杖家
テーマ:言葉・漢字
2011/03/26 09:22
私の母は、10年ほど前に自転車に乗っていて、ちょうどゲッティさんところのお店の角でバイクと衝突し、股関節を骨折いたしました。その時はこのまま寝たきりになってしまうのではないかと心配いたしましたが、手術もうまく行きまして、普通に歩けるようには回復いたしました。
そうは言っても年寄りですので、やはり足元がふらつくこともあり、危なっかしいわけです。本当は杖をつくのに慣れるといいのかもしれませんが、やはり面倒なのでしょうか。何年か前からは、いわゆる「ばば車」を購入してそれを押しながら街なかを闊歩するようになりました。
昨年、唇の血のかたまりを見てもらいに日赤に行ったときは、病院で杖をお借りいたしました。「あ~、この杖は軽うてええわ」と母、気に入ったようです。見ると「ダイソー」の文字が。
「ありゃま、これダイソーって書いたるやん。100円ショップちゃうんかいな。おいおい、折れへんやろな~」「あれ、ほんまやな。けど、しっかりしたるし、どうもないわ」
母のお気に召した様子でしたので、好奇心もあってその後ダイソーに見に行きましたら、あるやん、あるやん。しかも、長さも色々あり、色も2種類あります。母の身長を慮って一番短いのを選びます。価格は100円ではありませんで、200円。それにしても安っす!
で、せっかく買ってきたのに、結局この杖、放置されたままでございます。「ほれ200円のやろ」と仲間内のお年寄りに咎められるのを恐れているのかと思いましたら、かえって杖をつくとこけそうで怖いんだそうです。
そんなある日、辞書を何気なく見ておりましたら「杖家(じょうか)」という言葉に出くわしました。くんさんのブログで国に杖をつくのが70歳とありましたが、こちらは「家の中で杖をつくのが許される年齢」という意味で「50歳」のことなんだそうです。私も「杖家」になりましたけど、でも、どっちかって言うとJOKERかな。
(注)礼記「王制編」の「五十杖於家、六十杖於郷、七十杖於国、八十杖於朝」より。朝は朝廷
そうは言っても年寄りですので、やはり足元がふらつくこともあり、危なっかしいわけです。本当は杖をつくのに慣れるといいのかもしれませんが、やはり面倒なのでしょうか。何年か前からは、いわゆる「ばば車」を購入してそれを押しながら街なかを闊歩するようになりました。
昨年、唇の血のかたまりを見てもらいに日赤に行ったときは、病院で杖をお借りいたしました。「あ~、この杖は軽うてええわ」と母、気に入ったようです。見ると「ダイソー」の文字が。
「ありゃま、これダイソーって書いたるやん。100円ショップちゃうんかいな。おいおい、折れへんやろな~」「あれ、ほんまやな。けど、しっかりしたるし、どうもないわ」
母のお気に召した様子でしたので、好奇心もあってその後ダイソーに見に行きましたら、あるやん、あるやん。しかも、長さも色々あり、色も2種類あります。母の身長を慮って一番短いのを選びます。価格は100円ではありませんで、200円。それにしても安っす!
で、せっかく買ってきたのに、結局この杖、放置されたままでございます。「ほれ200円のやろ」と仲間内のお年寄りに咎められるのを恐れているのかと思いましたら、かえって杖をつくとこけそうで怖いんだそうです。
そんなある日、辞書を何気なく見ておりましたら「杖家(じょうか)」という言葉に出くわしました。くんさんのブログで国に杖をつくのが70歳とありましたが、こちらは「家の中で杖をつくのが許される年齢」という意味で「50歳」のことなんだそうです。私も「杖家」になりましたけど、でも、どっちかって言うとJOKERかな。
(注)礼記「王制編」の「五十杖於家、六十杖於郷、七十杖於国、八十杖於朝」より。朝は朝廷
曳山祭どうなる?
テーマ:曳山・歌舞伎
2011/03/25 09:19
一昨日の滋賀夕刊に、「曳山祭は中止すべし」という投書が掲載されておりました。私は、山組でもあり曳山祭をこよなく愛する者ですが、この声は東日本大震災の状況を鑑みれば当然起こってしかるべきものであるとも思います。
曳山祭。何を以って中止と考えるのかは別として、曳山は出ても鳴り物停止のため狂言の実施がなされないことは歴史上何回かあったようで、具体的には幕末期の騒乱、八幡神社本殿の雷火による消失(明治18年)、日露戦争、電話線の架設(明治42~44年)、明治天皇崩御、満州事変~太平洋戦争など。
近年では、昭和天皇崩御、阪神大震災(平成7年)の年に狂言自粛の検討がなされたものの、いずれも実施となった経緯があります。経験上、準備を進めている若衆の立場からすると、「中止」の2文字は恐らく頭に浮かばないと思います。それだけ真剣に取り組まなければ完遂することはできないのが曳山祭なのです。
曳山祭は、神事、市民イベント、観光資源等々さまざまな顔を持っております。神事すなわち八幡宮、お旅所の両神前だけの狂言奉納にとどめ他は自粛すればそれでよいのか?それで祭と言えるのか?市からの助成金、市民から頂戴した協賛金は一体どうするのか?義援金として拠出すればそれでいいのか?中止とした場合の観光産業への打撃はどうなのか?
