<<最初    <前    2  |  3  |  4  |  5  |  6    次>    最後>>

週末の食卓(96)

テーマ:週末の食卓
(その1)
長浜で観測史上最高気温を記録した日の夕方のこと

母: あぁ、いよいよ認知症やわ、これは

私: どうしたん?

母: 認知症になると、「財布がない、財布がない」て言うようになるらしいけど、ほれや

私: どっかに置いてきたんか?

母: いや家でどこかに片付けたことは覚えてるんやけど、それがどこやったか...

私: まあ、行動範囲は狭いし、そのうち見つかるやろ

(翌朝、朝食を食べに起きてくるなり、小声で)

母: 財布あったわ

私: えっ、どこにあったん?

母: ほれは秘密や


それを教えといてもらわんと困るがな




(その2)
デイサービスで夏祭りが行われる前日のこと

妻: 明日はいよいよ夏祭りですねえ。流しそうめんとかやるんですよねぇ

母: ほうよ。けど、明日の天気はどうなんやいな?

妻: 雨みたいですよぉ

母: ほうか、ほんなら流しそうめんできんがな

妻: ええっ、中でやるんじゃないんですか?

母: 中て、ほんなもん、どこでするんやいな?

妻: お風呂とか(笑)

母: アホな、ほんなもん誰も食べへんわ

妻: みんな裸で箸持って、ひょいひょいっと


ついでにお背中流しそうめんか!




意義ある他人

テーマ:まちづくり
一昨日の道徳教育研究会に引き続きまして、昨日の午後は湖北文化ホールに於いて長浜市教育研究発表大会が開催され出席してまいりました。研究発表後の講演は関西福祉大学の加藤明副学長によるもので、演題は「これから求められる教師の力とは」。

子供たちには、情緒力、想像力、論理力、語彙、文法、そしてこれらを用いた表現力をつけさせる必要があるのだが、最近の若者はたった4つの語彙で生きていると嘆く加藤先生。すなわち、「超~」「まじ」「やば」「微妙」だそうな。まあ、それで世の中暮らせるのなら、ある意味シンプルで便利ですわな。

よく、叱ることと誉めることの重要性が言われますが、加藤先生は「意義ある他人としての教師のまなざし」について説かれました。誰しもその人に認めてもらうと嬉しい人がいるもので、子供の場合、それは教師(担任の先生)だというわけです。

前と比べて良くなったこと、その子が特に嬉しいと感じること、それらを証拠を言ってあげながら褒めなければならないと。そして、どの子にもあまねく温かいまなざしを配らねばならないといいますから、やはり先生ってのは大変な仕事です。

しかし、人間誰彼となく褒められたらいいというものではないというのは確かで、この人に認められたらとびきり嬉しいってのはありますね。「意義ある他人」に褒められると「超うれし~」で、「意義のない他人」だと「微妙」ってところでしょうか。

しかし「意義ある他人」があるってことは、「意義ある身内」「意義のない身内」ってのもあるわけでしょうか。子供にとってはやはり母親ってのは意義ある存在のようで、どれだけ叱られても自分のためを思ってということがわかっているから、何を言っても「まじ」大丈夫なんだそうです。

そうか、父親はどうなんでしょう?皆さん、ふり返ってみていかがですか?え、「やばっ!」てか。

吾を言うくらいに

テーマ:まちづくり
昨日の午前中は浅井文化ホールで開催された長浜市道徳教育研究会に出席。長小と木之本中の先生による道徳教育の事例発表の後、元全国小学校道徳教育研究会会長の荻原武雄先生の講演。テーマは「あたたかい道徳の授業をつくる」

個人的に、道徳の授業ってのは何となく肩が凝るというか価値観を押し付けられるようで子供の時もあまり好きではありませんでしたが、荻原先生曰く「道徳の授業とは、ねらいに照らして子ども一人一人が自分の中の課題について深く感じたり考えたりする営みである」と。

30人子供がいれば、30通りの正答が出る場合があり、教師の意図した答えに子供たちの思考をあてはめるような「愚」を避けなければならない、とおっしゃいます。そうそう、道徳の授業ってこういう印象があるんですよね。

私は教師ではないので、細かな授業の技術論について感想を述べるつもりはないのですが、先生のおっしゃった内容でなるほどと思ったことを一つご紹介したいと思います。

それは、「道徳の教材は国語の授業ではないので、生徒に読ませるのではなく先生が読み聞かせなければならない」ということ。しかも感動資料を感動的に語ったり、あるいは逆に淡々と話したり、どうやったら子供の心に響くかを工夫しなければならない。授業のねらいは明確なのでそれをたたきつけるように語るのだと。

