お茶っぴいをおあがり

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日のブログでも少し触れましたが、私の息子が初めて曳山祭の役者として「初上がり」したのは平成13年、今から9年前のことでした。演目は今年米原でも演じられました「神霊矢口渡」。

悪党の渡守頓兵衛の娘お舟が、落人新田義峯に一目ぼれ。褒賞金目当てに彼の命を狙った頓兵衛が誤って娘を刺し、娘は惚れた男を逃がそうと必死で太鼓を叩くというお話でした。

息子は頓兵衛の子分でお舟にほれている三枚目、六蔵の役。当時9歳だった息子は、「あがる」こともなく地のままで活き活きと演じていたことが思い出されます。

さて、六蔵が、親分頓兵衛が日頃褒美の金を独り占めすることに不満を述べる件(くだり)があります。「去年兄義興を生け捕ったが、褒美の金は親方一人があたたまり、この六蔵はおちゃっぴい」というようなセリフでした。

この「おちゃっぴい」という言葉、この場面では「いくら働いても報酬がなく、割のあわないこと」というニュアンスで使われていたわけですが、当時は何となく「お茶目でバカ」ってな感じでとらえておりました。現在では「おちゃっぴい」というと「おしゃべりで活発な女の子」を指すのが一般的なようです。

昔、遊女は客がつかない時にお茶を挽かされていたことから、暇な遊女を「お茶挽き」と言い、これが転じて「おちゃっぴい」となったようです。そうした暇な遊女には、おしゃべりでしとやかさに欠けている者が多かったことから、「おしゃべりで活発な女の子」を指すことばになったのですが、彼女らからすれば「報酬がなく割にあわない」と感じたんでしょうね。

さて遊郭では、暇につながる言葉「お茶」を忌み嫌い、「客があがる」という縁起をかついで、お茶を「あがり(花)」というようになったそうです。お寿司屋さんで、「あがり」を注文なさる時にこのブログを思い出していただければ幸いです。




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