執行の決定を下した場合、いかに自粛しても非難は免れますまい。特に今回は阪神大震災の時と違って、発生から祭までが1ヶ月と間が無く、犠牲者の数が確定しておらず、原発問題もあって、いまだ復興の気運とはほど遠いものがあります。
一方、中止にした場合も、こんな時だからこそやることやるべきではないか?経済が萎縮するばかりじゃないか、という意見もあろうし、出番山は一年飛ばすのか、あるいは翌年に繰り越すのか、その場合総当番ももう一年行なうのか、という山組内での大きな問題も残ります。
当事者ではない無責任論の謗りは免れないことを承知で、個人的には「秋への延期」を提唱いたします。曳山祭は元々八幡宮の秋季大祭にあわせて10月に開催されていたこともありますし、この頃になれば恐らく大震災からの復興気運も大いに盛り上がっていることでしょう。
稽古が既に4月に向けて始まっておりますが、これは予定通り行ない、狂言は春休み中に仕上げて、衣裳、化粧なしで曳山博物館などで公開稽古を一度やればいかがでしょうか?春覚えたことは秋になっても忘れない、というのは昨年の地芝居サミットで実証済みです。
いずれにせよ、曳山祭は子どもが主役です。大人の動揺や惑いは必ず子どもに影響いたします。子どもに罪はありません。神事としての執行、市民からの理解、観光面への配慮からしても、「秋への延期」が決行論者、中止論者双方にとって最善ではなくとも、次善の策と言えるのではないでしょうか?検討の余地ありませんかな?
曳山祭。何を以って中止と考えるのかは別として、曳山は出ても鳴り物停止のため狂言の実施がなされないことは歴史上何回かあったようで、具体的には幕末期の騒乱、八幡神社本殿の雷火による消失(明治18年)、日露戦争、電話線の架設(明治42~44年)、明治天皇崩御、満州事変~太平洋戦争など。
近年では、昭和天皇崩御、阪神大震災(平成7年)の年に狂言自粛の検討がなされたものの、いずれも実施となった経緯があります。経験上、準備を進めている若衆の立場からすると、「中止」の2文字は恐らく頭に浮かばないと思います。それだけ真剣に取り組まなければ完遂することはできないのが曳山祭なのです。
曳山祭は、神事、市民イベント、観光資源等々さまざまな顔を持っております。神事すなわち八幡宮、お旅所の両神前だけの狂言奉納にとどめ他は自粛すればそれでよいのか?それで祭と言えるのか?市からの助成金、市民から頂戴した協賛金は一体どうするのか?義援金として拠出すればそれでいいのか?中止とした場合の観光産業への打撃はどうなのか?
執行の決定を下した場合、いかに自粛しても非難は免れますまい。特に今回は阪神大震災の時と違って、発生から祭までが1ヶ月と間が無く、犠牲者の数が確定しておらず、原発問題もあって、いまだ復興の気運とはほど遠いものがあります。
一方、中止にした場合も、こんな時だからこそやることやるべきではないか?経済が萎縮するばかりじゃないか、という意見もあろうし、出番山は一年飛ばすのか、あるいは翌年に繰り越すのか、その場合総当番ももう一年行なうのか、という山組内での大きな問題も残ります。
当事者ではない無責任論の謗りは免れないことを承知で、個人的には「秋への延期」を提唱いたします。曳山祭は元々八幡宮の秋季大祭にあわせて10月に開催されていたこともありますし、この頃になれば恐らく大震災からの復興気運も大いに盛り上がっていることでしょう。
稽古が既に4月に向けて始まっておりますが、これは予定通り行ない、狂言は春休み中に仕上げて、衣裳、化粧なしで曳山博物館などで公開稽古を一度やればいかがでしょうか?春覚えたことは秋になっても忘れない、というのは昨年の地芝居サミットで実証済みです。
いずれにせよ、曳山祭は子どもが主役です。大人の動揺や惑いは必ず子どもに影響いたします。子どもに罪はありません。神事としての執行、市民からの理解、観光面への配慮からしても、「秋への延期」が決行論者、中止論者双方にとって最善ではなくとも、次善の策と言えるのではないでしょうか?検討の余地ありませんかな?
