曳山外題考2013
テーマ:曳山・歌舞伎
2013/04/15 09:22
昨日は、自町狂言を1回行った後、登り山。個人的に祭の楽しみの一つである長浜独特の「外題」。八幡宮に勢揃いした四山のそれをメモしてきましたので紹介いたしましょう(読み方は推測)。なお、外題については昨年の「外題考2012」に詳細を記しておりますのでご参照下さい。
左から孔雀、萬歳、常磐、翁
斜め後方より
まず、一番山の孔雀山は「初音桜狐旅(はつねざくらきつねたび)」。芸題が「義経千本桜 道行初音の旅」ですから、キーワードを並べて芝居の特徴をコンパクトに表していますね。ちなみに、今年は四町のうち三つが源平物で同町もその一つ。
二番山の萬歳楼は「誉貞心夫誓佛情(ほまれのていしんふせいぶつじょう)」。演目は「壷阪霊験記」。盲人の沢市の妻お里の貞心が夫の信仰心を開き、最後は観音様の情けで沢市の目が開くというあらすじを七文字に託しているのでしょうか。振付師さんの命名とか。
「源平布引滝 実盛物語」を演じる三番山の常磐山は「源平紅白鎬之争(げんぺいこうはくしのぎのあらそい)」。源平物を表すのに「源平」「紅白」の二文字はよく使われますが、このような同義反復は珍しいかもしれません。「鎬」はなかなか読みづらいですが、「鎬(しのぎ)を削る」などとよく言いますよね。
そして、「熊谷陣屋」の我が翁山は「惜花回向鳩(はなをおしむえこうのむかいばと)」です。史実では熊谷直実に討たれた平敦盛。この物語では後白河院のご落胤とされる敦盛を生かすために、熊谷が実子小次郎を身代わりに斬るという悲劇になっています。
熊谷は義経から暗示されたその命を忠実に実行し、世の無常を感じながら出家し、自らの子のみならず源平の合戦で命を落としていく人々のための回向の役を引き受けるのです。散っていく命(花)を惜しみ回向の旅に向かう熊谷の決意を外題にいたしました。
熊谷の家紋は寓生に向鳩
ちなみに「回向」と「向鳩」の「向」が両方にかかる掛詞になっております。
左から孔雀、萬歳、常磐、翁
斜め後方より
まず、一番山の孔雀山は「初音桜狐旅(はつねざくらきつねたび)」。芸題が「義経千本桜 道行初音の旅」ですから、キーワードを並べて芝居の特徴をコンパクトに表していますね。ちなみに、今年は四町のうち三つが源平物で同町もその一つ。
二番山の萬歳楼は「誉貞心夫誓佛情(ほまれのていしんふせいぶつじょう)」。演目は「壷阪霊験記」。盲人の沢市の妻お里の貞心が夫の信仰心を開き、最後は観音様の情けで沢市の目が開くというあらすじを七文字に託しているのでしょうか。振付師さんの命名とか。
「源平布引滝 実盛物語」を演じる三番山の常磐山は「源平紅白鎬之争(げんぺいこうはくしのぎのあらそい)」。源平物を表すのに「源平」「紅白」の二文字はよく使われますが、このような同義反復は珍しいかもしれません。「鎬」はなかなか読みづらいですが、「鎬(しのぎ)を削る」などとよく言いますよね。
そして、「熊谷陣屋」の我が翁山は「惜花回向鳩(はなをおしむえこうのむかいばと)」です。史実では熊谷直実に討たれた平敦盛。この物語では後白河院のご落胤とされる敦盛を生かすために、熊谷が実子小次郎を身代わりに斬るという悲劇になっています。
熊谷は義経から暗示されたその命を忠実に実行し、世の無常を感じながら出家し、自らの子のみならず源平の合戦で命を落としていく人々のための回向の役を引き受けるのです。散っていく命(花)を惜しみ回向の旅に向かう熊谷の決意を外題にいたしました。
熊谷の家紋は寓生に向鳩
ちなみに「回向」と「向鳩」の「向」が両方にかかる掛詞になっております。
じしんをもって
テーマ:曳山・歌舞伎
2013/04/14 09:17
御幣迎えに備えてそろそろ起きな(翁)と思いし昨朝の突然の揺れ。時は(常磐)午前5時33分。北朝鮮からの核ミサイル?これで日本もバンザイ(萬歳)か。テレビを見れば淡路島震源の大地震。震度6弱(孔雀)。
本日は、これより自町狂言、そして登り山。昼過ぎから四番山より順次、上記の翁山、常磐山、萬歳楼、孔雀山の順に長浜八幡宮に向かいます。
役者および三役修業塾生の皆さん、自信(地震)をもって祭に望みましょう。
(追記)
私の携帯電話には、地震警戒メール入りませんでした。それがどうした?
