意義ある他人

テーマ:まちづくり
一昨日の道徳教育研究会に引き続きまして、昨日の午後は湖北文化ホールに於いて長浜市教育研究発表大会が開催され出席してまいりました。研究発表後の講演は関西福祉大学の加藤明副学長によるもので、演題は「これから求められる教師の力とは」。

子供たちには、情緒力、想像力、論理力、語彙、文法、そしてこれらを用いた表現力をつけさせる必要があるのだが、最近の若者はたった4つの語彙で生きていると嘆く加藤先生。すなわち、「超~」「まじ」「やば」「微妙」だそうな。まあ、それで世の中暮らせるのなら、ある意味シンプルで便利ですわな。

よく、叱ることと誉めることの重要性が言われますが、加藤先生は「意義ある他人としての教師のまなざし」について説かれました。誰しもその人に認めてもらうと嬉しい人がいるもので、子供の場合、それは教師(担任の先生)だというわけです。

前と比べて良くなったこと、その子が特に嬉しいと感じること、それらを証拠を言ってあげながら褒めなければならないと。そして、どの子にもあまねく温かいまなざしを配らねばならないといいますから、やはり先生ってのは大変な仕事です。

しかし、人間誰彼となく褒められたらいいというものではないというのは確かで、この人に認められたらとびきり嬉しいってのはありますね。「意義ある他人」に褒められると「超うれし~」で、「意義のない他人」だと「微妙」ってところでしょうか。

しかし「意義ある他人」があるってことは、「意義ある身内」「意義のない身内」ってのもあるわけでしょうか。子供にとってはやはり母親ってのは意義ある存在のようで、どれだけ叱られても自分のためを思ってということがわかっているから、何を言っても「まじ」大丈夫なんだそうです。

そうか、父親はどうなんでしょう?皆さん、ふり返ってみていかがですか?え、「やばっ!」てか。

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