艾年
テーマ:言葉・漢字
2011/03/24 09:13
昨年12月に50歳になったと申しましたが、50歳の異名としてよく知られているのが「知命」。孔子が50歳の時に天が自分に与えた使命を自覚したとされているところから来ております。
自らを省みた時、「天命を自覚しているか?」といえば、これはどうなんだろうと迷ってしまうわけで、てことは自覚していないのかなと思うわけです。いや自覚したくない、何かまだできそうだ、でも面倒くさいし、なんて思いながらどんどん齢を取っていくのでしょうね。きっと。
そうこうしているうちに、私の頭も
ご覧のように白くなって参りました
くんさんほどじゃないけど。
さて、「くさかんむり」に「乂」と書く字があります。即ち「艾」なのですが、これは「よもぎ」あるいは、よもぎの葉の裏の毛からつくられた「もぐさ」を意味します。
よもぎの葉ってこんな感じだそうで
私みたいに、髪の毛がよもぎのように色あせて白くなる年を「艾年(がいねん)」といい、これまた50歳の異名なのだそうです。そろそろ、よもぎ餅のシーズンなんでしょうか?食欲なくしちゃったかな?
自らを省みた時、「天命を自覚しているか?」といえば、これはどうなんだろうと迷ってしまうわけで、てことは自覚していないのかなと思うわけです。いや自覚したくない、何かまだできそうだ、でも面倒くさいし、なんて思いながらどんどん齢を取っていくのでしょうね。きっと。
そうこうしているうちに、私の頭も
ご覧のように白くなって参りました
くんさんほどじゃないけど。
さて、「くさかんむり」に「乂」と書く字があります。即ち「艾」なのですが、これは「よもぎ」あるいは、よもぎの葉の裏の毛からつくられた「もぐさ」を意味します。
よもぎの葉ってこんな感じだそうで
私みたいに、髪の毛がよもぎのように色あせて白くなる年を「艾年(がいねん)」といい、これまた50歳の異名なのだそうです。そろそろ、よもぎ餅のシーズンなんでしょうか?食欲なくしちゃったかな?
またもや大阪のおばちゃん(5)
テーマ:油甚本店
2011/03/23 09:29
またまた、日曜日に店番してた時ぃ~ 大阪のおばちゃんと大阪ではないおばちゃんの2人連れ。
大阪のおばちゃんがしばらく、店頭の胡麻油をながめながら
「そうやな~、やっぱりこれやなあ」
連れのただのおばちゃんに対して
「あんた、胡麻油食べるやろ」
「よっしゃ、ほんならこれ3本、袋別々にね」
品物を受取ると、ただのおばちゃんのかばんの中に胡麻油1本
「はい、これどうぞ、私から」
「あら、いいの?ありがとう」
いったん店を出てしばらくすると再来店。今度は椿油を見ながら、ただのおばちゃんが
「私、椿油ください」
「えっ、あんた椿油買うのん? 私ももらお」
「じゃあ、それは私が...」
と、2人分のお金を払おうとするただのおばちゃん。
すると大阪のおばちゃんが、お金を受取ろうとする私を猛然と押しのけて、
「あかんあかんあかん!」
「いや、でも...」
「それはあかん。私、お金は腐るほどあるねん」
「はい、これ私の分」と言って1000円を。
「しばらくお待ちくださいね」と私。
おつりの50円を渡そうとしたら、おばちゃんたち待たずに歩き出している。
「お客さ~ん、お釣ぃ~~」
「あっ、ほんまや~。おおきに~~~」
そこは「釣りはいらんわ。お金は腐るほどあるんや」とちゃうのか?
大阪のおばちゃんがしばらく、店頭の胡麻油をながめながら
「そうやな~、やっぱりこれやなあ」
連れのただのおばちゃんに対して
「あんた、胡麻油食べるやろ」
「よっしゃ、ほんならこれ3本、袋別々にね」
品物を受取ると、ただのおばちゃんのかばんの中に胡麻油1本
「はい、これどうぞ、私から」
「あら、いいの?ありがとう」
いったん店を出てしばらくすると再来店。今度は椿油を見ながら、ただのおばちゃんが
「私、椿油ください」
「えっ、あんた椿油買うのん? 私ももらお」
「じゃあ、それは私が...」
と、2人分のお金を払おうとするただのおばちゃん。
すると大阪のおばちゃんが、お金を受取ろうとする私を猛然と押しのけて、
「あかんあかんあかん!」
「いや、でも...」
「それはあかん。私、お金は腐るほどあるねん」
「はい、これ私の分」と言って1000円を。
「しばらくお待ちくださいね」と私。
おつりの50円を渡そうとしたら、おばちゃんたち待たずに歩き出している。
「お客さ~ん、お釣ぃ~~」
「あっ、ほんまや~。おおきに~~~」
そこは「釣りはいらんわ。お金は腐るほどあるんや」とちゃうのか?
