吾を言うくらいに

テーマ:まちづくり
昨日の午前中は浅井文化ホールで開催された長浜市道徳教育研究会に出席。長小と木之本中の先生による道徳教育の事例発表の後、元全国小学校道徳教育研究会会長の荻原武雄先生の講演。テーマは「あたたかい道徳の授業をつくる」

個人的に、道徳の授業ってのは何となく肩が凝るというか価値観を押し付けられるようで子供の時もあまり好きではありませんでしたが、荻原先生曰く「道徳の授業とは、ねらいに照らして子ども一人一人が自分の中の課題について深く感じたり考えたりする営みである」と。

30人子供がいれば、30通りの正答が出る場合があり、教師の意図した答えに子供たちの思考をあてはめるような「愚」を避けなければならない、とおっしゃいます。そうそう、道徳の授業ってこういう印象があるんですよね。

私は教師ではないので、細かな授業の技術論について感想を述べるつもりはないのですが、先生のおっしゃった内容でなるほどと思ったことを一つご紹介したいと思います。

それは、「道徳の教材は国語の授業ではないので、生徒に読ませるのではなく先生が読み聞かせなければならない」ということ。しかも感動資料を感動的に語ったり、あるいは逆に淡々と話したり、どうやったら子供の心に響くかを工夫しなければならない。授業のねらいは明確なのでそれをたたきつけるように語るのだと。

で、「読む」という字は「旁が売(セールス)」だし、「話す」というのは「旁が舌」。つまり、「読む」や「話す」ではそれこそリップサービスで終わってしまう感じでしょと。「語る」という字は「吾(われ)を言う」と書く。吾を語り尽くすくらい読み込んでほしい、と。

なるほどね~。我々が学んでいる浄瑠璃も「語る」という言い方をしますが、こういう風に考えると頷けるところがあります。教育だけでなく一般社会生活にもつながる、なかなか含蓄のあるお話、いやお語りでございました。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2014/08      >>
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