わし我よりおか下

テーマ:よもやま話
一昨日、「ほぼ姪」の結婚式がございまして、新郎やそのご両親もよく存じ上げていることもあって、披露宴で祝辞を述べることになりました。

ほぼ姪と申しましたのは訳がございまして、新婦のお父さんは当社に長らく勤務されていたのですが、ご両親を早くに亡くされたため、結婚するまで私どもの家に住み込みで勤めておられ、うちの両親が親代わり、いや父などは実の息子たち以上に可愛がっていたかもしれません。

残念ながら11年前の4月21日、56歳でがんで亡くなられたのですが、ちょうどその年は曳山祭の出番で私は若衆筆頭。祭が終わるのを待っていてくれたかのように旅立って行かれました。

さて祝辞の原稿は作ったものの、それを見ずにスピーチしようと始めたのですが、故人のことを思い出すと胸が詰まって、話す内容が出て来なくなりまして、慌てて原稿をチラ見しながら話すことに。

原稿を作って話す場合は、どうしてもその内容にこだわりがでるので、やはり原稿を持って話すべきですね。空で話すつもりなら、最初から原稿は作るべきでないという教訓を得ました。

世間でいう適齢期をちょっと過ぎて結婚に至った二人に、If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together. というアフリカの諺を送りました。つまり「独身でいた方が物事が早く片付いて楽なこともあるけど、二人で相談したり励まし合いながらより遠くへ行ってほしい」と。

スピーチの後、同じテーブルだった新婦の伯父さんに「さっきのアフリカの諺を聞いて、あなたのお父さんが私らの結婚式で言わあった言葉を思い出したわ。わしらの仲人をしてもろたんやけど」と。

その言葉とは、「わしがわしがの我(が)を捨てて、おかげおかげの下(げ)で生きよ」というもの。これを聞いて、人のためと思っていながら、結局は我のためにやっていることが多い自分に気づかされ、父に諭されているような気になりました。

仲人をした時は、おそらく今の私と同じような年齢だったのだと思いますが、やはり人としてあの父を超えるようなことは到底無理だな、とまた改めて認識をし直した次第です。

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