吃又と滔天

テーマ:よもやま話
一昨日の大河ドラマ軍師官兵衛に、道薫こと荒木村重と実の息子の又兵衛の再会シーンが描かれておりました。これまでの大河で荒木村重がこれほどまで登場することはなかったと思うのですが、やはり主役が官兵衛であり、有岡城幽閉の張本人であったからなのでしょうね。

それはさておき、村重の息子の又兵衛は子供ながらに絵心があり後に著名な絵師になったと解説がありましたので、「えっ!絵師の又兵衛?ひょっとして吃又(どもまた)のことか?」と思わず言うと、ちょうど又兵衛のことをwikiで調べていた息子が、「そうそう、通称 吃(ども)の又平て書いたるわ」と。

実は、歌舞伎に「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」という岩佐又兵衛をモデルに描かれた芝居があり、これが通称「吃又(どもまた)」と呼ばれており、長浜の曳山祭でも平成15年に御堂前町諫皷山が演じています。

はーなるほど、歴史ってのはそういう風に結びついているのね、と感心しながら翌朝、つまり昨日の日経新聞を読んでおりますと、孫文の辛亥革命を支えた宮崎兄弟という内容のコラムが目に入りました。
滔天と孫文
中でも宮崎滔天という名前はどこかで聞いたことがあるなぁ、と思って読み進めますと、何とNHK朝ドラ「花子とアン」で蓮様の現夫宮本龍一のモデル宮崎龍介は、滔天の長男だったということがわかりました。

息子は白蓮事件で世を騒がせたわけですが、wikipediaによりますと、浪曲師でもあった滔天が博多講演をしていた時に祝儀をくれたのが、皮肉にも蓮様の前夫である、かの伝様(嘉納伝助、実名:伊藤伝右衛門)であったそうな。

1931年(昭和6年)に滔天遺族である蓮様夫妻は国賓として招かれたのみならず、戦後になってからも孫文誕生90年式典にも招待。その後も宮崎家と中国の交流は続いており、5年に一度国賓として中国に招かれているそうです。

日中関係が非常に難しくなっている昨今ですが、中国、台湾双方で国父として尊敬され、日本ともゆかりの深い孫文という存在を介して東アジアの良好な関係が築かれる道はないものかと思います。

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