破風堂々

テーマ:まちづくり
近くにありながら国宝彦根城については知らないことが多い、と以前にも書きました。前彦根市長のお話で、滋賀県各地の城の遺構を持ち寄ったことを知り、新聞で大隈重信が明治維新後の解体の危機を救ったことも知りました。

彦根城天守閣を初めて見た時に「何や、ちっちゃいな。これで国宝け?」と思った方多いのではないでしょうか?しかし、遠目から見ると、あるいは他の城と比較すると、小さいけど目鼻立ちのはっきりした美人、みたいな存在感もありますよね。

日経新聞の日曜「美の美」欄で国宝四天守が取り上げられているのですが、この間は彦根城特集。そこで彦根城の美しさ、迫力は「破風(はふ)」にあると書かれていて納得。

彦根城は3重の天守閣でありながら破風の数は何と18(妻側5、平側4 ×2面)で姫路城と並んで最多。5重の松本城でも7つ、4重の松江城は6つしかないそうな。ちなみに切妻破風に庇をつけたものは他に例を見ないとのこと。

広島大学の三浦教授によれば、「天守を飾るには漆喰や漆、金箔などの手段があるが、破風を増やすのが最も効果的。長持ちするし遠くからでも目立つ」。破風とは天守の美学そのものであり、それを最も体現してみせたのが彦根城だと。

家康は大坂に健在の豊臣家のにらみとして譜代の家臣井伊氏を彦根城に配置したわけですが、佐々木氏の流れをくむ京極家の居城であった大津城の移築で近江支配の正当性を与え、見事な破風を幾つも備えた新天守で政権の権威を内外に示したというわけです。

しかし同時期に築かれた池田氏の姫路城や尾張徳川家の名古屋城のように5重の天守を持てなかったのは、やはり家康の配下、陪臣にすぎなかった井伊家の家格の限界からだったようですが、凝りに凝った破風を多数設けることで、ハンディを補って余りあるものとしたのですね。

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