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中老への登竜門

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日は長浜八幡宮の秋季大祭ということで、夜には神輿がお旅所からお戻りになる「神輿還御」が執り行われました。10年ちょっと前からだったでしょうか、囃子保存会の発案で、各山組の囃子屋台を並べて、子ども達が囃子を演奏し神輿還御を盛り上げるようになりました。

私も昨年までは山組の若衆でしたので、毎年この行事に参加して子ども達と一緒に笛を吹いておりました。しかし、この春に祭の終了とともに中老入りをいたしまして、今年は違う形で神輿還御の儀に参加することになりました。
それはこれだ!
お迎え提灯と呼ばれる、この長い竹の先に備えられた二つの大きな提灯を持って、お神輿さんを先導するというわけで、この提灯は各山組および七郷から1基ずつ出されます。

私は、この役目を初めて仰せつかったわけですが、我が翁山組ではこれは中老入りしたばかりの新入りがその務めを果たすことが慣例となっております。いわば「中老への登竜門」。この役目を無事果たして初めて中老として認めていただけるということでしょうか。誤って提灯を燃やすと「若衆戻り」という噂も...。


もちろん他町さんも、この仕事は中老が担うことが多いわけですが、人数の少ない町では若衆も加わったり、町によっては負担人さんが自ら出仕されるところも結構あるように見受けられました。

うちの町もお旅所までは負担人さんが同行して下さり、提灯に火をつけていただきましたが、道中は一人旅。これ、竹も太いですし結構重い。これを持って歩くのは思ったより重労働でして、実際2,3人のメンバーで提灯持ちを交代する町がほとんどでありました。

他町の知り合いの方から、「手伝おうか?」と優しい言葉を頂戴しましたが、そこはやせ我慢。「いや他町の方に我が町の提灯にお触れいただいては翁山の名折れ」と丁重にお断り。

神輿をかつぐのも大変ですから、100m位ごとの休憩に合わせて、我々も提灯を下に下ろして一息つきます。一番の難所は八幡宮の一の鳥居をくぐった後の石畳の参道。ここは松の枝が左右から張り出し、これに提灯が当らないように高さを調節しながら歩くのはなかなか至難の業です。

二の鳥居を超えたところで左右に分かれて提灯隊が並んで待つところに神輿がお通りになり、神輿堂にお入りになるのを見届けたところで我々の役目は終了。火を消して家路へとつきました。そういえば、神輿の担ぎ手のしんがりをくんさんが務めておられました。お疲れ様でした。


(お断り)
提灯を持ちながら写真を撮ることは不可能ですので、昨年、一昨年の同行事を記事にしておられた、ドラゴン・スリーさん、スエヒロさん、3ブラザースパパさんのブログから写真を無断借用いたしました。ごめんなさい。

紙パックのお茶

テーマ:よもやま話
私たちが若かった頃、いやそこまで行かなくても、おっさんと言うには若く、お兄さんと呼ぶには老けすぎていた頃までは、お茶、つまり日本茶をお金を出して買うなどということは考えられないことでした。

お茶は、家で沸かしたものをそのまま、あるいは冷蔵庫で冷やして飲むものと決まっていたわけです。例外的に駅のKIOSKなどで缶のお茶が売っていましたが、これとて日陰者の扱いだったような気がします。ところが昨今、ペットボトルのお茶が大いに幅を利かせ、冷たいお茶は買うのが当たり前の時代に入りました。

さて、ペットボトルのお茶には色々な種類があり、人それぞれお好みがあると思いますが、まれに会議などで紙パックに入ったお茶が提供されることがあります。そうそう、ストローが側面についていて、ベリッとはがしてストロー抜いて、チューっと伸ばして、プチンと穴に突っ込むやつ。

皆さん、あのお茶の味どう思います?普通に「伊藤園」とか書いてあっても、妙にまずい、いやまずいとまではいかなくても「おいしくない」、無味乾燥、いや液体だから「無味湿潤」だと思いませんか?

一体何故なんだろう?と考えてみました。まず、「中身がペットボトルのものと違う?」そんなことしたら信用問題でしょうからあり得ない。では「中身が古いのか?」と賞味期限を確認してもロデ男っているわけでもない。

何故なんだ?う~ん、もしかしてストローで飲むからか?確かに日常お茶をストローで飲む局面はまずありません。これは結構大きな要因かもしれませんなあ。甘みのついていない飲み物をストローで飲み慣れていない?

そして中身が見えないこと。これも関係しているかもしれません。人間というのは目で料理を楽しむ、と言われるように、視覚と味覚が重なって初めて「おいしい」と感じるのかもしれません。あ、嗅覚も関係するかもしれません。パックからストローでは匂いが漏れる隙間もありませんからね。

では、中身をコップに空けて飲んでみましょう。ゴクゴクゴク。う~ん、やっぱりおいしくないじゃん。中身といえば、パックの中はどうなってるんやいな?よし、解剖してみましょうか。
あれま、アルミコーティング
そうです。アルミがべったりと貼ってあります。そうか、お前か~。光や酸素など品質劣化の要因から守るため、などと説明されておりますが、うまみや香りも奪っているんじゃないのか?
それはちょっとまずいぞう~

色模様

テーマ:曳山・歌舞伎
一昨日のブログで、歌舞伎では若い娘やお姫様などの役柄が激しい恋心を高ぶらせ、激情に走る場面に「人形振り」の演出を用いることが多いようだ、と申し上げました。

