兼好診断(8)じゃなゐ

テーマ:よもやま話
久々の兼好診断なんですが、今回は徒然草でなくって「方丈記」。なので兼好じゃなくて長明なんです。健康じゃなくて長命なのは困りますね。健康で長命が一番。それはともかく、兼好診断じゃ「なゐ」んです、要するに。

新聞のコラムに、しばしば方丈記の中の地震についての言及が登場いたしました。地震は当時、「なゐ」と呼ばれていたそうです。「今地震です」っていうのは「なゐなう」?どうでもいいですね、そんなこと。さて原文を記述いたしますと、

「また、同じころかとよ、おびただしく大地震(おおなゐ)ふること侍りき。そのさま、よのつねならず。山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよい、道行く馬はあしの立ちどをまどはす。

都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰たちのぼりて、盛りなる煙の如し。地の動き、家のやぶるる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。」とあり、

「恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震(なゐ)なりけれとこそ覚えしか」と、地震ほど恐ろしいものはないと述べておられます。続いて、余震にも言及し、

「かく、おびただしくふる事は、しばしにて止みにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。よのつね、驚くほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日・廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたその余波、三月ばかりや侍りけむ」

余震も三ヶ月経たないと治まらなかったんですね。さらに続きます。

「四大種のなかに、水・火・風はつねに害をなせど、大地にいたりては異なる変をなさず。昔、齋衡のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首落ちなど、いみじき事どもはべりけれど、なほこの度には如かずとぞ。すなはちは、人みなあぢきなき事をのべて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にしのちは、ことばにかけて言い出づる人だになし。」

地震当座はみんな、この世の無常を悟り、愚かな欲望や執着も取れて、心の濁りも多少薄らぐかと思ったけれど、月日が経つにつれて、地震のことなどすっかり忘れてしまって、言葉に出す人もいない。と長明さん嘆いておられます。

さて、方丈記といえば「無常観」。この世のはかなさを書いていると言われますが、瀬戸内寂朝さんは今朝の朝刊で「無常」とは「常なものは無い」と考えたい。「どん底はいつまでも続かない。希望を持って」と説いておられました。人心を落ち着かせるべし。今こそ、宗教家の出番かもしれませんね。




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