ガソリンなぜ届かない?
テーマ:石油
2011/03/22 09:45
先日、大地震からの不安でガソリンを買占め、買いだめすべきではない。また、ガソリンは危険物質なので個人で被災地に届けようと安易に考えるべきではないと申しました。それにしても、ガソリン不足が被災地からの声として毎日のように報道されます。
日本最大級の製油所ながら大地震の影響で操業を停止していたJX(エネオス)の根岸製油所が稼動を再開し、東日本の供給総量もかなり緩和されるはずですが、被災地にガソリンが届かない理由は生産量の不足よりむしろローリー車の被災、ローリー運転者の確保難と疲弊、道路網寸断などが大きな要因なのです。
これに加えて、日経新聞などは「石油会社が生産設備削減や物流効率化など合理化を進めたのが裏目に出た」という指摘もあると述べています。これは私たち関連業者も実感しているところですが、現実の数字を突きつけられると、そんなに?と驚きを隠せません。
平成7年(1995年)と比較すると
1.製油所(原油からガソリン、灯油などの製品を作る工場)
44ヵ所→27ヵ所(4割減)
2.ローリー車
18,000台→7000台(6割減)
3.油槽所(製油所とガソリンスタンド間の中継基地)
600ヵ所→190ヵ所(7割減)
東北6県の生産拠点はJXの仙台製油所のみで、平成7年に日本海沿岸に5ヶ所あった製油所が現在は1ヶ所。当社の場合、当時は鳥居本に彦根油槽所があり、大阪製油所から貨車輸送で運ばれ、彦根から各スタンドにローリーで配送されていましたが、現在は四日市の製油所から直送。
豪雪等で物流がストップするのを恐れて内陸油槽所に灯油備蓄タンクなども増強した時代もありましたが、製油所に近い都市部のみにSSを集中させ、安値でシェアを奪おうとする外資系に対抗するために、国内石油会社も安定供給よりも合理化を優先せざるを得なくなったと記憶しています。
普段は水よりも軽んぜられて、安けりゃ何キロ先のSSまで給油に行くという人も多かったというのに災害になると、「ガソリンはまだか?なぜ来ないんだ?」と騒がれる。決して保護してくれとは言いませんが、電力やガスに比べてあまりに軽んぜられてきた感のある石油業界。少しは重要性を見直してほしいと思うのですが。
日本最大級の製油所ながら大地震の影響で操業を停止していたJX(エネオス)の根岸製油所が稼動を再開し、東日本の供給総量もかなり緩和されるはずですが、被災地にガソリンが届かない理由は生産量の不足よりむしろローリー車の被災、ローリー運転者の確保難と疲弊、道路網寸断などが大きな要因なのです。
これに加えて、日経新聞などは「石油会社が生産設備削減や物流効率化など合理化を進めたのが裏目に出た」という指摘もあると述べています。これは私たち関連業者も実感しているところですが、現実の数字を突きつけられると、そんなに?と驚きを隠せません。
平成7年(1995年)と比較すると
1.製油所(原油からガソリン、灯油などの製品を作る工場)
44ヵ所→27ヵ所(4割減)
2.ローリー車
18,000台→7000台(6割減)
3.油槽所(製油所とガソリンスタンド間の中継基地)
600ヵ所→190ヵ所(7割減)
東北6県の生産拠点はJXの仙台製油所のみで、平成7年に日本海沿岸に5ヶ所あった製油所が現在は1ヶ所。当社の場合、当時は鳥居本に彦根油槽所があり、大阪製油所から貨車輸送で運ばれ、彦根から各スタンドにローリーで配送されていましたが、現在は四日市の製油所から直送。
豪雪等で物流がストップするのを恐れて内陸油槽所に灯油備蓄タンクなども増強した時代もありましたが、製油所に近い都市部のみにSSを集中させ、安値でシェアを奪おうとする外資系に対抗するために、国内石油会社も安定供給よりも合理化を優先せざるを得なくなったと記憶しています。
普段は水よりも軽んぜられて、安けりゃ何キロ先のSSまで給油に行くという人も多かったというのに災害になると、「ガソリンはまだか?なぜ来ないんだ?」と騒がれる。決して保護してくれとは言いませんが、電力やガスに比べてあまりに軽んぜられてきた感のある石油業界。少しは重要性を見直してほしいと思うのですが。