本日は、これより自町狂言、そして登り山。昼過ぎから四番山より順次、上記の翁山、常磐山、萬歳楼、孔雀山の順に長浜八幡宮に向かいます。
役者および三役修業塾生の皆さん、自信(地震)をもって祭に望みましょう。
(追記)
私の携帯電話には、地震警戒メール入りませんでした。それがどうした?
知らぬが仏の南インド産
テーマ:曳山・歌舞伎
2013/04/13 09:22
普段購読していない京都新聞が昨日なぜか家に届けられておりました。稽古場である伊部町会館の郵便受けにも入っておりましたので、もしかすると全戸無料配布のキャンペーン中なのでしょうか。一面の左上には、
曳山と思しき屋台の胴幕の写真が。
見出しを見ると「胴幕は南インド産絨毯」と太い文字で書かれ、その上にはあろうことか長浜の曳山「月宮殿」「鳳凰山」とあるではないですか。
本文を読んでみますと、この2山を飾る胴幕が17世紀後半から18世紀に南インドで作られた絨毯とみられることが、早稲田大高等研究所の鎌田助教による調査で分かった、というもの。
あれ?これって確かペルシャ絨毯と言われてましたよね。だいいち、インドで絨毯なんて作ってましたんかいな。鎌田氏、英国の美術館に残る7枚の南インド産絨毯を基準に各国に現存する絨毯を比較したんだそうな。
でね、「月宮殿と鳳凰山の胴幕は、高級品のペルシャ産や北インド産絨毯よりも織の密度がやや粗く、貿易品や日用品の特徴があった。また当時の南インドの工芸品にも同じ特徴の文様を確認した」とも。
まあ、真実らしきことがわかって良かったのかもしれませんけど、これって言い方換えれば、残念だけどペルシャの絨毯ほど高級なものではありませんでした、ってことでしょ。そりゃあ、あんまりじゃねえのと言いたくなりますな。
「日常的に消費されたと考えられる欧米と違い、祭りで大切に使われて残ってきたのは大きな価値がある」という説明も、慰めになっているのかなっていないのか虚しく響く。
謎のままに、「◯◯と伝えられている」と言われているものが暴かれるのは、ハイビジョンで女優の顔をくっきりと映しだして毛穴のぶつぶつを見せられる不快感にもつながるような気がいたします。
あ~ぁ、「知らぬが仏」とはよく言ったものですね。そういや仏教も南インド産?いや、そちらは北インド産でしたか。
曳山と思しき屋台の胴幕の写真が。
見出しを見ると「胴幕は南インド産絨毯」と太い文字で書かれ、その上にはあろうことか長浜の曳山「月宮殿」「鳳凰山」とあるではないですか。
本文を読んでみますと、この2山を飾る胴幕が17世紀後半から18世紀に南インドで作られた絨毯とみられることが、早稲田大高等研究所の鎌田助教による調査で分かった、というもの。
あれ?これって確かペルシャ絨毯と言われてましたよね。だいいち、インドで絨毯なんて作ってましたんかいな。鎌田氏、英国の美術館に残る7枚の南インド産絨毯を基準に各国に現存する絨毯を比較したんだそうな。
でね、「月宮殿と鳳凰山の胴幕は、高級品のペルシャ産や北インド産絨毯よりも織の密度がやや粗く、貿易品や日用品の特徴があった。また当時の南インドの工芸品にも同じ特徴の文様を確認した」とも。
まあ、真実らしきことがわかって良かったのかもしれませんけど、これって言い方換えれば、残念だけどペルシャの絨毯ほど高級なものではありませんでした、ってことでしょ。そりゃあ、あんまりじゃねえのと言いたくなりますな。
「日常的に消費されたと考えられる欧米と違い、祭りで大切に使われて残ってきたのは大きな価値がある」という説明も、慰めになっているのかなっていないのか虚しく響く。
謎のままに、「◯◯と伝えられている」と言われているものが暴かれるのは、ハイビジョンで女優の顔をくっきりと映しだして毛穴のぶつぶつを見せられる不快感にもつながるような気がいたします。
あ~ぁ、「知らぬが仏」とはよく言ったものですね。そういや仏教も南インド産?いや、そちらは北インド産でしたか。
