曳山祭どうなる?

テーマ:曳山・歌舞伎
一昨日の滋賀夕刊に、「曳山祭は中止すべし」という投書が掲載されておりました。私は、山組でもあり曳山祭をこよなく愛する者ですが、この声は東日本大震災の状況を鑑みれば当然起こってしかるべきものであるとも思います。

曳山祭。何を以って中止と考えるのかは別として、曳山は出ても鳴り物停止のため狂言の実施がなされないことは歴史上何回かあったようで、具体的には幕末期の騒乱、八幡神社本殿の雷火による消失(明治18年)、日露戦争、電話線の架設(明治42~44年)、明治天皇崩御、満州事変~太平洋戦争など。

近年では、昭和天皇崩御、阪神大震災(平成7年)の年に狂言自粛の検討がなされたものの、いずれも実施となった経緯があります。経験上、準備を進めている若衆の立場からすると、「中止」の2文字は恐らく頭に浮かばないと思います。それだけ真剣に取り組まなければ完遂することはできないのが曳山祭なのです。

曳山祭は、神事、市民イベント、観光資源等々さまざまな顔を持っております。神事すなわち八幡宮、お旅所の両神前だけの狂言奉納にとどめ他は自粛すればそれでよいのか?それで祭と言えるのか?市からの助成金、市民から頂戴した協賛金は一体どうするのか?義援金として拠出すればそれでいいのか?中止とした場合の観光産業への打撃はどうなのか?

執行の決定を下した場合、いかに自粛しても非難は免れますまい。特に今回は阪神大震災の時と違って、発生から祭までが1ヶ月と間が無く、犠牲者の数が確定しておらず、原発問題もあって、いまだ復興の気運とはほど遠いものがあります。

一方、中止にした場合も、こんな時だからこそやることやるべきではないか?経済が萎縮するばかりじゃないか、という意見もあろうし、出番山は一年飛ばすのか、あるいは翌年に繰り越すのか、その場合総当番ももう一年行なうのか、という山組内での大きな問題も残ります。

当事者ではない無責任論の謗りは免れないことを承知で、個人的には「秋への延期」を提唱いたします。曳山祭は元々八幡宮の秋季大祭にあわせて10月に開催されていたこともありますし、この頃になれば恐らく大震災からの復興気運も大いに盛り上がっていることでしょう。

稽古が既に4月に向けて始まっておりますが、これは予定通り行ない、狂言は春休み中に仕上げて、衣裳、化粧なしで曳山博物館などで公開稽古を一度やればいかがでしょうか?春覚えたことは秋になっても忘れない、というのは昨年の地芝居サミットで実証済みです。

いずれにせよ、曳山祭は子どもが主役です。大人の動揺や惑いは必ず子どもに影響いたします。子どもに罪はありません。神事としての執行、市民からの理解、観光面への配慮からしても、「秋への延期」が決行論者、中止論者双方にとって最善ではなくとも、次善の策と言えるのではないでしょうか?検討の余地ありませんかな?

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