先日、図書館で「図典 日本の市町村章」という本が目に入りまして、借りて参りました。皆さん、長浜市の市章ご存知ですか?
はいこれ
上記図典を見ますと、次のように解説がされておりました。

「ひょうたんは、最初に長浜城主として当地を治めた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の馬印を表現しています。3つの波形は琵琶湖を表すとともに、合併した1市2町を表現しています。」

平成18年2月13日制定とあります。この後平成22年1月に長浜市は、伊香郡の4町、東浅井郡の2町と合併し、新長浜市が誕生したわけですが、市章は変わっておりません。え?でも中央の波形は旧長浜市とびわ町と浅井町ちゃうんか?

と思いまして、最新の情報を調べましたところ、な、なんと、上記解説の「1市2町」が「1市2郡」、つまり「長浜市と伊香郡と東浅井郡」に変えられているではないですか。うゎ~っ、皆さん知ってましたぁ、これ?うまいこと考えたというか、安易というか。

平成の大合併によって、日本全国新たに生まれた市章が山ほどあるわけですが、よく見ますとどれも似たりよったり。新長浜市のは若干違いますが、「3色(特に青、緑、赤が多い)」で「曲線と丸の組合せ」が圧倒的に多いことに気がつきます。で、どこの市章かようわからん。

ちなみに明治時代に制定されたものをそのまま使用している市町村は30強あって、多くが県庁所在地。県庁でないのは、旭川、小樽、弘前、黒石、米沢、川越、横須賀、高山、豊橋、四日市、明石、姫路、呉、久留米、佐世保など。滋賀県の県庁所在地大津は、昭和33年制定。滋賀県で一番古いのは彦根で昭和13年だそうです。

昔の市章は単色で家紋のように単純なもの、円形がベースで、市町村名のカナをもじったものが多いですが、概ね古いものの方が私の好みには合います。妻にそう言いましたら、「そうか?3色のほうがカラフルで親しみが湧くわ」

これも良かったよね

ゴキバリやす

テーマ:よもやま話
先日、日経新聞の「科学技術版」で驚くべき記事を発見した。「ゴキブリを『原発事故ロボ』に」というもの。ゴキブリ型のロボットを作ったのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。

記事によれば、東京農工大の教授らが、昆虫の体液を利用して発電するバイオ燃料電池を開発したとのこと。体液に含まれる糖分のトレハロースを分解して電気を得るんだそうで、昆虫にこの燃料電池を搭載し、原発事故の現場などで活躍する災害用ロボにしようというのだ。

そこで白羽の矢が立ったのは昆虫の中の昆虫?「ゴキブリ」。燃料電池の大きさは縦2.5cm、横2cm、厚さ1mmで、実際にゴキブリにこれを取り付け、10.5マイクロワットの電力を得たそうだ。

ゴキブリが選ばれた理由は、放射線への耐性が人間の数十倍程度高いといわれ、作業員が近づけない現場で情報収集ができる。また、ゴキブリの中には体液を取り出しても1年以上生き続けるとみられる種類もあり、長時間の活動が期待できるとのこと。

そんなことせずに、昆虫の上にコイン電池を電源として載せたらどうなの?っていう学者もいて、研究を進めているらしいが、どうやら電池が大きくて重いため昆虫が思うように動けないらしい。

核戦争が起こってもドブネズミとともに生き残るだろうと言われている「ゴキブリ」。そもそもこれ以上原発事故は見たくないってのが率直な感想なんだけど、せいぜい「ゴキバリやす」。



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