調子をやる
テーマ:曳山・歌舞伎
2013/04/12 09:00
曳山祭の稽古場で、「ちょっと、あなた調子やりそうだから、今日は控えめにしときなさい」と、主役の子に対して振付の先生が注意をなさいました。
「調子をやる」って意味わかります?ま、普通に考えると「調子に乗ってふざけてると怪我でもするので気をつけなさい」という風に取ってしまいますよね。でも、彼は中学校1年生で他のチビスケどもが騒いでいるのを注意こそすれ、自分がふざけるようなことはいたしません。
ではどういうことなのか。何と歌舞伎の業界では「喉をつぶす」ことを「調子をやる」と言うんだそうです。主役の子が頑張って声を出しすぎて、喉がつぶれる危険性があるので、今日は声を出すのを控えめにしておきなさい、という注意だったわけですね。
「なぜ、そのように言うのですか?」と振付の先生に尋ねてみたのですが、「さあねぇ、何でだろうね?調べておいてよ」と答えられましたので、調べてみたんですが、「歌舞伎界ではそのように言う」ということしか書いてなくて、由来はどこを調べてもみつかりません。
まあ、辞書で調べますと、元々「調子」というのは「音の高低の具合」という意味ですので、それがおかしくなるということなんでしょうけど、単純にそんなことでいいんでしょうかね。
ひょっとして中国語で喉のことを「チョーシー」とか言ったりするんとちゃうやろか、などと推測いたしまして、調べますと「喉」や「声」のことを「嗓子」ということがわかりました。口偏に桑と書くんですね。おぉ~、これ「チョーシー」と発音するんかもしれん。
と中日辞書の「音声再生ボタン」を押してみますと、意に反して「サン・ズ」みたいな発音。全然ちがうやん。てことで、由来がようわかりませんのやけど、私も祭が終わるまで調子をやらないように気をつけたいと思います。
「調子をやる」って意味わかります?ま、普通に考えると「調子に乗ってふざけてると怪我でもするので気をつけなさい」という風に取ってしまいますよね。でも、彼は中学校1年生で他のチビスケどもが騒いでいるのを注意こそすれ、自分がふざけるようなことはいたしません。
ではどういうことなのか。何と歌舞伎の業界では「喉をつぶす」ことを「調子をやる」と言うんだそうです。主役の子が頑張って声を出しすぎて、喉がつぶれる危険性があるので、今日は声を出すのを控えめにしておきなさい、という注意だったわけですね。
「なぜ、そのように言うのですか?」と振付の先生に尋ねてみたのですが、「さあねぇ、何でだろうね?調べておいてよ」と答えられましたので、調べてみたんですが、「歌舞伎界ではそのように言う」ということしか書いてなくて、由来はどこを調べてもみつかりません。
まあ、辞書で調べますと、元々「調子」というのは「音の高低の具合」という意味ですので、それがおかしくなるということなんでしょうけど、単純にそんなことでいいんでしょうかね。
ひょっとして中国語で喉のことを「チョーシー」とか言ったりするんとちゃうやろか、などと推測いたしまして、調べますと「喉」や「声」のことを「嗓子」ということがわかりました。口偏に桑と書くんですね。おぉ~、これ「チョーシー」と発音するんかもしれん。
と中日辞書の「音声再生ボタン」を押してみますと、意に反して「サン・ズ」みたいな発音。全然ちがうやん。てことで、由来がようわかりませんのやけど、私も祭が終わるまで調子をやらないように気をつけたいと思います。
二元の道
テーマ:曳山・歌舞伎
2013/04/11 09:05
以前読んだ「日本の古典芸能」(河竹登志夫/かまくら春秋社)という本に「二元の道」なる言葉が出てまいりました。つまり古典芸能には「伝統を守る」道と「応用の創作活動」という二つの道があり、双方とも欠かせないものであると。