で、「読む」という字は「旁が売(セールス)」だし、「話す」というのは「旁が舌」。つまり、「読む」や「話す」ではそれこそリップサービスで終わってしまう感じでしょと。「語る」という字は「吾(われ)を言う」と書く。吾を語り尽くすくらい読み込んでほしい、と。

なるほどね~。我々が学んでいる浄瑠璃も「語る」という言い方をしますが、こういう風に考えると頷けるところがあります。教育だけでなく一般社会生活にもつながる、なかなか含蓄のあるお話、いやお語りでございました。

花火は翌日

テーマ:油甚本店
一昨日は長浜の花火大会。従って当然のことながら、昨日は花火の翌日。花火当日は教育委員会の会議があって午後は不在でしたのでよくわかりませんが、例年より本店の売上が悪い。やっぱり観光客が少ないんかなあ。

で昨日。午前中、事務員さんが用事で休まれましたので店番。まあ、平日やしお客さんも少なかろと高をくくって新聞おっぴろげて読んでたりしてたんですが、店の前に車を停めて、迷わずに1リットル入りの胡麻油を買って行って下さるお客さんが続きます。

そうか、こりゃ昨日花火を見てお泊りしてお帰りのお客様だなと想像を働かせます。いわゆる遠方からのリピーターで、こういうお客様は楽でありがたいですね。いちいち商品説明もしないでいいし、購入額も大きいですから。

そうこうしているうちに熟年プラスアルファのご婦人二人がご来店。「私、毎年ここへ寄るのよ」と。そしてお連れのお客様に「これがおいしいのよ」とか「ポン酢試食させてもらいなさいよ」とか私の代わりに商品を説明してくださるんです。

その後に入って来られた別のお客様とも親しげにお話しされているので、てっきりこの方もお友達かと思ったら、「お宅はどちらから?」「彦根なんですよ」「あら、私たちは名古屋」なんていう会話。すごいなあ、初対面でこの自然な会話はどうよ。

「昨日は花火をご覧になったんですか?」と尋ねますと、「そうなのよ。毎年〇〇さんに泊まりで来てるの」。「えっ!あそこって1年前から予約しないと取れないんですよね」「そうそう、だから昨日また来年の宿泊予約したわよ。生きてるかどうかわからないけど」

いや、生きておられますとも。それにしても、こういうお客様がいらっしゃるおかげで、ホテルも観光施設も我々小売店も少なからず恩恵を受けているとはいうものの、あな羨ましや、たまにはこういう身分になってみたいもんです。

まあ、思いの外売り上げがあった昨日。夏は夜、花火は翌日やな。

リーガルハイ

テーマ:よもやま話
去年だか一昨年だかに、堺雅人がちょっとコミカルな弁護士、古美門研介を演じる「リーガルハイ」というドラマをやっていましたよね。私も第2作はほとんど見ておりました。

で題名の「リーガル・ハイ」、これ一体どういう意味があるんだろうかと思っておりました。まあ弁護士が主役ですから「Legal(リーガル)」つまり法律に関することだということがわかるんですが、「ハイ」はどういうこと?

ネット上の意見としては、マラソンなどで長時間走り続けると気分が高揚してくる「ランナーズハイ」に掛けているのではないか、すなわち「高揚した弁護士」、転じて「ハイテンションな自己チュウ弁護士」という解釈がなされているようです。

ところが今朝の新聞を読んでおりましたら、この「リーガル・ハイ」なる用語、英国では最近話題の「脱法ドラッグ」のことを指すなどと書いてあるではありませんか。

「合法的に精神を高揚させる薬物」ということなんでしょうかね。いずれにしても、英国ではキオスクや、あろうことかガソリンスタンドでもこの「リーガル・ハイ」を売っているところがあるそうな。そうか、そういうもんで儲ける手もあるなぁ....。ってコラ!

前回の展開からして、さらに続編が作られるだろうと予想しておりましたドラマの方ですが、題名にクレームが入る可能性があるかもしれませんね。いや、むしろ古美門弁護士はハナから「リーガル・ハイ」の常習者という設定だったのかな?
<<最初    <前    2  |  3  |  4  |  5  |  6    次>    最後>>

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2014/08      >>
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