ミルグラム実験

テーマ:よもやま話
よく飴と鞭などと言われますが、子どもの学習においては褒めることとともに罰も必要であるという考えがあります。で、「学習における罰の効果」を測定する実験のモニターを頼まれたんです。私は教師役。

別の人が生徒役だったんですが、別の部屋に居るので顔は見えません。でも声は聞こえます。で、私が生徒に対して問題を出すんですが、正解なら次の問題に移り、間違えたら45ボルトの電圧を流します。まあ、最初に体験しましたけど、ショックというより気持ちいいくらいです。

でも、生徒が間違えるたびに電圧を15ボルトずつ上げろって言うんですよ、この実験の依頼者。で、電圧を上げて行くと当然ピリピリ来て、生徒が声を上げだす。う゛~っ!とかあ゛~っ!とか。そのうち、やめてくれ~、とか「痛くてたまらない!」とか叫びだす。

もう、私辛抱できなくなって、「いや、あんなに苦しんでいるのにできません」と言うと、「続けて下さい」と。「いや、無理ですよ」と言っても「実験のためには続けてもらわないと困るんですよ」と。

目の前の電圧のメモリには200ボルト「非常に強い」、375ボルト「危険」と書かれており、最高450ボルトまでのメモリが...。さて、私はどうしたでしょうか?


実はこれ、昨日のサンデーモーニングという番組の中で紹介されていた「ミルグラム実験」と呼ばれるものなのですが、この実験の被験者となった教師役40人のうち、実に25人が実験者の指示に従い、生徒役のうめき声や苦痛にもかかわらず、最高の450ボルトまでメモリを上げたそうです。(なお、生徒役はサクラで声は演技)

被験者たちは、悪人や変人ではなくごく普通の一般人。しかも武器で脅されるという物理的プレッシャーや家族が人質に取られるという精神的プレッシャーもない状態だったわけで、誰もが閉鎖的な空間条件の中では、自分の良心とは裏腹でも権威に従って残酷な行動をとってしまう可能性があるというのです。

最近世間を騒がせている尼崎事件。何であんなことが起こるのだろう、何であんなやつの言いなりになるのか?と全く理解できないと思う方が多いでしょう。さらに、オウム事件、そして途絶えることのない学校でのいじめ。

プレッシャーのない状態ですら2/3の人々が自らの意志に反して権威に服従してしまうのに、そこに脅しや仲間はずれの恐怖が加わった時、どうして権威に対して抵抗することができるのでしょうか?

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