例えば、大歌舞伎などでは従来の古典的な作品に加えて、新劇さらには故勘三郎の平成歌舞伎、猿之助(現猿翁)のスーパー歌舞伎など従来の枠組みを超えた挑戦がされ続けてきましたが、これらが「応用の創作活動」ということになりましょうか。
長浜の曳山子ども歌舞伎に目を移しますと、振付さんによっては複数の演目の見せ場から抜粋して盛り上がる場面を増やされたり、あるいは踊りに重点を置いたり、新作風な芸題を提供したりという動きが近年見受けられます。また、三味線も太棹だけでなく細三味線を取り入れたり。
従来の曳山狂言からやや逸脱したこうした動きに対して批判的な声も聞かれます。好き嫌いでいうと私も決して好きではないのですが、それぞれに根強いファンが多数おられ、役者親さんや女性層からは、わかりやすく見せ場が多いと人気があるのも事実です。
私は義太夫と太棹三味線で繰り広げられるものを歌舞伎だと思っていたのですが、我々の流である竹本以外に清元、常磐津、長唄があったり、あるいは踊りやそういう演奏が全く入らないもの、歌舞伎の演目は実は多種多彩ですよね。
しかし、なぜ長浜の曳山は義太夫と太棹三味線の伝統がずっと続けられてきたのでしょうか?これは曳山子ども歌舞伎の発祥とも密接な関係があるのではないか、というのが私の勝手な想像です。すなわち、元々曳山の舞台で演じようとしていたものは、実は人形浄瑠璃だったのではないか?
人形を操作する代わりに、子どもに人形の動きをさせた。一昨年京都造形芸術大学で子ども歌舞伎のビデオを無声で流しながら素浄瑠璃を行ったのですが、そのビデオを見た多くの人が「人形みたいだ」という感想を残されていたのが印象的でした。
今後、曳山子ども歌舞伎はどんな風に展開されていくのか、とても興味のあるところですが、やはり義太夫狂言の「伝統を守る」道とそこに留まらず「応用の創作活動」への挑戦がほどよくミックスされたダイナミックな二元の道を歩むことが永続のための条件なのかもしれませんね。
例えば、大歌舞伎などでは従来の古典的な作品に加えて、新劇さらには故勘三郎の平成歌舞伎、猿之助(現猿翁)のスーパー歌舞伎など従来の枠組みを超えた挑戦がされ続けてきましたが、これらが「応用の創作活動」ということになりましょうか。
長浜の曳山子ども歌舞伎に目を移しますと、振付さんによっては複数の演目の見せ場から抜粋して盛り上がる場面を増やされたり、あるいは踊りに重点を置いたり、新作風な芸題を提供したりという動きが近年見受けられます。また、三味線も太棹だけでなく細三味線を取り入れたり。
従来の曳山狂言からやや逸脱したこうした動きに対して批判的な声も聞かれます。好き嫌いでいうと私も決して好きではないのですが、それぞれに根強いファンが多数おられ、役者親さんや女性層からは、わかりやすく見せ場が多いと人気があるのも事実です。
私は義太夫と太棹三味線で繰り広げられるものを歌舞伎だと思っていたのですが、我々の流である竹本以外に清元、常磐津、長唄があったり、あるいは踊りやそういう演奏が全く入らないもの、歌舞伎の演目は実は多種多彩ですよね。
しかし、なぜ長浜の曳山は義太夫と太棹三味線の伝統がずっと続けられてきたのでしょうか?これは曳山子ども歌舞伎の発祥とも密接な関係があるのではないか、というのが私の勝手な想像です。すなわち、元々曳山の舞台で演じようとしていたものは、実は人形浄瑠璃だったのではないか?
人形を操作する代わりに、子どもに人形の動きをさせた。一昨年京都造形芸術大学で子ども歌舞伎のビデオを無声で流しながら素浄瑠璃を行ったのですが、そのビデオを見た多くの人が「人形みたいだ」という感想を残されていたのが印象的でした。
今後、曳山子ども歌舞伎はどんな風に展開されていくのか、とても興味のあるところですが、やはり義太夫狂言の「伝統を守る」道とそこに留まらず「応用の創作活動」への挑戦がほどよくミックスされたダイナミックな二元の道を歩むことが永続のための条件なのかもしれませんね。