実際、注意深く芝居を見ておりますと、矢口渡のお舟などは、一目ぼれした男(義峯)に対して、かなり挑発的に誘いの言葉を投げかけております。義峯も義峯でして、恋人を連れ立っているというのに、お舟の誘惑に負けて情を通じてしまいます。

えっ!何でそんなことわかるのぉ?「そんな場面なかったよぉ~」と芝居を見た方はおっしゃり、「それなら、見に行けばよかった」と見てない人はおっしゃるかもしれません。

歌舞伎には「濡れ場」という言葉がございまして、文字通り男女の愛の交換を表現する描写なわけですが、芝居によってはかなり直接的で煽情的な場面もあるようです。しかし、まさか曳山の上でしかも子ども役者にそんなことをさせるわけには参りません。

そこまでは行かなくても男女が情を通ずるシーンをさらっと淡く演ずるのを「色模様」と呼ぶようでありまして、この場面が「矢口渡」でも出て参ります。
義峯とお舟
このように、男女が寄り添って互いに見つめ合い、静止のポーズをとるのが愛の恍惚境の姿というわけです。じゃあ、もう一方の「本朝廿四孝」の激情姫の八重垣はどうなんじゃい、と思いますでしょ。
ほれこの通り勝頼さんとやってます
より正確には、「女が男の膝にもたれ、男が右手を額に当てる」ことで、「男女が情を通じた」ということを表現するんだそうです。

今年の米原曳山祭では、出場2町ともに情熱的で積極的な女性を描く芝居が演じられました。偶然でしょうが、男性の草食化、女性の肉食化という時代を反映したものとなりましたね。


(参考)
「歌舞伎図鑑」 (別冊太陽)
「カラー歌舞伎の魅力」 (淡交社)



お茶っぴいをおあがり

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日のブログでも少し触れましたが、私の息子が初めて曳山祭の役者として「初上がり」したのは平成13年、今から9年前のことでした。演目は今年米原でも演じられました「神霊矢口渡」。

悪党の渡守頓兵衛の娘お舟が、落人新田義峯に一目ぼれ。褒賞金目当てに彼の命を狙った頓兵衛が誤って娘を刺し、娘は惚れた男を逃がそうと必死で太鼓を叩くというお話でした。

息子は頓兵衛の子分でお舟にほれている三枚目、六蔵の役。当時9歳だった息子は、「あがる」こともなく地のままで活き活きと演じていたことが思い出されます。

さて、六蔵が、親分頓兵衛が日頃褒美の金を独り占めすることに不満を述べる件(くだり)があります。「去年兄義興を生け捕ったが、褒美の金は親方一人があたたまり、この六蔵はおちゃっぴい」というようなセリフでした。

この「おちゃっぴい」という言葉、この場面では「いくら働いても報酬がなく、割のあわないこと」というニュアンスで使われていたわけですが、当時は何となく「お茶目でバカ」ってな感じでとらえておりました。現在では「おちゃっぴい」というと「おしゃべりで活発な女の子」を指すのが一般的なようです。

昔、遊女は客がつかない時にお茶を挽かされていたことから、暇な遊女を「お茶挽き」と言い、これが転じて「おちゃっぴい」となったようです。そうした暇な遊女には、おしゃべりでしとやかさに欠けている者が多かったことから、「おしゃべりで活発な女の子」を指すことばになったのですが、彼女らからすれば「報酬がなく割にあわない」と感じたんでしょうね。

さて遊郭では、暇につながる言葉「お茶」を忌み嫌い、「客があがる」という縁起をかついで、お茶を「あがり(花)」というようになったそうです。お寿司屋さんで、「あがり」を注文なさる時にこのブログを思い出していただければ幸いです。




人形振り

テーマ:曳山・歌舞伎
今年の米原曳山祭は、北町旭山組と南町壽山組の出場となりましたが、それぞれ芸題は「神霊矢口渡」と「本朝廿四孝」、奇しくもともに劇中に「人形振り」の入る演目となりました。

歌舞伎の中には文楽(人形浄瑠璃)のために書き下ろされた作品を取り込んだ、いわゆる義太夫狂言というものがあり、曳山で演じられる演目の多くは、この義太夫狂言に属するものです。

この義太夫狂言の一部分において、人間である役者がわざと本来の「文楽人形」になったような振りをすることを「人形振り」といい、後ろには「人形使い」と呼ばれる黒衣がついて、あたかも彼に操られているが如き所作をするわけです。

一般的には若い娘やお姫様などの役柄が、激しい恋心を高ぶらせ、激情に走る場面にこの演出を用いることが多いようです。

「矢口渡」ではお舟が
「廿四孝」では八重垣姫が

旭山の振付師である中村津多七師匠は、私が垂井の曳山祭でお世話になっている先生。そして、この「矢口渡」は、息子が長浜の曳山祭に初めて出場した時の演目。

一方、壽山の振付は私の義兄(姉婿)で、こちらは甥っ子が5歳で初上がりした時の演目。また、わが翁山が長年お世話になった中村芝蝶先生が昭和48年に初めて長浜(鳳凰山)で振付をされた芝居で、現在医者となっている同級生のI君が八重垣姫を見事に演じ、三味線奏者として大活躍中の賀祝さん(同級生)も勝頼役を演じました。
何故か舞台上に佐々木信也
ということで、どちらも思い出深い芝居だったわけですが、先の「人形振り」を本当に人形らしく見せるには、人形のいい仕草を真似るのではなくて、人形のまずいところを真似るのがコツなんだそうです。そんなコツを知ってか知らずか、2人の子ども役者、ともに見事な人形振りでございました。
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